をどうしたか、女の行方《ゆくえ》がかいもく知れなくなった。血眼《ちまなこ》になって、大の男二人が騒ぎ廻るのが笑止千万、実はまか[#「まか」に傍点]れたのだ、とうからきゃつにすっかり鼻毛を読まれていたのだ。地団駄《じだんだ》ふんでも追っつかない、女と侮った――あちらが役者が一枚上だ。そのまますごすご引返してここへ来る器量の悪さ――実以て面目次第もござらぬ」
 だが、この話だって、どうだかわかったものではない。
 果して、まか[#「まか」に傍点]れて、器量悪く戻って来たものか、或いは、散々《さんざん》もみくちゃにして、突っ放して引上げたものか、保証の限りではないが、とにかく、あの女をここへ連れて来ていないことは本当らしい。
 まもなく二人は切上げて、これから湯に行くと言いました。
 湯に行ったついでに、誰か留守番の者に、我々の部屋を周旋してもらおうと言い出したのは、いつまでも、兵馬と同室にいるつもりではないらしい。
 果して二人が出て行くとまもなく、留守番の男がやって来て、御同宿のお方を、この突きあたりの二番目に致しましょうといって、そのすべての持物を運びはじめました。
 厄介払いをしたつもりで、兵馬は息をついたが、この厄介払いで、ここまで見込まれた以上は、これから以後のことが想われる。
 この二人の亡者共に、つけ廻されてはたまらないから出し抜くに限る。出し抜いたからとて、影の形における如く、離れっこはないから、絶縁を宣告するのも無益である。しかるべき時刻を見て、無断にここを出立してしまうことだ。
 その時刻は、いつがいいかな。永くここに逗留《とうりゅう》している必要は更にないのだから、明朝あたりがよかろう。それとも今晩、月夜ででもあれば、彼等を出し抜いてしまってやろう。そうして、ともかくもまた一旦松本へ帰るのだな。
 いや、待て待て、せっかくここへ来た以上は、ここで知り得るだけのことは知って置かねばならぬ。
 ちょっと一夜めぐりをして、尺八の音に驚かされて帰るだけでは、どうも冥利《みょうり》が尽きるようだ。
 とにかく、一応は、何人の人たちがこの宿にいて、それのおのおのの住所、氏名、族籍というようなものまで、一通りは当りをつけて帰らぬことには、偶然にしても、偶然を利用することが足りない。
 よし、かりに宿帳を見せてもらおう。
 それに、随時、あの炉辺閑話が開かれるらしいから、あれに列席してみると、席の空気もわかるし、滞在客の性質もわかるのだ。それらについて、知り得るだけは知って置いても害になることではない――兵馬はそう思案したものだから、今日はひとつ、これから炉辺閑談の席へ、進んで出席してみようとして、一通り衣裳をつけました。
 そうして、袴《はかま》をつけるまではないが、刀と脇差は、持って行こうか、行くまいかと思案し、それも物々しいし、丸腰も本意でないようだから、脇差だけを差して行こうと、その通りにして、二階から徐々《しずしず》と炉辺をさして下りて行きます。
 この時、炉辺閑談の席は、鐙小屋《あぶみごや》の神主の退却した時を以て一次会が終り、あとは閑散のやからが残席を守り、或いは長々と炉辺に寝そべって、頬杖《ほおづえ》をつきながらだまり込んでいるのもある。
 つまり、池田良斎一行の北原と、それから留守番のおやじと、村田寛一と三人だけでしたが、三人とも、いずれも、だまりこくって、炉辺を囲んでいるところへ兵馬がやって来ました。
「さいぜんは、神主さんが見えたとやらで、お招きを受けましたが、少し用事があったものですから失礼しました」
「いや、どうも。まあ、おあたり下さい」
 横に寝ていた者までが起き直って、おやじはそれに薪を加えました。見れば、大きな鍋で芋粥《いもがゆ》をこしらえているらしい。
「御免下さい、御同宿の方々はお賑《にぎ》わしいようですが、みんなで何人ほどおいでなさいますか」
 兵馬にたずねられると、村田が、
「全く珍しいことですよ、この温泉へ、こうまで顔がそろって冬籠《ふゆごも》りをしようなんぞは、白骨はじまって無いことでしょう。売れ出すと売れるもので、もうこれきりと思っていた後から後から、俳諧師の梅月君が来る、猟師の嘉蔵殿が来る、雪を踏み分けて貴殿というものが来られたかと思うと、そのあとを追うて、ただいま湯に行かれたあの二人の御仁……」
 村田は、歯切れのよい言葉で言いました。

         十二

「あなた方の御同勢は、すべて何人でございますか」
 兵馬から物おだやかにたずねられて村田が、
「われわれの同勢は左様――すべて五人になりますかな」
「みんな男の方ばかりですか」
「無論です、野郎ばかり五人揃って、越年《おつねん》をしようというんです」
「女の方もおいでのようですが、あれは、あなた方のお連れではございませんか」
「あれは、違います、全く他人です」
「ははあ、そうしますと、あなた方御同勢の五人と、その女の方の一行と、二組だけでございますか」
「それに俳諧師の方が一人おります、留守番と、猟師が二三名出たり入ったり……」
「そうですか。そうして、あなた方は失礼ながら、どちらからおいでになりましたか」
「飛騨《ひだ》の方から参りました」
「重ねて失礼ですが、御商売は何ですか」
「商売……」
 村田は、ちょっとばかり苦《にが》い顔をして、頭へ手をやり、
「商売と改まって聞かれると閉口するですがね、実は神楽師《かぐらし》なんですよ」
「神楽師?」
「ええ、池田というあれが頭分《かしらぶん》で、神楽をやりながら諸国を渡り歩き、この冬はここへ籠《こも》って、また飛騨の方面へ帰ろうと思います。一行のうちには、飛騨の高山生れの者もありますんでな」
「そうですか、それでおのおのは、音曲のたしなみがおありなさるのだな」
「神楽師《かぐらし》とは言いながら、変り種ばかり集まっていますから、神楽師にしては人間が大風《おおふう》だと思召《おぼしめ》すかも知れません、事実、神楽は道楽のようなもので、学問武術などにも相当に心がけのある奴がいるんですから、変に思召すかも知れませんが、慣れるとみんな無作法者ばかりです」
「それも頼もしいことです。実はただいま、神楽師とおっしゃるから、こいつ怪しいと思いましたよ。普通神楽師といえば、われわれの頭にまずうつってくるのは、二十五座とか、十二神楽とか、馬鹿囃子《ばかばやし》とかいったようなものですが、あなた方は、そんな種類の人とは思われないから、世を忍ぶ謀叛気《むほんぎ》の方々かと、一時は疑いの心を起しました」
「いや、決してそういう物騒なものではありません。一口に神楽といえば、馬鹿囃子みたようなものにとられ易《やす》いですけれど、文字そのものを吟味してごらんなさい、神を楽しむ、或いは神を楽しませ申すという立派な字面《じづら》です、従って、神楽師といえば、神前に奉仕する敬虔《けいけん》な職務ということにならねばならないのですが、どうもそう響かなくなっているのは習慣ですね。たとえば、道楽者といったようなもので、道楽という字面からいえば、道を楽しむのですから、孔孟や老荘の亜流でなければならないのに、普通、道楽者といってしまえば、箸にも、棒にも、かからないやくざ者とみなされちまいますからね。文字の威力よりも、習慣の惰性《だせい》が怖ろしいということになります」
 村田が、一応こんな弁解を試みたことだけでも、すでに普通の神楽師でないことがわかり、或いは神楽師を標榜《ひょうぼう》して、世を忍ぶやから[#「やから」に傍点]ではないか、そうだとすれば、時節柄、意外の人材が隠れていないものでもない、つきあい様によっては、話しようによっては、存外の得るところがあるかも知れぬ、とにかく、この一行は、いずれはただ者ではないように、この時、兵馬が考えてしまいました。
「そうでしょうとも、神前に奉仕する意味の神楽と、徒《いたず》らに俗情に媚《こ》ぶるみせものの類《たぐい》とは、質を異にせねばなりません。それはそれとしまして、あなた方の御一行のほかの客人は、皆、御存知よりのお方でございますか」
「われわれのほかの一組は――あの婦人の加わっている一行ですな、あれは都合四人とか聞きましたが、ここへ来て初めての知合いです」
 話半ばのところへ、久助が入って来ました。
 久助は、お雪一行と上野原から来たものですから、本来ならば、あの時分、兵馬を見知っていなければならないのですが、ちょうど、面会の機会がありませんでしたから、この場へ入って来ても、おたがいに他人で、久助がまずていねい[#「ていねい」に傍点]に一座にあいさつをし、他の者がそれに会釈《えしゃく》をしたというようなあんばいで話が進むと、村田が、
「久助さん、お雪ちゃんはこのごろ、ちっともここへ出て来ませんな」
と言いました。
「はい、何かと忙しそうにしていますから」
と久助が答える。
 お雪ちゃんという名前だけでも、兵馬に思い出があるといえばあるのですが、お雪ちゃんという名前は、月見寺に限ったわけのものではなし、ここで兵馬が、特にその名にひっかかる理由もありません。
 程経て兵馬が久助に向い、
「あなたは、どちらからおいでですか」
とたずねました。それはこの男こそ、例の五人の神楽師の一行のほかだと見たからのことでしょう。そこで久助は、
「わしどもは、甲州の郡内《ぐんない》の方から参りました」
「甲州の郡内……」
「はい」
「郡内はどこですか」
「ええ、谷村《やむら》でございます」
「そうですか」
 ここで久助が、郡内は上野原でございます、上野原の月見寺でございます――といわないで、谷村と言ったのが幸いでした。最初から多少の用心をして、わざと上野原や、月見寺を、表に出さないことに申し合わせていたのですが、久助の本来の生れ所が、その谷村なんですから、不自然はありません。
「旦那様は、どちらからおいでになりました」
 今度は久助から、極めて自然に、またていねい[#「ていねい」に傍点]に、兵馬の来《きた》るところを儀礼的にたずねてみたものです。
「拙者は、もとは江戸ですが、諸国を歩いて、昨日松本から、これへやって来ました」
「左様でございますか」
 久助は、こくめいに頭を下げると、村田が引取って、
「時に、あなた様は武者修行ですか」
と兵馬に、これもはじめて反問を試むると、兵馬も心得て、
「まあ、武者修行と申せば、武者修行のようなものでございましょう、未熟ながら、剣術稽古を兼ねての諸国の旅です」
 剣術修行を兼ねて仇討《あだうち》の旅でございます、とも言えないから、素直にこう言うと、村田が、
「ははあ、それはお若いに御殊勝のことでございますな。剣術は河流を御修行でございますか」
「直心陰《じきしんかげ》を少しばかり習いました、それと、槍を少々教わった覚えがあるばかりですが、武術は本来、好きには好きです」
「好きこそ物の上手なれで、さだめて鍛錬のこととお察し申しますが、柔術の方はいかがでございます、柔術は……」
「あれはまだ、一指を染める暇がないというわけでございます、習いたいは山々ですが、一方でさえ物にするには、なかなかの苦心と、時間とを要します」
「御尤《ごもっと》もです――では、さだめて居合《いあい》の方は……」
「それも物になっておりませんが、諸流をホンの少しずつ、手ほどきを見せていただきました」
「御謙遜のお言葉でお察し申しますと、失礼ながらあなたは、なかなかお出来になりますね」
と村田が言いました。兵馬は、最初からこの村田を異《い》なりとしていたところですから、かえって、
「いや、あなたこそ、拙者共に対する御質問がいちいち要所に当って、先輩に試験を受けているような気がしないでもござりませぬ、いろいろとお話が承りたいものでございます」
 そこで、村田と兵馬との間に、武術の話がはずみました。
 話がはずむにつれて村田が、大極流の兵法のことを、兵馬に向って聞かせたのが耳新しくあります。
 大極流の兵法には、棒も、剣も、槍も、拳法も、捕縄《とりなわ》も、忍びの術ま
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