と、この室はいとど閑寂《かんじゃく》ですが、二三間を隔てた、あとの二人連れのさむらいの部屋では、カラカラと高笑いがしたり、話に興が乗ったり、罵《ののし》ったり、噪《さわ》いだり、あざけったり、議論を闘わせたりするようなのが、ひときわ耳に立ちました。至極元気のよい人たちだが、そのわりに騒々しくないのはところがらかと思いました。
 しかし、聞いていると気のせいか、二人ばかりであるべきはずの、また事実二人ばかりであるところの、二人の元気な会話の間へ、ちょいちょい女の声が入ります。
 何と言っているのだかわからないが、二人が無遠慮に高話をしている間へ、女が何か言って、ちょいちょい口をはさんでは、甘えてみたり、お酌《しゃく》でもしてみたり、そうかといえば、軽くからかわれて笑ったり、手きびしいいたずらをされて、きゃっきゃっというて振りもぎっているような空気と、調子が、お雪の耳についてなりません。
 最初のうちは、無論、それを自分の僻耳《ひがみみ》とばかり、問題にはしませんでしたが、あんまり長く続くものですから、お雪もようやく気になり出してきました。
 あの二人が酒を飲み合って、高話をしている中に、たしかに女の人が一人、とり持ちをしているに相違ない――どうしても、そうとしか受取れない空気の動揺を、お雪が感得せずにはおられませんでした。
 もしやあの人たちは、女子衆《おなごしゅ》をお連れになって来ているのではないか、とさえ疑われたものですから、お雪は、炬燵《こたつ》の中へ手を入れたままで、我を忘れて、その音を聞取ろうとしました。
 つまり、あのお二人の中に女が立交っているとすれば、それはいかなる女であるか。また、はっきりとは聞取れないが、何かしきりに二人の間へ調子を合わせているあの言葉、あれは何と言っているのだか、それを明らかに聞取りたいものだと、お雪は息をひそめて、耳をすましましたが、どうも、たよりのないことには、空気と、調子はそれだが、音そのものが何を言っているのだか、その単語の一つさえ、はっきりと聞取れないのが、もどかしくてたまりません。
 そこで、自分の耳のうちに起る幻覚として、それを打消しながら聞いていると、まさに男性二人だけの言葉で、それは、単語もはっきりと聞取れるが、暫くすると、また混線して、その間へ、何とも聞取れない女声《じょせい》の呂律《ろれつ》が入り来《きた》るのを如何《いかん》ともすることができません。
 お雪は、そのことで幻覚に陥っているうちに、つい、いい心持になりました。
 いい心持になって、炬燵にいるうちに、なんとなく泣きたい気持になりました。
 ここで思う存分泣いてみたいような気になっていると、隣室の幻覚のことも耳には入らず、他人の座敷を、わが物顔に、帰ることを忘れているのも気がつかず、なんとなしに、思う存分、甘い涙にひたって、泣けるだけ泣いてみたいような気分で、炬燵に頬をうずめてしまいました。
 ですから、隣室の幻覚は、もうその時分に消え失せて、二人の高話も、ふっとやみ、その中に妙にからまった女の音もきれいに消えてしまい、今までの喧噪《けんそう》が、あるかなきかの世界に変ってしまったことも、とんと気がつかずに、夢のようにしていると、不意に背後に、衣摺《きぬず》れの音がしたかと思うと、早くも、自分の両の眼を、後ろから目かくしをしてしまったものがあります。
「あれ、まあ、どなたですか」
 お雪は全く驚き呆《あき》れてしまいました。
 今までこの宿中で、かなり誰にも親しくしていたが、その親しみというものは、おのずから限界というものがあって、未《いま》だかつて、こうまで無作法になれ親しまれたものはないはずです。
 後ろから不意に目かくしをして、当人の相当に驚き呆れるのを見すました上で、当ててごらんとかなんとかいったり、いわなかったりして後、パーッと蓋《ふた》をあけて納まりをつける新しくもない悪戯《いたずら》。子供の時分なら知らぬこと、無邪気にしても、あんまり人をばかにしている。むしろ乱暴でもあり、無礼でもある。お雪の驚き呆《あき》れて狼狽《ろうばい》するのみならず、その狼狽に、憤慨の勢いを加えたのもぜひがないことです。
「ごじょうだんをなすってはいけません」
 目をおさえられながら、それはむしろ叱責するような声でありましたが、後ろの人はなんにも言わず、まして手を緩《ゆる》めようとも、放そうともしません。多分、面《おもて》には舌を吐いて、ニヤニヤ笑っていることでしょう。
「お放し下さい」
 お雪は烈しく首を振りましたけれど、その押えている手というのが、やさしいいたずらでやみそうなやさしい手ではなく、革のように硬《かた》い、大きな掌で、そのくせ、死人のように冷たい手でありました。
「ほんとに、どなたですか、ごじょうだんをあそばしてはいけません、どうぞお放し下さい」
 お雪には、その押えられた手の主が誰であるか、見当がつかないらしい。
 ここには多くの男性がいる。否、自分一人を除いては、すべては男性であって、そのうちにはかなり異種類の人が雑居しているのだから、そのうちの誰の手と見当のつけようのないのもぜひがないでしょう。
 しかしながら、池田良斎の一行の人たちの中には、かりにもこんな無作法な人はひとりも無い。留守番や、猟師たちの人は、質朴な山気質《やまかたぎ》の人たちで、自分たちに一目も二目もおいて、敬意を表していようとも、こんな無作法を働く人はひとりもない。
 当惑の限りを尽したお雪は、大きな声で叫びを立てて、救いを求めようかとさえ思いました。

 しかし当座のいたずらでするものを、そうまでするも、たしなみがなさ過ぎるように思って我慢をし、
「どうぞお放し下さい」
「は、は、は、は」
と、はじめて高笑いしたが、手はまだ放そうとしないから、
「お放し下さらなければ、人を呼んで助けていただきますよ」
「は、は、は、は、誰だかわかりますか」
 その声は太い声でしたが、それでもまだ思いあてることができない。
「わかりません――どうぞ、お放し下さいまし、ね」
「は、は、は、驚きましたか」
 ここに至って手を放して、突き出した面《かお》を見ると、それは問題の仏頂寺弥助でありました。
 お雪は、仏頂寺の面を見てゾッとしました。
 もう少しおきゃんな子であったら、いきなり仏頂寺の面《つら》をハリ飛ばしたかも知れません。寛容なお雪にしては珍しいほど、憎悪の念が、この時にこみ上げて来ましたが、その次には、ほとんど座にたまらぬほど、恐怖の念さえ加わってきましたものですから、
「どうも失礼しました、御免下さいまし」
と自分がわびて、火のしを持って立とうとするのを、仏頂寺が、
「まあ、よいではないか、取って食おうとも言やしませんよ」
 それでもお雪は、取って食われるより怖ろしくなったが、幸いなことに、その時、廊下で足音がしたのは多分、この部屋のあるじ、宇津木兵馬が立戻って来たのでしょう――そのすきを見てお雪は、むしゃくしゃにこの座敷を飛び出してしまいました。
 仏頂寺弥助は、その時、もうすっかり旅の仕度《したく》をしておりました。
 お雪が逃げ出したあとへ、入違いに入って来た宇津木兵馬を見て、
「宇津木、さあ出立しよう」
「おや、もう帰るのか」
「こんなところに、いつまで愚図愚図していても仕方があるまい、立つときまったら早い方がいい」
「それでも、あんまりあわただしい」
「そのうちに大雪でもあると、おっくうだからな、一時《いっとき》でも早い方がよろしい」
「うむ、それにしても明朝でよかろうではないか、今晩一夜を明かして、明朝早立ちとしたらどんなものか、拙者の方にも、これでまだ相当に仕度というものがある」
「われわれは、その今晩一夜がいやなのだ、今のうちに立ってしまいたい」
「何をそんなに、急にいやけがさしたのか」
「ここに逗留《とうりゅう》の奴等が、どうも気に食わない、イヤな眼附でわれわれを見る、さもわれわれの素性《すじょう》を知り抜いているような目つきで、われわれを見るのが癪《しゃく》だ」
「えらく、小さなことを気にしだしたな」
「それともう一つ、夜中になると聞え出す、あの尺八が癇《かん》にさわってたまらない」
「ははあ、貴殿たちに似合わない、人の眼附を気にしだしたり、尺八の音を耳ざわりにしたり、まるで神経衰弱の気味だ」
「空気が違うから気に食わんのだ、イヤに一癖ありそうな冬籠《ふゆごも》りの奴等ではある、妙に身を落してはいるが、イヤに学者|面《づら》が鼻の先にブラ下がって、われわれを見下げるような面附《つらつき》が気に食わん」
「それは君たちのひがみだろう、そう悪い人たちばかりではない」
「それに、今晩、またあの尺八を聞かされては眠れるものでない、なんだか冥府《みょうふ》へでも引きこまれるように、妙に気が滅入《めい》ってたまらなかった、今晩、またあれを聞かされては本当にたまらないから、逃げ出すのだ」
「しかし、拙者の方は、そう一夜を争うほどの差しさわりは何もないのだから、明日出立のこととしましょう、諸君、たって出立なさるなら、遠慮なく一足お先へ」
と兵馬が言いました。
「では、丸山もその気でいるから、一足お先へごめん蒙《こうむ》るとしよう……そうしても君も一旦、松本へ出るだろうな。松本へ出たら、浅間へ来給え、ともかく、あれで待合わすと致そう」
「拙者の方は、しかとお約束はできない」
「浅間でいけなければ、甲州の有野村へ来給え、あそこで君を待っている人がある、有野村の藤原家の娘が、君を待ちわびているはずだ、よろしく」
「それもお約束はできない、御縁があらば、そのうち、いずれかで逢いましょう」
「時に宇津木君、君は路用を持っているか、用意があればさしつかえないが、もし手元不如意だったら、遠慮なく言ってくれ給え」
 これは不思議である。
 兵馬の方へ無心の出そうな面が、かえって、先方から勝手元を志願して出る。

         十四

 宇津木兵馬は、二人を先へ立たせてしまう方がかえって安心だと思いました。
 彼等が今日立ってしまったあと、自分は、ひとり悠々《ゆうゆう》と志す方へ旅立ったほうがよろしい。
 ただ一つ心配なのは、今夜のうちにも例の大雪でもあって、道が塞《ふさ》がった日にはことだが、まだそうたいしたことはあるまい。
 昔、佐々成政《さっさなりまさ》は雪中を、さらさら越えをして東海道へ出たという例もある。
 ところが様子を見ていると、一刻も早く、一時も早くと、いらだつように見えた仏頂寺と、丸山が、容易に立つ気色《けしき》はなく、またも御輿《みこし》を据えて、鶏肉の残りかなにかで飲直しの体《てい》ですから、さあ、またぶり返した、あの亡者連ときた日には、ほとんど捉まえどころがない、この分では後から立つといった自分の方が、先発をするようなことになろうかも知れぬ。
 どちらでもかまわぬ。自分としては、彼等に附きまとわれず、一人旅さえできれば結句それで満足だが、あとに残された彼等と、それから従来の冬籠《ふゆごも》りの連中との間の、意志と、感情との疎通《そつう》ぶりを考えてみると、どうも安んぜられないものがある。
 従来の客に対して、どうも気に食わない、気に食わないと、仏頂寺らが口癖のように言っている。尺八の音までも目の敵《かたき》にしている様子だ。
 この分で、双方が、相当の期間居残る間には、感情の行違いが嵩《こう》じて、風、楼に満つるといったような形勢にならねばよい、どうも、そうなるにきまっているらしい。
 仏頂寺、丸山は名うての者、逗留《とうりゅう》の冬籠りの連中も、それよりは異なった意味において、一癖も、二癖もありそうだから、無事では済むまい。兵馬は当然の順序として、その事を気にしないわけにはゆきません。
 しかし、それも、自分というものがおれば、いくらかその間に緩和剤ともなり得るが、自分が去ってしまえば、安全弁を抜きっぱなしで行くようなものだから、心もとない限りだ。
 どちらに廻っても厄介者だ――と兵馬は、苦《にが》りきっ
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