方が看病にふさわしいから、好意で代って来たものに違いない。とにかく、感じのいい、気分の熟した娘だとは思いやっているが、兵馬は身の苦痛にまぎれて、その娘の面《かお》をよく見ておきませんでした。
 宇津木兵馬が、この白骨の温泉へ入り込んで来たのは、偶然に似て偶然とはいえません。
 中房《なかぶさ》から意外な女の人と道づれになって、その女を途中でさらわれてしまい、どうでもいいようなものだが、勃然《ぼつねん》として、思いあたって、義において見殺しはできないという心から、追いかけて一旦は松本へ出たが、それからハタと思案に余った念頭を暗示するものがあって、ついにこの白骨の温泉へ入り込んだのです。
 そうでなくても兵馬は、中房あたりに行くより先に、この温泉へ、一文字に突出してみなければならぬはずではあったのです――というのは、甲州の月見寺で清澄の茂太郎に尋ねた時に、たしかにハッコツという呼び名は聞かされているのです。
 ハッコツから一歩機転を働かせれば、当然シラホネになるのだから、さてはと、胸を打って、まっしぐらにこのところへ来て見るのが順序であるべきものを、あちらこちらに停滞漂浪していたのは、この機転を働かせるほどに白骨の温泉の名が、人の耳目に熟していなかったと見なければなりません。
 まして、今、ここに来た娘は、あれは月見寺のお雪ちゃんです。
 兵馬が、お雪ちゃんの世話になったのは、今に始まったことではない。また兵馬も、お雪ちゃんを強盗の危《あや》うきから救ってやったこともある浅からぬ因縁《いんねん》が、ここまでめぐり来たっているということを、おたがいにこの時は少しもさとりませんでした。
 兵馬は、病気の苦痛で人の親切を受けても、その人柄までを、充分に見る余裕はなかったとはいえ、お雪ちゃんが気がつきそうなものだが、それとても、今時こんなところで、旧知の人を見ようとは想像以外であったのか、或いは兵馬そのものが、旅疲れでやつれ果て、見違えられていたか、とにかく、充分に因縁のある二人が、ここで、奇遇に驚いて、あっ! とも、おや! とも言わなかったことが不思議でした。
 しかし、当然、約束しておいた仕事、火を持って来ることだの、お粥《かゆ》をこしらえることだの、矢継早《やつぎばや》に、この室を重ねて見舞わねばならぬはずになっていますから、今度見えた時こそ、二人の底が割れて、アッとしばし呆《あき》れ返る幕が見られるはずなのを、皮肉といおうか、これも偶然といおうか、火と、炭と、お粥とを持って来たものは、約束のお雪ちゃんではなくて、洒然《しゃぜん》たる北原賢次でありました。しかも、その北原賢次が入り込んで来た時に、宇津木兵馬が眠っていたということも、ゆくりのないことです。
 兵馬は熱をとってしまおうとして、用意の薬を熱湯に注いで頓服し、そうして蒲団《ふとん》の温みに圧《お》されて、昏睡的《こんすいてき》に眠りに落ちた時分に、北原賢次はお雪に代って、粥と、火と、炭と、アルバムとを持って来たのですが、兵馬の熟睡を見すまして、そっとそれらのものを枕もとに、程よく配置しておいて、直ぐに出て行ってしまいました。
 兵馬が眼をさましたのは、それよりズット後のことで、ほとんど熱もとれて、頭も軽くなった気分で、枕もとを見ると、そこにかなりに行届いた待遇がしてあるものですから、兵馬は、あの親切な娘さんのしてくれたことだとこの時も感謝の念、と同時に、兵馬は、薬缶《やかん》や土鍋《どなべ》類とは別にして、左の方の蒲団わきに、見なれない一冊の画帖のあることを認めました。
 自分のものでない限り、誰かが来《きた》ってここにさし置いて行ったものである。誰かというまでもなく、それは、この火と、炭と、薬缶と、土鍋と、茶道具とを持って来てくれた、親切な人――その人が、旅宿の無聊《ぶりょう》と、病気の慰安とを兼ねて、自分のために、この画帖を貸与してくれたのだとは問うまでもなきことで、兵馬は粥を温めるの手数よりも、その心の慰安がうれしくて、うつぷしに寝返って画帖に手を触れました。
 それは折本になっている布装の書画帖で、中に記されたところのものは、多分、この宿に逗留《とうりゅう》の客人の、消閑《しょうかん》の筆のすさびでありましょう。
 まず巻頭に、万葉仮名《まんようがな》がいっぱいに認《したた》められてあるが、これは、ちょっと読みにくい。
 その次が、かなり癖のある強い筆跡で、
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子房未虎嘯(子房《しぼう》未《いま》だ虎嘯《こしよう》せざりしとき)
破産不為家(産を破り家を為《をさ》めず)
滄海得壮士(滄海《そうかい》に壮士を得《え》)
椎秦博浪沙(秦《しん》を椎《つい》す博浪沙《ばくろうしや》)
[#ここで字下げ終わり]
 これは有名な詩であるが、ただ、ちょっと兵馬の目ざわりになったのは、
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我来※[#「土+巳」、第3水準1−15−36]橋上(我れ※[#「土+巳」、第3水準1−15−36]橋《いきよう》の上《ほとり》に来り)
懐古欽英風(古《いにし》へを懐《おも》ひて英風を欽《した》ふ)
唯見碧流水[#「碧流水」に傍点](唯だ見る碧流《へきりゆう》の水)
曾無黄石公(曾《かつ》て黄石公《こうせきこう》なし)
[#ここで字下げ終わり]
というところの「碧流水」の三字です。
 普通は、誰も「ただ見る碧水の流るるを」とか、「ただ碧水の流るるを見る」とか吟じたがり、現に唐詩選にもそのように出ているはずなのを、この筆者は「唯見碧流水」と書いている。碧流水[#「碧流水」に傍点]ではおかしい、多分、筆勢のあまりで間違えたのだろう――というように、兵馬は見てしまいました。
 その次には、次のような文字が、無雑作《むぞうさ》に書き飛ばしてある。
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敵は大勢
味方は一人
頼むお前は二心
[#ここで字下げ終わり]
 ざれがきではあるが、兵馬はちょっと考えさせられました。
 さてその次には、多分ここの温泉風呂の浴槽の写生かと思われるが、かなり心得のある四条風の筆法で、二頁大の一方に、あちら向きの妙齢の裸体美人を描いて(あちら向きだから、面《かお》は美しいか美しくないかわからないけれども、その姿から見て、美人といってもさしつかえなかろうと思われる)その左の一面に賛《さん》をして、「こちら向かんせ、雪の膚《はだえ》が見とうござんす」というようなたわごと[#「たわごと」に傍点]が書いてある。
 その次には、一人の武骨な男が、得意になって三味線をひいていると、その前に、鬼が唐辛子《とうがらし》を持ちながら、しきりに涙を流しているところがある。何の意味だかわからないが、鬼の唐辛子を持っているところが奇抜でもあれば、おかしみもあると思いました。
 その次には、猟師が熊狩をしているところがある。これも四条風の筆法で、前の後向き美人を描いたのと同一人の筆と見える。月の輪の大きな熊が、上からのしかかって来るのを、下にくぐって槍で突き上げるきわどい[#「きわどい」に傍点]瞬間を巧《たく》みに描いて、
[#ここから2字下げ]
不入熊穴不獲熊親
[#ここで字下げ終わり]
と賛がしてある。その次には夜半堂の筆法で、軽妙に近い俳画が描かれて、上に一茶調の俳句が題してある。
 大体、そんなような戯画《ざれえ》と楽書《らくがき》で、ほとんど巻の大半がうずめられていたが、そのうちで兵馬が異様に感じたのは、ただ一つの女文字が所々にはさまれて、それは多くは歌が認《したた》められている。
 歌のことは兵馬にはよくわからないが、手はなかなかよく書いてあると思いました。全くの素人《しろうと》では、なかなか色紙《しきし》、短冊《たんざく》に乗らないものだが、この女文字は板についていると感じました。
 歌も一通り読んでみましたが、いずれも白骨温泉の生活を中心としたもので、山岳をたたえたものもあり、浴中の人事をうたったものもあり、長いのもあり、短いのもあるが、いずれも兵馬の感心するものばかりです。
 そうして、どれも最近の墨の香《か》がするから、この夏の末に去った人ではない、現にここにいる人のうちの筆のすさびに相違ない、とすればこの女の人は、さいぜん親切に自分を介抱してくれた娘さんだ、あの人に違いない。
 宿の娘ではないし、誰か連れがあって冬籠《ふゆごも》りをする逗留《とうりゅう》の客に違いない。その連れはいずれも相当の教養もあり、風流も解する人だ。旅客で、悪客と隣するのと、好客と泊り合わせるのとは、非常な幸と不幸とであると、兵馬はそんな感じを受けながら見ると、女文字の和歌には、どれにも「雪」という名がしるしてあります。

         六

 同じ日の夕方、机竜之助は、炬燵《こたつ》を前にして、端然と腕組みをして首低《うなだ》れていました。
 この時は、九曜の紋のついた黒の衣裳で、髪かたちも、さまで乱れてはいず、膝は炬燵の中へ入れないで、さながら、お行儀よくお膳に向った時のような姿勢で坐っています。
 尺八は少し離れたところの机の上にあって、膝のわきには二本の刀が、これも瀞《とろ》につながれた筏《いかだ》のようにおだやかに、一室の畳の上に游弋《ゆうよく》している。
 このごろは、お雪も、久助も、あまりこの室へはおとずれないらしい。
 それは、この室の主人がそれを好まないせいか、或いは二人が、なるべくこの人に遠のいていた方がいいと感じたものか、どうかすると、どちらも、その存在を忘れてしまっているのではないかと疑われることさえあります。
 それでも、一日に一度は思い出したように二人のうちの誰かが、おとずれて見ると、どこへ行ったか姿が見えないことがあります。
 それでも気にしないでいると、いつのまにか、おだやかに戻っていて、やがて尺八の音《ね》がしだしたりするものだから安心します。
 お雪と、久助にさえ、存在を忘れられるくらいだから、まして同宿のほかのものが、聞きとがめたり、見とがめたりすることもなく、ただ、例の尺八の時だけが問題になるのだが、それだって、この家の一角に左様な人ありて、左様の曲を奏しているとは気がつかず、ただ、その音色《ねいろ》だけが問題になって、主《ぬし》はあらぬ方へ持って行って、かたづけられてしまうことが多いのであります。
 存在を忘れられるということは、死に近づいたことを意味するか、そうでなければ、生に充実しきって、たたいても、動かしても、音のする余地がない時のことでしょう。
 ひとり、この男のみは、死でもなく、生でもなく、存在の間《かん》に迷溺《めいでき》していること、昨日も、今日も、変りがありません。
 申し忘れたが、この一室にも、やはり角行燈《かくあんどん》の一基が、炬燵《こたつ》の彼方《かなた》に物わびしく控えていて、何か話しかければ物を言いたそうに、話しかけないでいれば、先方から物を言いたそうに、しょんぼりと控えていることであります。
 尋常ならば、その物欲しげな、ぽっかり[#「ぽっかり」に傍点]とあいた口へ火が入って、待ってましたといわぬばかり、ぽっかりと明るくなる時分なのですが、自分の存在にさえ無頓着なこの室の主人が、行燈の存在などに、かまっていられるはずがありません。
 冷遇せられたる行燈――これもまた天下にみじめ[#「みじめ」に傍点]なものの一つであります。清少納言は、すさまじきものの中に「火おこさぬ火桶《ひおけ》」を数えているが、夕暮になって火の入らぬ行燈は、それよりも一層、すさまじいものかも知れません。
 その、すさまじい行燈でさえが、無聊《ぶりょう》と、冷遇と、閑却と、無視との間に、何か一応の怨言《うらみごと》をさしはさんでみようとして、それで何を恐れてか、それを言い煩《わずろ》うているほどに荒涼なこの一室。つまり、本来ならば、行燈そのものが化けて出そうなこの夕暮に、御当物《ごとうぶつ》が化けそこのうて、身動きもできないで、しょんぼりとすくんでいるこの笑止さが、話にも、絵にもならないのです。
 室の主人は、今、腕組みをしている手
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