落しでは、どうも火持ちが悪うござんすからな」
その時に、会話を中止して、こちらを見ていた村田が、
「お雪さん、あなた、このごろどうかなさいましたか、ちっとも姿を見せないじゃありませんか」
「いいえ、どうも致しません」
「今、皆さんで、あなた方の噂《うわさ》をしていたところです、ちと、お話しなさいましな」
「有難うございます」
「あまり遠慮をなさってはいけません」
「遠慮なんて、しやしませんけれど」
「では、少しお話しなさい」
それでも、お雪は入ろうとしないで、例の薄暗いところに立ち姿の半身で、あるが如く、なきが如くに、しおらしいものであります。
ここでは、すすめられても遠慮をしているくせに、一方では、頼まれないのに、部屋部屋の火の心配までして、ほとんど女中代りの世話まで好んでして歩くものらしい。
宇津木兵馬も、その時、そう思いました。自分の部屋も、自分が立つまでには、そんなでもなかったが、そのあとで、この娘さんがしらべてみた時分には、炬燵《こたつ》の火が消えてしまっていたのかしら。そこまで気を利《き》かせてくれているこの娘さんの、相変らず行届いた親切ぶりが、宿の人でないだけに、感謝の至りと思わずにはおられません。
しかし、この際、こうして入りもせず、去りもしないお雪の遠慮が、一座の気合を殺《そ》ぐことはかなり夥《おびただ》しいものですが、村田がそのバツを合わせるように、兵馬に向って話をつづけて言いました、
「あなたのお連れだといって、あとからおいでになった方も、やはり、武術修行の仁《じん》とお見受け申します」
「いかにもお察しの通り、一人は仏頂寺弥助でございます」
「なるほど」
村田がうなずきました。うなずいたところを見ると、村田も以前から、仏頂寺の名を聞き知っていたのかしら。或いは時の調子で、お座なりにバツを合わせたのかしら。そこで兵馬も漫然と、
「あとで御紹介いたしましょう」
と附け加えました。
「仏頂寺弥助という御仁《ごじん》は知りませんが、仏生寺弥助殿なら承っております」
と村田がいう。
「同名異人であるかも知れません」
「しかし、その仏生寺弥助殿ならば、先年、京都で殺されているはずです」
「そうでしたか」
「斎藤篤信斎の甥《おい》に当りますかね」
「ははあ」
「そもそも斎藤弥九郎先生が、越中国氷見郡仏生寺村というのに生れたのですから、その村名を取っていただく弥助殿、ことに弥九郎の弥、弥助の弥、通《かよ》っているようですから、甥でないまでも、親戚かなにかであるには相違なかろうと思います」
村田寛一がこう言ったものですから、兵馬も考え出して、
「そこまでは究《きわ》めてみませんでしたが、斎藤先生の門下であり、流儀が神道無念流であることは、争われません」
「稽古はどうですか、業《わざ》は」
「それは確かなものです、練兵館の仕込みですから、隙間《すきま》はありません」
「して、人間はどうです、人物は……」
「さあ……」
と兵馬が腕を組みました。
正直のところ人物は感心しない。感心しないけれども、兵馬として、それを露骨に言ってしまいたくないような気がする。かりにも、同行の友人のアラを言うことが忍びないような気がする。そうかといって、人格清明、志気高邁《しきこうまい》と、そらぞらしいおてんたらを並べるわけにもゆかない。それを村田が引受けて、
「あまりよくないでしょう」
「そういえばそうです、惜しいものですね、あれだけの腕を持ちながら」
「仏頂寺弥助と仏生寺弥助とが、どれほど違うか知りませんが、その仏生寺殿の方は練兵館の方から勇士組として選抜されて、長州へやられた時分に、京都でよからぬ行いがあったということで、同志の者から、殺されたということを聞いております」
「ははあ、それほどの手練を、誰が、どうして殺しましたかしら」
「京都で悪事をやった勇士組のうちの三人は、この仏生寺弥助と、高部弥三雄というのと、三戸谷一馬というのと三人でした。本来、この勇士組というのが、毛利の若殿の頼みを受けて、斎藤篤信斎が、自分の手から壮士を集めて送ったもので、いずれも錚々《そうそう》たる腕利《うでき》きであり、下関《しものせき》砲撃の時などは大いに働いたものですが、以上の三人が悪い事をして、体面上容赦がならぬというところから、同志の者で斬って捨てようとしたが、相手が尋常でないから用心して、ことに仏生寺弥助は、遊女屋へ誘って行って、酒を飲まして、だまして縛ったということを聞きました。それを高部と、三戸谷が知って、鴨川原へ逃げ出したところを、北村北辰斎が追いかけて、川原で斬合ったが、なにしろ相手が相手ですから、北辰斎も不覚を取って、小手を斬られて太刀《たち》を取落したが、それでも片手で脇差を抜いて受留め受留めして、すでに危ういところへ、篤信
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