太夫が客に向って曰《いわ》く、あの謡をやめさせてみましょうか、どうぞ頼む――そこで観世太夫が朗々として一曲を試むると、隣室の謡がパッタリと止まった、その日も、その翌日も、それより以来、隣室では謡の声が起らない――しかるところ、数日して隣室の客が代ると、また謡がはじまった、太夫殿、あれをひとつ頼む、先日の伝であれを退治してもらえまいか、太夫、答えて曰《いわ》く、あれはいけませぬ、どうして……先日のは下手《へた》といえども、自ら恥ずることを知るだけの力が出来ている、今度のは言語道断……恥というものを知らないから、拙者の謡を聞いても、逃げないで一層のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上るに相違ない」
という話を、北原賢次が、池田良斎に向って物語ると、良斎が、
「全く世に度し難きは己《おの》れを知らざる者と、恥を知らざる者共だ」
 哄然《こうぜん》として笑いました。
 これでもか、これでもか、といよいよすりよって、いよいよその醜があがる。御本人は気がつかないで、そばで見ている時に、気の毒と、滑稽とがあるのみだ。
 望まれて、尺八を取ろうともしない北原賢次は、それでも己れを知るゆか[#「ゆか」に傍点]しさがあろうというものである。
 その時、外の戸を、ホトホトとたたいたものがあります。
「たのみます、おたのみ申します」
 これが盛りの時であったなら、戸をたたいたり、案内を乞《こ》うたりするまでのことはないはずなのが、空屋《あきや》同然の今の場合では、それでも容易に応ずる者が無いものですから、
「たのむ――」
と声も高くなり、たたく音も強くなりましたから、北原賢次が聞咎《ききとが》めて、
「誰だい」
といって、立とうとはしません。多分、山へ行った猟師が戻ったものだろう、とは思ったが、猟師ならば、頼むも、頼まないもあったものではない、大戸をあけて、ここへ入り込んで、両足を炉縁《ろぶち》に踏込みながら、獲物《えもの》の自慢話をはじめるのが例になっている。
「どなたもおられぬか――案内をたのみますぞや」
「はてな」
 全く、この冬籠《ふゆごも》りの一座には、聞きなれぬところの声であるから、北原賢次が、ようやく身を起しかけました。
「おかしいな、全くふり[#「ふり」に傍点]のお客らしいが……出てみよう」
 ともかくも、一番先にそれを耳にした人に、出て応対をしてみる責めがあると観念して、北原は立
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