医道の二柱の神として祭るものが出て来ること請合《うけあ》いです」
「そう言われると、ちっとばかり恥かしいのさ、徳本は、拙者の先輩だが、道三の三喜におけるが如き出藍《しゅつらん》ぶりがねえから、お恥かしいよ」
そうして、門前につないでおいた馬に跨《また》がろうとした時に、弾丸の如く走《は》せ来《きた》って、飛びついたものがあります。
「先生、いいかげんのことがいいぞ」
やにわに飛びつかれたので道庵は、一たまりもなく、馬からころげ落ちてしまいました。
馬から転げ落ちた道庵を、土まで落ちない先に受け留めた米友は、それを馬の背の上へ押し乗せて、自分がその口を取って走るというよりは、馬の口にブラ下がって走りました。
こうして米友が、川岸の溺死人の騒ぎ場へ道庵を連れ込んだのは、長い時間の後のことではありません。
現場へつれて来られてから後の、道庵先生の働きぶり。
道庵はまず、かけつけて、畳をむしりこわしたりなんぞして、藁火《わらび》を焚《た》いて、溺死人をあぶって騒いでいるのを押しわけて、その被害者を一応診察して、助かるべきものか、助かるべからざるものかを検断して、これは助かるという見込みをつけました。
「肛門から出血もしていないし、手足も硬直しているというわけではない、水は飲んでいるが、そう多分のことはない、多分のことはないが、それを吐かせきってしまうのが急務だと考える」
こう考えたものでしたから、米友をして、この溺死人の両足を肩にかけて、充分に身をかがめさせて、二十間ほど走らせました。そこで溺死人が、飲んだ限りの水をブクブクと吐きつくしてしまった時、米友が、また以前の場所に立戻った時は、死人は立派に生き返っておりました。
その一方、道庵は土地の人を指図して、河原の砂の上に火をたいて、暖かくしておいて、その上に被害者を寝かせて、なお砂を火であぶらせて、その熱いのを、別府の浜の砂湯でするように、被害者の五体の上へ、眼と口だけを残して覆いかけました。
そうして、一ぷくしている間に釣台が出来たものですから、すっかり元気を回復した被害者を、ともかくそれに載せて、最寄《もよ》りの人家まで運ばせることにしました。
誰も、この時の道庵の扱いぶりの洒々落々《しゃしゃらくらく》として、手に入り過ぎて、人を食った振舞を見て、餅屋は餅屋だと思わぬ者はありません。
米友は、道庵に心服しておりながらも、どうかすると、そのいけずうずうしいことに業《ごう》を煮やすことはありながら、人命を扱うことにおいて、茶飯を食うような手軽さと、周到にして抜かりのなかりそうな用意のほどを見ると、おらが先生はエライ、と舌を捲かないということはありません。
道庵はこれだけの仕事を、極めて無雑作に済まして、それから、焚火の傍へよって、かます入の煙管《きせる》を取出して火の中へつっ込み、しゃがみ腰になって、一ぷくつけてすまし込んでいると、そこへ人気が立ち上りました。
当座の人気とは言いながら、さほどの名医が来合わせたということが、稲妻《いなずま》のように宿の上下にひろがったと見え、ぜひ一度、先生に来てみていただきたい、先生に見ていただきさえすれば、病人がその晩に死んでも心残りはないという注文である。先生、お急ぎでなければ、拙者は信州の飯田の者でござるが、飯田まで御足労が願えますまいか――と申し出でる者もある。今晩はぜひ手前共へお泊り下さるようにと、招待の競争が起る。
しかし、最も多くの感謝と、尊敬とを払っていたものは、現に被害者を出して救われたところの、尾州家の木曾の御料林の見廻りの役人たちです。
「先生は、上方見物の道中と、承ったが、苦しからずば、これより尾州名古屋へ道をお枉《ま》げになって、それから東海道方面を、上方上りをなされてはいかがでござる、尾州名古屋を一見なさるお志がござらば、われわれどもぜひ御案内を致したい」
これを聞いて道庵先生が、一途《いちず》に賛成をしてしまいました。
これはもとより、その志であったのです。先輩の弥次郎兵衛、喜多八が、東海道中膝栗毛なんぞと大きい口を利《き》きながら、源頼朝が生れ、太閤秀吉が出で、金のしゃちほこがあり、名古屋味噌が辛《から》く、宮重大根《みやしげだいこん》が太いところの尾張の名古屋を閑却しているのを、ヒドク憤慨していたところですから、一議におよばず、この勧誘に応じて、一行と共に尾張名古屋に乗込むことに相定めました。
三十
どこから来るともなく、真暗いところの真中で、弁信法師の声、
「モシ、お嬢様――」
と呼んで、暫《しばら》く休みました。
ここで、弁信がお嬢様と呼んだのは、それはお銀様のことでしょう。しかし、ここにはお嬢様の姿も見えないし、暫く待ってみても、その返事がないのですから、おそらくこの近いところに、呼びかけた当人はいないにきまっております。しかし、また、呼びかけた当人がいても、いなくても、弁信は、ふとその頭に上り来ったほどの人は、かたわらに在るが如く呼びかけるの習わしは、今に始まったことではありません。
「モシ、お嬢様、あなたはまた、何かおむつかりになっておいでになりますね、お腹立になっておいででございましょう、あなたが、烈しい憤怒《ふんぬ》の念に駆《か》られておいでになる有様が、私の前に、手に取るように浮んでいるのでございます――」
こういって弁信法師は、真暗い野原の中に耳を傾けて、また暫くは無言でおりました。別段、返事を期待しているとも見えないが、何か心には期するところがあるにはあるもののようです。
第一、ここは白根三山の麓《ふもと》、平野のまっただなかであるか、或いは平野と同じほどに広い藤原の庭内であるか、それすらもよくわかりません。しかし弁信の立っている地点は、屋外であることに間違いありません――絶叫してみたところで、そうは容易《たやす》く人の耳に触れるほどの距離ではないのであります。まして弁信の声は、怨《うら》むが如く、泣くが如く、憂《うれ》うるが如く、教うるが如き低音でありました。一向に返事のないことを予期して、そうして弁信が、おもむろに続けました。
「お嬢様、あなたが、むらむらと瞋恚《しんい》の炎を燃やして、身も、世もあられず、お怒りになるそのお心が、離れていても、ぴたりと私の胸に響いて参ります。あなたの胸に燃やしておいでになる憤怒のほのおが、遠く私の魂をも焼くのでございます。人間の煩悩《ぼんのう》妄想《もうそう》のうち、憤怒《ふんぬ》の一念ほど、人の魂を焼き亡ぼす力のあるものはございませぬ。その怖ろしい力のために、海の潮が満引《みちひき》をするように、あなたのお心のうちが、日夜に動揺致しますのを見るにつけ、どうぞして、そのお腹立を和《やわ》らげ、そのお憤りの心をしずめてお上げ申したいと、思わぬことはございません」
と言いながら、弁信はソロソロと歩みはじめました。
「あ、いけません、それが悪うございます、それですから、あなたのその憤怒の心に油が加わるばかりでございます、消えるどころではない、いよいよ燃え上るばかりでございます、そういうことをなさるから、それで……あなたの身と、魂が、ジリジリと燃焼して参り、やがてそれが、現在のあなたの総《すべ》てを亡ぼしてしまうのみならず、過去の功徳《くどく》をも、未来の果報をも、みんなその怒りの一念が、焼き亡ぼしてしまうのでございます、怖ろしいことではございませんか」
と言って弁信法師は、また立ちどまって、戦《おのの》きました。
「その瞋恚《しんい》というものは……」
弁信は見えぬ眼を上げて、高く、暗黒の空の一辺をながめ、
「瞋恚というのは、十種|煩悩《ぼんのう》の一つでございまして、また三毒の、その一つでございます。ひとたびこの煩悩の虜《とりこ》となり、この悪毒に触れまする時は、賢者も愚者となり、英明の人も混濁《こんだく》のやからとなり、英雄も弱者となり――数千劫《すせんごう》の功徳を積んだ聖僧でさえも、一朝の怒りのために、積薪を焼くが如く、その功徳を亡ぼしてしまいます。されば三界のうち、色界《しきかい》、無色界の二つの世界には、その怒りというものが無く、ただ欲界散乱のところにのみ、その怒りがあるのだそうでございます……千劫の間、積みたくわえた布施《ふせ》も、供養《くよう》も、善行も、一瞋恚の火によって、茅《かや》の如く焼き亡ぼされるということを、釈尊もお示しになりました――お嬢様、大抵の人は、憤怒は人から卑しめられ、或いは他より辱《はずか》しめられた時に起るのでございますが、あなたのは、人を卑しみ、人をのろうの心から起っていることを、私は蔭ながらお察し申しもし、また御同情も申し上げているのでございます」
弁信法師は、ソロソロと歩み出して、
「しかし、どちらに致しましても、忍《にん》の道は一つでございます、憤りを鎮《しず》めるの道は、忍の一字のほかにはあるものではございません、たとえ、大千世界を焼き亡ぼすの瞋恚の炎といえども、忍辱《にんにく》の二字が、それを消しとめて余りあるものではございます、どうぞ、お忍び下さいまし」
そこで、弁信はまた立ちどまって、方向の違った天の一角をながめました。ながめる形をしたのですから、天の一角に何があるか知れたものではありませんが、牛飼座《うしかいざ》あたりの星が一つ、真暗な天地に戸惑いをしたもののように、残されておりました。
「あらゆる戒行《かいぎょう》のうち、忍辱《にんにく》にまさる功徳《くどく》は無いと釈尊も仰せになりました。それにもかかわらず、忍べないのは正観《しょうかん》の智力が足りないからでございましょう、正しく物をみることの余裕を奪われたその瞬間から、憤怒の炎が吹き出して参るものでございます。雑念、妄想の世界を離れて、空無相の本体をごらんになれば、そこに怒るべき我もなく、怒りを移すべき人も無いはずではございませんか――」
弁信のひとり言は、ここで一段落になったけれども、言葉が終ると共に、弁信の鋭敏な頭のうちに、お銀様というものの姿がありありと現われました。
弁信は、お銀様というものには少しも悪意を持っていないのです。悪意を持つべきいわれもありませんけれど、親しく生活して、たがいに打ちとけ合ってゆくうちに、お銀様という女の人の性格に、非常にいいところのあるのを、何人よりも多く発見しているのが弁信であります。家の者全体が、その父親でさえが、腫物《はれもの》にさわるようにあしらっているお銀様という人を、弁信のみが、寛宏《かんこう》な、鷹揚《おうよう》な、そうして、趣味と、教養の、まことに広くして、豊かな、稀れに見る良き女性だと信じ、且つ親しむの念を加えてゆくことができるというのが、不思議です。
しかし、お銀様自身は事毎《ことごと》に弁信に向って、自分の形相の、悪鬼|外道《げどう》よりも怖ろしいことを説いて、それを怨《えん》ずる度毎に、例の瞋恚《しんい》のほむらというものに油が加わることを、弁信は手にとるように見ているのです。
だが、幸か不幸か、お銀様自身が吹聴する容貌の醜悪なる所以《ゆえん》を、弁信には見て取ることができません――この点は、机竜之助の見る眼と、性質を根本的に異にして、その作用は一つなのであります。
竜之助は、容貌の人としてのお銀様を知らずして、肉の人としてのこの女を、飽くまで知りました。弁信は今、その他のものに盲目にして、心の人としてのお銀様を見ることに親切でありました。
弁信の前にのみ、傷つけられざるお銀様の、少女としての、処女としての、大家の令嬢としての品性が、美しくえがき出さるることがあるのであります。弁信のみが、彼女の僻《ひが》めるすべての性格を忘れて、本然《ほんねん》の、春のように融和な、妙麗なお銀様の本色を知ることができるらしくあります。
しかし、ひとたび、物に触れて彼女が、その怖るべき瞋恚の一念に駆《か》られて、満身の呪詛《じゅそ》を吐き出し来《きた》る時には、さすがの弁信といえども、それに一指を加えることができ
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