しまい》を自慢にしてはいるが、尺八を吹くといったことを聞かない」
「中口ではありませんか」
「中口は、腰折れの悪口こそは言うが、尺八などはわからない男だ」
「そのほかに、われわれの同勢では、あれだけに尺八を吹ける男はありませんね」
「そうさ、もし、ここに君がいなければ、あれは北原だ、と誰も信じて疑わないところだが、あいにく、その当人がここにいてみればなあ」
「今まで、時々、尺八の音が聞えたようでしたが、われわれ仲間の誰かのすさびと思うて、さまで気にも留めませんでしたが、今日という今日は問題です、あの尺八の主《ぬし》が疑問ですよ」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]の君が聞いて、問題になるほどの腕がありますか」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]は恐れ入りましたが、今のはかけ出し[#「かけ出し」に傍点]のわれわれを動かすだけの味は十分です。だが、あれとても決して、くろうとの吹き方ではありませんでしたね。といって、全くのしろうとではありません」
「どうだい、君、ひとつ、ここで合わせてみたらどうだ、ちょうど、そこに一管がある、君の堪能《たんのう》でひとつ、返しを吹いて見給え」
といって池田良斎は、壁の一隅に立てかけてあった一管の笛に眼をとめました。
誰か湯治客がこの辺で竹を取って、湯治中の消閑《しょうかん》に、手細工を試みたものでしょう。それを北原に取らせようと慫慂《しょうよう》するのを、北原は首を左右に振って、
「いけません、物笑いですから、よしましょうよ」
と受けつけませんでした。本来、北原賢次は、あまり遠慮をしない男で、所望に応じては、ずいぶん臆面なく吹く方ですが、この時は、なにゆえか謙遜してしまいました。
「君にも似合わない」
と良斎から言われても、北原は、
「及びもつかないことです」
と打消しました。
「いやに、イジけてしまったね」
と追究されても、北原は意地を張らず、
「真打《しんう》ちが出てしまったあとに、ヘボが、わがものがおに飛び出すほど、お笑い草はないでしょう。昔、観世太夫が……」
北原が、自分の笛を吹かない申しわけに、観世太夫へ尻を持って行くのは飛び離れている、と良斎が思いました。
「観世太夫が、ある時、客に伴われて、とある温泉に逗留《とうりゅう》したことがあったと思召《おぼしめ》せ、その隣室に謡好きがあって、朝夕やかましくてたまらないものだから、太夫が客に向って曰《いわ》く、あの謡をやめさせてみましょうか、どうぞ頼む――そこで観世太夫が朗々として一曲を試むると、隣室の謡がパッタリと止まった、その日も、その翌日も、それより以来、隣室では謡の声が起らない――しかるところ、数日して隣室の客が代ると、また謡がはじまった、太夫殿、あれをひとつ頼む、先日の伝であれを退治してもらえまいか、太夫、答えて曰《いわ》く、あれはいけませぬ、どうして……先日のは下手《へた》といえども、自ら恥ずることを知るだけの力が出来ている、今度のは言語道断……恥というものを知らないから、拙者の謡を聞いても、逃げないで一層のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上るに相違ない」
という話を、北原賢次が、池田良斎に向って物語ると、良斎が、
「全く世に度し難きは己《おの》れを知らざる者と、恥を知らざる者共だ」
哄然《こうぜん》として笑いました。
これでもか、これでもか、といよいよすりよって、いよいよその醜があがる。御本人は気がつかないで、そばで見ている時に、気の毒と、滑稽とがあるのみだ。
望まれて、尺八を取ろうともしない北原賢次は、それでも己れを知るゆか[#「ゆか」に傍点]しさがあろうというものである。
その時、外の戸を、ホトホトとたたいたものがあります。
「たのみます、おたのみ申します」
これが盛りの時であったなら、戸をたたいたり、案内を乞《こ》うたりするまでのことはないはずなのが、空屋《あきや》同然の今の場合では、それでも容易に応ずる者が無いものですから、
「たのむ――」
と声も高くなり、たたく音も強くなりましたから、北原賢次が聞咎《ききとが》めて、
「誰だい」
といって、立とうとはしません。多分、山へ行った猟師が戻ったものだろう、とは思ったが、猟師ならば、頼むも、頼まないもあったものではない、大戸をあけて、ここへ入り込んで、両足を炉縁《ろぶち》に踏込みながら、獲物《えもの》の自慢話をはじめるのが例になっている。
「どなたもおられぬか――案内をたのみますぞや」
「はてな」
全く、この冬籠《ふゆごも》りの一座には、聞きなれぬところの声であるから、北原賢次が、ようやく身を起しかけました。
「おかしいな、全くふり[#「ふり」に傍点]のお客らしいが……出てみよう」
ともかくも、一番先にそれを耳にした人に、出て応対をしてみる責めがあると観念して、北原は立
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