し、普化禅師の用いた鈴の代りにその洞簫を用うることにした、それが鈴慕の起りである――と斯様《かよう》に教えて下さいました時、またしても出過者の私が、それではあの鈴慕は張伯の鈴慕でございますか、と尋ねました。つまり私の心持では、鈴慕は臨済大師の鈴慕か、普化禅師の鈴慕か、ただしはその張伯という方の鈴慕か、ぜひともそれがお聞き申してみたかったのですが、私のたずね方が要領を得なかったせいでしょう、かえって私が叱られてしまいました。ところが今晩になってみますと、そんなことをしつこくたずね廻った私というものの愚かさが、つくづくと身に沁《し》みて参りました」
「どうです、傷は痛みますか」
とピグミーが言いました。
「別段、痛みはしませんが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんともございませんが、どうかすると、弁信さん、お前は大変な怪我をしているではないか、肩から左の脇腹まで、袈裟《けさ》がけに刀を浴びせられていますね、よくその傷が治《なお》りましたねえ、痛みはしませんか、とこう言われて、はじめて私が驚くのでございます。私自身にはなんとも、
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