怒濤《どとう》の土を踏んで、経津主《ふつぬし》、武甕槌《たけみかずち》の両神がこの国に現われた。
出雲に大国主《おおくにぬし》の神を威圧し、御名方主《みなかたぬし》の神を信濃の諏訪《すわ》に追いこめ、なおこの東国の浜に群がる鬼どもを退治して、天孫降臨の素地をつくった武将のうちの神人、経津主と武甕槌。
この両神が剣《つるぎ》をぬきかざして、鹿島灘の上を驀進《ばくしん》し来《きた》る面影《おもかげ》を、ただいま見る。
なるほど、鹿島の海は経津主、武甕槌を載せるにふさわしい海だ――
この怒濤の上に立って、両神が相顧み、相指さして、一方は香取の山に登り、一方は鹿島の山に威を振うの光景を、田山白雲は、まざまざと脳裏にえがきました。
これでなければいけない、この海でなければ経津主《ふつぬし》、武甕槌《たけみかずち》を載せる海はないと思いました。
そこでまた、香取、鹿島の海で相呼応するこの神代の両英雄を、優れて大なる額面に描き、これを関東、東北の主峰にかかげてみたいとの願望が、油然《ゆうぜん》として白雲の頭の中に起ったのも、無理がありません。
この海を写し得なければ、かの両神を描き出すことができない。願わくばここに逗留《とうりゅう》すること幾日、大眼を開いてこの海を見なければならぬ。
田山白雲は、こういう空想にのぼせきって、異常なる昂奮《こうふん》を覚えながら、無暗に海岸を行き行きて、とどまるということを知りません。
底本:「大菩薩峠11」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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