かっぷくのいい、色つやの真紅な、愛嬌たっぷりなのがすれちがいざまに、若い船頭と面《かお》を見合わせ、にっこり笑いながら棹を外《そ》らして、若い船頭を突っつく。
「あ、痛えな」
 若い船頭が、仰山な叫び方をすると、
「いたけりゃ辛抱していろよ、誰も巳之《みの》さんをおん[#「おん」に傍点]出す人はねえだから」
「それじゃ、おっかの舟貸すか」
「乗れねえに、持ち上げろよ」
「ナニョー、しんだ」
「うるせえな、このオベラカシ」
 白雲の耳には、何ともわからないざれごとを言い合って、舟は左右にわかれました。

         十五

 大船津の浜へのぼると、そこで田山白雲は、物珍しい一行を見てしまいました。
 数十人の団体が、手に手に小旗を持って船を待っている。その小旗を見ると、どれにも、これにも、「十五文」と記してあるのがおかしい。
 団体の中に、一人、頭へ置手拭をして、突袖《つきそで》ですましこんでいる若いのが、これが一行の大将株と覚しく、これの襟《えり》にさしてあった旗だけが少し違い、
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「十五文、橋庵先生《きょうあんせんせい》」
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としるしてあります。そうして、その周囲《まわり》を取りまいて、扇であおいでいるのが、見る人が見れば見たような面《かお》と思うも道理、これぞ江戸の下谷の長者町で、道庵先生の両腕とたのまれたデモ倉と、プロ亀でありました。
 さては読めた。倉と、亀とが、道庵先生の不在に乗じて裏切りをし、ここに橋庵先生というのをもり立てて、その向うを張らせ、道庵の十八文よりは三文だけ安くして、つまり、それだけ大衆的であるとの看板の下に、あっぱれ一謀反を企《くわだ》てたものと見えます。
 そうとは知らぬ道庵先生と米友、今頃はもう名古屋の市中に入って、また出来損いの「大岡政談」でも見ていることだろう。
 デモ倉や、プロ亀が、あっぱれな小刀細工をしようとも、そこは大腹中の道庵先生のことだから、蚊の食ったほどにも思うまいが、宇治山田の米友というものが存在している以上は、倉公、亀公いいかげんにしないと、耳ったぼにカーンと来ないとも限らないぞ、ほかと違って米友のは、手練だから痛さが違うぞよ。
 そんなことは、知ったことでない田山白雲――アイロ、コイロの社《やしろ》、鎌足公《かまたりこう》の邸跡、瑞甕山根本寺《ずいおうざんこんぽ
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