もなりますかな、昨今では、もう全く山の人になりきって、人里へ出ようという気になりませんわい」
「二十年――ずいぶん、長いことですなあ、どちらにお宿をお取りです」
「ははあ、あんた、いつこっちへおいでなすった」
「昨日参りました」
「そうでござんしょう、そうでなければ、とうにわしの事は聞いておいでのはずじゃ。わしはな、この上の無名沼《ななしぬま》のほとりの鐙小屋《あぶみごや》というのにいる神主でござんすよ」
「ははあ、そうでしたか、まだよく存じませんものですから」
「遊びにおいでなさい、ここからホンの一足ですから。一足とは言いながら、それは平常《ふだん》の日のことで、雪の積った時には、その一足が、常の人で二刻《ふたとき》かかりますよ。おいでなさい、焚火をしてあたらせながら、山の話をして上げましょう」
 この神主はそれから兵馬を相手に、自分も若い時分は、さんざんに諸国を廻って、あらゆる世間に接して来たという自慢話をはじめましたが、そのうちに、
「山という山はたいてい歩きましたね、日本国中の有名な山という山には、たいてい一度はお見舞を致しましたが、なんにしても山といっては、この信州に限ったものです。富士は一つ山ですから、上って下ってしまえば、それっきりですが、信濃から飛騨、越中、加賀へかけての山ときては、山の奥底がわかりませんからな。尤《もっと》も毛唐人《けとうじん》にいわせると――毛唐人といっては穏かでないが、西洋の人ですな、長崎で西洋の山好きに逢いましてな、その男に聞きますとな、感心なもので、あの西洋人の山好きは、日本人の歩かない山を歩いていましたよ、この辺の山のことでもなんでもよく知っているには驚かされましたよ。ウエストとかなんとかいう名の男でしてね、それが、あんた、日本人がまだ名も知らねえ、この信濃の奥の山のことなんぞをくわしく話し出されるものだから、若い時分のことですから、すっかり面食《めんくら》ってしまいましたね。その西洋の山好きの男が言うことには、日本はさすがに山岳国だけあって、山の風景はたいしたものには相違ないが、それでも、高さからいっても、規模からいっても、西洋の国々に類の無いというほどのものではない、世界中にはまだまだ高いのや、変ったのがいくらもあるが、そのうちでも、ちょっと類の無いのは、肥後の国の阿蘇山《あそざん》だってこう言いましたよ」
 神主さんはこう言って、身体《からだ》を湯の中でまたゴシゴシとこすりました。
 そうして神主が、また言葉をついで言いました、
「肥後の阿蘇という山は、全く、世界中でも類の無い山だと毛唐人が言いましたから確かでしょう、この辺の山と違って、火山の外輪というのが素敵でしてな。火を噴《ふ》く山としては、この上の焼ヶ岳なんぞも日本の国では、どこへ出しても引けは取らない山ですが、阿蘇とは規模において比較になりませんなあ。二十里というものが、人工で出来た壁のように、早い話が支那の万里の長城みたいに、ずうっと並んで連互《れんこう》しているんですから素敵なものです、この規模だけは世界に類が無いと西洋人が驚きます。まあ、折があったら一度のぼって御覧なさいまし」
 阿蘇を讃美するかと思うと、今度は一転して温泉のことに逆戻りをして、
「修行は水に限るがの、気分の暢々《のうのう》するのは、何といっても温泉に限ったものですね。その温泉も、平地の温泉よりは、山の奥の温泉ほどいいですね。山の奥の温泉も、こんな湯槽の温泉よりも、野天の源泉、川の岸、巌の間といったのへ湧き出るそのところを湯壺にして、青天井の下で湯あみをするの愉快に越したことはありません。何しろ日本という国は、温泉がふんだんにありますからなあ、この点ではまことに仕合せな国に生れたものですよ。燕《つばくろ》の下の中房へ行きましたか。ああ、そうですか。この近所では、飛騨の平湯《ひらゆ》の温泉、蒲田峠《がまだとうげ》の蒲田の温泉というの、それから上高地の温泉も、これを山の裾越しに北へ行くと、あんまり遠くないところにあります。どうです、ひとつその上高地の温泉へ御案内をしましょうか。なあに、まだ雪もそんなに深くはなし、ここへ冬籠《ふゆごも》りをするよりは、また奥深くていっそう面白いですよ。帰りたけりゃ、いつでも帰れますよ。雪が深けりゃ深いように、歩き方もあるにゃあります、だが、山は慣れないうちは、もう全く案内者のいう通りにならないとあぶのうござんすよ、血気にまかせてはなりません。ひとつ乗鞍ヶ岳へ案内をして、朝日権現の御来光の有難いところを拝ませて進ぜましょうか。とにかく、ゆっくり御逗留《ごとうりゅう》でしたら、遊びにおいで下さい、梨木平《なしのきだいら》というのを通って無名沼《ななしぬま》へ出ると、その沼のほとりにわたしの小屋が見えます。誰がつけましたか、乗鞍ヶ岳の下の、鐙小屋と人の呼びならわすのがそれで……」

         十一

 これより先、仏頂寺弥助と、丸山勇仙とは、兵馬の座敷へ入り込んで、火鉢を中に鶏肉を煮ながら、酒を酌《く》み交わしておりました。
 この鶏肉と、酒とは、どこで得たものかわかりません。どうも二人御持参の品らしい。御持参とすれば、どこからどうして持って来たかというようなことの詮索《せんさく》はやめましょう。とにかく、この宿へ来て、しかも、兵馬の入浴中を見はからって侵入して来たような、変則の来客でありながら、酒と、鶏肉だけは、こうもあざやかに、この宿で即座にととのえ得る理由が無い。ですから多分、充分の用意をして持参して来たものであり、同時に、兵馬のように、ほとんど偶然に近く誘引されて来たというのでなく、たしかに痕跡をつきとめて、後の先を制したようなつもりで、抜かりなくこの座敷を、あるじの不在中に占領した得意面が、明らかに見得るのであります。
 ところで二人が、酒を飲み、鶏肉を食いながら、どんな話をしているかと聞くと、
「どうも、ありゃ見たような女だよ」
と丸山勇仙が言いました。やはり話題は女のことでありました。
「左様さ、たしか拙者といえども見たことの覚えのないとはいえない代物《しろもの》だ」
と仏頂寺弥助が合わせます。ここで話頭に上すまでもない、女のことゆえに、兵馬をしてよけいな焦躁をさせている二人。その事とはまた別に、話題が女のことになるのは、あれよりは近く、ここへ来る途中でか、或いはモット近く、問題になるべき女の印象が現われたものと見なければならぬ。
「この宿の娘とは見えない、女中ではなおさらない――だから、ここに逗留《とうりゅう》する客の一人と見なければなるまい。珍しく、こんな奥山に冬籠《ふゆごも》りをするらしい客がかなり多いようだが、そのなかで女といってはあれ一人らしい」
「左様、女一人とすれば連れがあるだろう、兄貴とか、夫とか、なんとかいうものと一緒に来ていなければならぬはずだ」
「立派な保護者があるのだろう」
「保護者がなければ、第一ここまで来られもすまい、来てもいられはすまい」
「左様、年若い女を一人、保護者無しに、こんなところへ手放す奴も無かろうじゃないか」
「それはそうに違いないが、どうも見たことのたしかにある娘だが、度忘《どわす》れをしてしまったよ、思い出せないよ」
「思い出すよじゃ思いが浅い――というわけでもあるまいが、ちょっと愛くるしい娘だな」
「第一愛想がいいね、人をそらさないところがあるが、それといって、それ[#「それ」に傍点]者《しゃ》のするワザとさがない、天然に備わっているチャームというものがある」
 丸山勇仙は、多少語学の素養があるから、それでチャームというような言葉をつかってみるのでしょう。仏頂寺弥助にはわからない。わからないなりで反問もしない。
「どうもいかんな、女はくろうと[#「くろうと」に傍点]に限るよ、いかにほれてみたところで素人《しろうと》では、うっかり冗談もいえない。第一、今のが宿の娘であるとか、女中とかいうことであれば、お愛嬌に、お酌の一つもしてもらうことに遠慮もいらないが、客であり、ことに保護者がついていたんでは、万事休すだ」
「左様さ、保護者のある女は仕方がない」
 二人がしきりに保護者呼ばわりをして、何か残念がっているその噂《うわさ》の主《ぬし》というのは、想像するまでもなく、ここに来ているお雪のことなんでしょう。
 昨晩か、今晩か、二人が着いた時、多分お雪あたりが居合わせて、宇津木兵馬――二人も心得て兵馬とはいうまい、変名の静馬あたりを呼んだであろうが、相当に説明して案内を頼むと、わかりがよく、直ちにこの部屋につれて来て、ここまで落ちつくように世話を焼いてくれたのはお雪で、そのお雪の親切ぶりが、なんとなく二人を動かしたものですから、とりあえず、その噂を以て話頭が開かれたものと思われます。
 そこへ兵馬が風呂から戻って来たものですから、兵馬は驚くよりまず、苦々《にがにが》しい思いをしました。
 二人は、戻って来た兵馬を見て、ニヤニヤと笑い、
「やあ、暫く暫く」
と言いました。
 人の留守へ入って来て、肉を煮たり、酒を飲んだりしている無遠慮。それをとがめ立てしていた日には、この連中とつき合いはできない。
 苦々しい思いをしながらも、兵馬は詮方《せんかた》なしとあきらめて手拭をかけ、
「諸君、いつ来た」
「昨晩から今暁へかけて、戸の隙間《すきま》からそうっと忍び込んで来たわいな」
「あれから、君たちはどうした、あの女も一緒か」
「あれか――いやどうも面目《めんぼく》がない」
 丸山勇仙が顔を一つ逆に撫でて、面目ない様子をしながら、ケロリとしている。
「無事に、浅間まで送り届けてくれただろうな」
「それがさ……」
「では、一緒にここへでも連れて来たのか」
「それがさ……」
 いやに彼等二人はニヤニヤして、歯切れのいい返事をしない。
 兵馬は、机に近い程よきところに席を占めて、
「そうして、拙者がここへ来たことを、君たちは、知ってたずねて来ましたか、或いは偶然にここへやって来たのですか」
「雪に足あとがあるものだから、こいつ狐の足跡ではない、多分、君の足あとだろうと思うから、それを伝って、とうとうこれまで入りこんだというわけさ」
 とはいえ、この辺こそ雪だが、松本あたりはまだ雪ではあるまい。
 しかし、いずれにしてもこの二人の来合わせたのは、偶然ではなく、兵馬の足あとをかぎつけて来たものであることは、疑いがないらしい。
 とすれば、あの女はどうしたのだ。
 中房からの道、兵馬のあとに追いすがって来たあの女はどうしたのだ。もと浅間の芸妓《げいしゃ》であったという女。
 兵馬がもてあましたところを、二人が引受けたはいいが、兵馬は、手放してかえって持扱っている。
 ここへ来たのも一つは、その行方《ゆくえ》が気になってたまらないからだ。
 しかし、詰問してみると、二人はニヤニヤと笑うばかりだ。
 いったい、この連中に正面から詰問してかかれば、かえって、いよいよ事を扱いにくいものにする。現在、連れて来てこの隣室へ置いたからとて、二人は江戸の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来ても、この隣室へ置いてあるようなことを言いたがるのが、厄介者の常だ。それを知っているから、兵馬は、手強く詰問しても駄目だと思っていると、案外先方が砕けて来て、
「宇津木君、実はねえ君、実はねえ、君に申しわけがないんだよ、我々両人、あんな口幅ったいことを言って、あの女を引受けてからさ、なあに御心配はないさ、我々だって、見込んで頼まれれば、猫と一緒に鰹節の番人もする――後生大事に、あの女を連れて浅間へ送りかえす手筈であったが、あの女が、浅間へは帰りたくないようなことを言うから、それではお望み次第、京鎌倉でも、江戸大阪でも、どこへでもおともをしようじゃありませんかと、安手《やすで》に出て、そうして、まあ取敢《とりあ》えず木曾街道を塩尻まで無事に同行したと思い給え。塩尻へ入ると、さあ、すっかり大しくじり、あの女の姿を見失ってしまったのだ、上《かみ》へのぼったか下《しも》へさがったか、どこ
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