取っていただく弥助殿、ことに弥九郎の弥、弥助の弥、通《かよ》っているようですから、甥でないまでも、親戚かなにかであるには相違なかろうと思います」
 村田寛一がこう言ったものですから、兵馬も考え出して、
「そこまでは究《きわ》めてみませんでしたが、斎藤先生の門下であり、流儀が神道無念流であることは、争われません」
「稽古はどうですか、業《わざ》は」
「それは確かなものです、練兵館の仕込みですから、隙間《すきま》はありません」
「して、人間はどうです、人物は……」
「さあ……」
と兵馬が腕を組みました。
 正直のところ人物は感心しない。感心しないけれども、兵馬として、それを露骨に言ってしまいたくないような気がする。かりにも、同行の友人のアラを言うことが忍びないような気がする。そうかといって、人格清明、志気高邁《しきこうまい》と、そらぞらしいおてんたらを並べるわけにもゆかない。それを村田が引受けて、
「あまりよくないでしょう」
「そういえばそうです、惜しいものですね、あれだけの腕を持ちながら」
「仏頂寺弥助と仏生寺弥助とが、どれほど違うか知りませんが、その仏生寺殿の方は練兵館の方から勇士組として選抜されて、長州へやられた時分に、京都でよからぬ行いがあったということで、同志の者から、殺されたということを聞いております」
「ははあ、それほどの手練を、誰が、どうして殺しましたかしら」
「京都で悪事をやった勇士組のうちの三人は、この仏生寺弥助と、高部弥三雄というのと、三戸谷一馬というのと三人でした。本来、この勇士組というのが、毛利の若殿の頼みを受けて、斎藤篤信斎が、自分の手から壮士を集めて送ったもので、いずれも錚々《そうそう》たる腕利《うでき》きであり、下関《しものせき》砲撃の時などは大いに働いたものですが、以上の三人が悪い事をして、体面上容赦がならぬというところから、同志の者で斬って捨てようとしたが、相手が尋常でないから用心して、ことに仏生寺弥助は、遊女屋へ誘って行って、酒を飲まして、だまして縛ったということを聞きました。それを高部と、三戸谷が知って、鴨川原へ逃げ出したところを、北村北辰斎が追いかけて、川原で斬合ったが、なにしろ相手が相手ですから、北辰斎も不覚を取って、小手を斬られて太刀《たち》を取落したが、それでも片手で脇差を抜いて受留め受留めして、すでに危ういところへ、篤信
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