とみなされちまいますからね。文字の威力よりも、習慣の惰性《だせい》が怖ろしいということになります」
村田が、一応こんな弁解を試みたことだけでも、すでに普通の神楽師でないことがわかり、或いは神楽師を標榜《ひょうぼう》して、世を忍ぶやから[#「やから」に傍点]ではないか、そうだとすれば、時節柄、意外の人材が隠れていないものでもない、つきあい様によっては、話しようによっては、存外の得るところがあるかも知れぬ、とにかく、この一行は、いずれはただ者ではないように、この時、兵馬が考えてしまいました。
「そうでしょうとも、神前に奉仕する意味の神楽と、徒《いたず》らに俗情に媚《こ》ぶるみせものの類《たぐい》とは、質を異にせねばなりません。それはそれとしまして、あなた方の御一行のほかの客人は、皆、御存知よりのお方でございますか」
「われわれのほかの一組は――あの婦人の加わっている一行ですな、あれは都合四人とか聞きましたが、ここへ来て初めての知合いです」
話半ばのところへ、久助が入って来ました。
久助は、お雪一行と上野原から来たものですから、本来ならば、あの時分、兵馬を見知っていなければならないのですが、ちょうど、面会の機会がありませんでしたから、この場へ入って来ても、おたがいに他人で、久助がまずていねい[#「ていねい」に傍点]に一座にあいさつをし、他の者がそれに会釈《えしゃく》をしたというようなあんばいで話が進むと、村田が、
「久助さん、お雪ちゃんはこのごろ、ちっともここへ出て来ませんな」
と言いました。
「はい、何かと忙しそうにしていますから」
と久助が答える。
お雪ちゃんという名前だけでも、兵馬に思い出があるといえばあるのですが、お雪ちゃんという名前は、月見寺に限ったわけのものではなし、ここで兵馬が、特にその名にひっかかる理由もありません。
程経て兵馬が久助に向い、
「あなたは、どちらからおいでですか」
とたずねました。それはこの男こそ、例の五人の神楽師の一行のほかだと見たからのことでしょう。そこで久助は、
「わしどもは、甲州の郡内《ぐんない》の方から参りました」
「甲州の郡内……」
「はい」
「郡内はどこですか」
「ええ、谷村《やむら》でございます」
「そうですか」
ここで久助が、郡内は上野原でございます、上野原の月見寺でございます――といわないで、谷村と言ったのが幸いでした。最初から多少の用心をして、わざと上野原や、月見寺を、表に出さないことに申し合わせていたのですが、久助の本来の生れ所が、その谷村なんですから、不自然はありません。
「旦那様は、どちらからおいでになりました」
今度は久助から、極めて自然に、またていねい[#「ていねい」に傍点]に、兵馬の来《きた》るところを儀礼的にたずねてみたものです。
「拙者は、もとは江戸ですが、諸国を歩いて、昨日松本から、これへやって来ました」
「左様でございますか」
久助は、こくめいに頭を下げると、村田が引取って、
「時に、あなた様は武者修行ですか」
と兵馬に、これもはじめて反問を試むると、兵馬も心得て、
「まあ、武者修行と申せば、武者修行のようなものでございましょう、未熟ながら、剣術稽古を兼ねての諸国の旅です」
剣術修行を兼ねて仇討《あだうち》の旅でございます、とも言えないから、素直にこう言うと、村田が、
「ははあ、それはお若いに御殊勝のことでございますな。剣術は河流を御修行でございますか」
「直心陰《じきしんかげ》を少しばかり習いました、それと、槍を少々教わった覚えがあるばかりですが、武術は本来、好きには好きです」
「好きこそ物の上手なれで、さだめて鍛錬のこととお察し申しますが、柔術の方はいかがでございます、柔術は……」
「あれはまだ、一指を染める暇がないというわけでございます、習いたいは山々ですが、一方でさえ物にするには、なかなかの苦心と、時間とを要します」
「御尤《ごもっと》もです――では、さだめて居合《いあい》の方は……」
「それも物になっておりませんが、諸流をホンの少しずつ、手ほどきを見せていただきました」
「御謙遜のお言葉でお察し申しますと、失礼ながらあなたは、なかなかお出来になりますね」
と村田が言いました。兵馬は、最初からこの村田を異《い》なりとしていたところですから、かえって、
「いや、あなたこそ、拙者共に対する御質問がいちいち要所に当って、先輩に試験を受けているような気がしないでもござりませぬ、いろいろとお話が承りたいものでございます」
そこで、村田と兵馬との間に、武術の話がはずみました。
話がはずむにつれて村田が、大極流の兵法のことを、兵馬に向って聞かせたのが耳新しくあります。
大極流の兵法には、棒も、剣も、槍も、拳法も、捕縄《とりなわ》も、忍びの術ま
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