と、どこへ行ったか姿が見えないことがあります。
 それでも気にしないでいると、いつのまにか、おだやかに戻っていて、やがて尺八の音《ね》がしだしたりするものだから安心します。
 お雪と、久助にさえ、存在を忘れられるくらいだから、まして同宿のほかのものが、聞きとがめたり、見とがめたりすることもなく、ただ、例の尺八の時だけが問題になるのだが、それだって、この家の一角に左様な人ありて、左様の曲を奏しているとは気がつかず、ただ、その音色《ねいろ》だけが問題になって、主《ぬし》はあらぬ方へ持って行って、かたづけられてしまうことが多いのであります。
 存在を忘れられるということは、死に近づいたことを意味するか、そうでなければ、生に充実しきって、たたいても、動かしても、音のする余地がない時のことでしょう。
 ひとり、この男のみは、死でもなく、生でもなく、存在の間《かん》に迷溺《めいでき》していること、昨日も、今日も、変りがありません。
 申し忘れたが、この一室にも、やはり角行燈《かくあんどん》の一基が、炬燵《こたつ》の彼方《かなた》に物わびしく控えていて、何か話しかければ物を言いたそうに、話しかけない
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