緒につれ立って影の形におけるが如くあるべきはずの、また今日まであって来たところの先生が、この時、この際、先生でなければならない時、その先生ありさえすれば、死ぬべき人が生きて助かるべき際……いないじゃないか。
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ、人に助けられるばかりが能じゃねえや、ちっとは人も助ける気になれねえものかなあ」
米友は、五たび、六たび、そこで地団太を踏みました。ほんとうに米友の口惜《くや》しがる通りです。尋常に自分も道庵先生のともをして歩きさえすれば、こういうところには、思いきり溜飲《りゅういん》が下げられたものを。自分たちが溜飲を下げて痛快を買うのみならず、人の一人が立派に助かって、その功徳《くどく》と感謝は、測り知らるべきものでもないのに、みすみすその機会を逸して……口惜しい。人を打懲《うちこ》らし、取挫《とりくじ》くの力においては自信の有り余る米友が、人を救う段になると、溺死人の一人をどうすることもできないのを、身も世もあらぬほどに口惜しがって、
「ちぇッ、その立派な医者を、おいらがひとつ探して来るから、それまで死なさねえようにして置きな」
と言い置いて米友は、驀然《まっしぐら》に走り出しました。
どこを当てともなく走《は》せ出しましたが……このいい残して置いた言葉は無理です。
道庵先生、いかに神医なりといえども、いつどこで探し出されるか知れないものを、そのあてどのない尋ね人を探して来るまで、死ぬべきものを死なさずに置けとは、米友の注文が無理です。
扁鵲《へんじゃく》もそう言っている、「越人《えつじん》よく起すべき者を知って之《これ》を起す」
しかし、無理であってもなくても、火の玉のようになって飛び出した米友を、如何《いかん》ともすることはできません。
坂をかけ上ると、そこで、土地の人のふるえながら語るのを聞きました。
「尾州様の、お山係りの殿様が水にはまっておしまいになった、医者を、医者を、とおっしゃるけれども、尾州様の御家中の脈をお見せ申すような医者が、この宿《しゅく》にはござらねえ、山竹老へ持ち込んだら、おぞけを振《ふる》って、もしやお見立て違いをしては首が危《あぶ》ねえといって、逃げてしまった、藁火《わらび》をたけとおっしゃるが、ここは山里で藁というものがござりましねえから、今、畳をむしりこわしているところでございますよ」
それを小耳にはさんだ米友が、ははあそれでは、木曾は尾張の御領分だと聞いたから、尾州家のお山めぐりの役人が出向いて来て、そうしてこの災難だなとさとりました。
だが、尾州家の役人なるがゆえに、尻ごみをして出ないという、この土地の医者のぞろっぺい[#「ぞろっぺい」に傍点]を憐れむにつけ、わが道庵先生――米友の眼と、心とを以てすれば、天下に一つあって、二つはない名医の道庵先生ともあるべきものを、現に自分が同行の光栄を有し、自分が頼みさえすれば、いや、頼まなくともこういう際には、十二分に出しゃばるべき先生を、ついした自分の粗忽《そこつ》から置き忘れてしまった腑甲斐《ふがい》なさを自ら憐れみ、悼《いた》み、くやみ、あせり、憤るの情に堪えません。
そうして、彼は街道筋へ出たけれども、さて次へ進んでいいのか、後へ戻っていいのか、その事さえわかりません。次の須原駅までは三里五町、あとへ戻って上松までは僅かに十町という観念があってしたのではないが、米友は本能的にあと戻りをしました。それはつまり、臨川寺から現場までは岩石の間を宙を飛んで歩いたが、街道筋は残している。そこに多少の心残りがあったのでしょう。
「先生、道庵先生!」
彼は相変らず、声高く叫んで飛び走りましたが、徒《いたず》らに、通る人の驚動と、指笑とを買うに過ぎません。
ここに於て、米友は確かに血眼《ちまなこ》になっている。血眼にはなってはいるけれども、狼狽《ろうばい》ということはないのです。その証拠には、例の唯一の武器たる杖槍《つえやり》も、ちゃんと肩にかついでいるし、携帯の荷物も、懐中に入れた精製の熊胆《くまのい》も、決して取落してはいないのです。
「どうも仕方がねえ、運の悪い時には悪いもので、物が行違いになる時には、行違いになるものだ、おいら一人がやきもきしたって、助かるものは助かる、助からねえものは助からねえんだ」
米友にもまた聡明がある。人力の及ぶべきところと、及ぶべからざるところとを、このごろ、ことにお君を殺してから、つくづくと悟ったもののようです。
ですけれども、天性の正直から来るところの短気は、持って生れたもので、急にどうすることもできません。
血眼になって、あせりきって、歯噛みをして、地団太を踏みつづけながらも、どこか心頭の一片に鉄の如きものがあって、あらゆる短気と、焦燥《しょうそう》とを圧えきっている。
そうして彼は、臨川寺の門に程近いところまで来ると、どうも再びその門の中へ踏み込んでみたくなりました。
ここは、もう一応確めてみねばならぬところだと思いました。
二十九
宇治山田の米友をして、こんなにまで気を揉《も》ませておきながら、道庵先生は何をしている。ちょうど米友が寝覚の床の一枚岩の上に立ちはだかった時分に、先生はようやく臨川寺《りんせんじ》の方丈に着きました。そうして、方丈の毛氈《もうせん》の上へ坐り込んで、そこで寝覚の床の全景を見下ろしながら、早くも一瓢《いっぴょう》を開いたものです。
道庵先生と相対している、同じ年配の、頭だけを僧体にした見慣れない人品《じんぴん》が一つあります。これはこの寺の方丈ではありますまい。頭を丸くしているところから推《お》してみると、御同職のお医者さんであるらしい。この辺に何かの縁で知己のお医者さんがあったのか、そうでなければ途中、ゆくりなく旧知同職にめぐり逢って、ここまで相伴うたものか、もしまた医者でないとすれば、俳諧師とか、茶人とかいったような人で、人品から言って僧侶でないことは明らかです。
道庵はと見れば、これは頭の恰好《かっこう》が、また少し変てこになりました。剃《そ》り上げて百姓にしてみたけれど、気がさしてならない。まして夏でも寒いという木曾のあたりを通ってみると、剃り慣れない頭へ風がしみてたまらないらしい。そこで髻《もとどり》を以前の通りにクワイの把手《とって》にしてみましたが、前髪のところに、急に毛生薬《けはえぐすり》を塗るわけにもゆかないから、熊の毛か何かを植え込んだ妙な形のハゲ隠しようなものを急ごしらえにして、ゴマかしてあるようです。しかし、ゴマかし方が器用なものですから、ちょっと見には誰も気がつかないから占めたものです。
かくて、臨川寺の方丈の上で、道庵先生と、僧形《そうぎょう》の御同職(仮りに)とは相対して、酒をくみかわしながら、寝覚の床をつるべ落しにながめて閑談をはじめました。僧形の同職が先以《まずもっ》て言いけらく、
「いかがでござる、道庵先生、木曾街道の印象は……」
「悪くないね」
道庵が仔細らしく杯《さかずき》を下へ置いて、
「第一、この森林の美というものが天下に類がないね……尤《もっと》も、ここに天下というのは日本のことだよ、日本だけのことだよ、同じ天下でも支那のことは知らねえ、崑崙山《こんろんさん》や、長江《ちょうこう》の奥なんぞは知らねえ、アメリカのことも知らねえ、日本だけの天下ではまず……といったところで、薩摩の果てや、蝦夷松前《えぞまつまえ》のことは知らねえ、甚《はなは》だお恥かしいわけのものだが、まず愚老の知っている範囲で、木曾の森林にまさる森林は、限られたる天下にはあるまいね」
「御尤《ごもっと》ものお説でございます、森林の美は木曾にまされるところなしとは、先生のお説のみならず、一般の定評のようでございます」
「そうだろう、第一、色が違わあね、この堂々として、真黒な色を帯びた林相というものが、ほかの地方には無《ね》え」
「樹木の性質と、年齢とが違いますからね。まずあの檜林の盛んなところを御覧下さい」
「なるほど、檜《ひのき》だね。檜は材木としては結構だが、こうして大森林の趣にして見ると、なるほど檜は材木の王だ。椹《さわら》も大分あるようだが、あいつも悪くないね」
「左様でございますよ、御承知の通り檜に椹、それから高野槙《こうやまき》と羅漢柏《あすひ》、※[#「木+鼠」、第4水準2−15−57]《ねずこ》を加えまして、それを木曾の五木と称《たた》えている者もあるようでございます」
「なるほど。森林美も大したものだが、これを金に踏んだら素敵なものだろう」
「富にしても、容易ならぬ富でございます」
「尾州の奴、うまくやってやがらあ……」
と道庵は、あぶなく口が辷《すべ》って、それを取返すもののように、
「尾州様も大したものをお持ちなさいますねえ、お金にしたら大したものでござんしょう、木曾は尾州様のお金倉だ」
イヤに改まったものですから、僧形《そうぎょう》の同職も高らかに笑い、
「全く、その通りでございます、木曾は尾州家の無尽蔵《むじんぐら》でございましょう、それにつきまして、こんな話がございます」
僧形の同職もまた改まったから、道庵も少し改まって、
「どんな話?」
「左様でございます、天保の水野越前守様の御改革の時でございました」
「なるほど」
「あの時分、大公儀もずいぶん、経済には難渋しておいでになりましたからな」
「今だってそうだよ、今だってふところ[#「ふところ」に傍点]工合《ぐあい》はよく無《ね》えんだよ、何しろ八百万石の台所で、時代を経るに従って、子孫が贅沢《ぜいたく》は覚える、諸式は高くなる、江戸の親玉もやりきれねえのさ。そこでふところが寂しくなると、人に足もとを見られるようになる」
そろそろ、道庵の返事が脱線しかけたのを、僧形の同職はさあらぬ体《てい》にもてなして、
「何しろ大公儀にしても、われわれにしても、暮し向きは財政が元でございますからなあ、そこで天保の改革の時に水野越前守殿が……何といっても、あのくらいの豪傑でございますから、早くもこの木曾の森林に眼をつけてしまいました」
「なるほど」
「尤も、それとても越前守殿が眼をつけたというわけではごわせんが、しかるべく建議をしたものがあるんでございましてな」
「何といってね」
「尾州領のあの木曾山を三年間、幕府へお借上げになりますならば、当時幕府の財政も充分に整理ができる見込みだと、こうそれ、越前守殿に吹込んだものがあるんでございますな」
「よけいなことを吹込みやがったね」
「尾州家にとってはよけいなことですが、幕府の財政整理のためには、無類の妙案なんでございましょう、越前守殿ほどの鋭敏な政治家が、それをなるほどと思召《おぼしめ》さないわけにはゆきません」
「なるほどと思ったってお前、親藩とはいえ、他領ではないか、どうなるものか」
「しかし、時勢が時勢でございますからなあ。それに、執権がボンクラ大名と違って、名にし負う水野越州でございますから、直ちにそれを採用して断行することになり、尾州家を呼び出し、将軍の御前において、水野越前守殿自ら、この趣を尾州家に申し入れようとの段取りとなりました」
「さあ、そこだ……そこで尾州の奴、何と出た……様、様、様、様」
道庵がここで、あわわをするように口を抑《おさ》えました。僧形の同職は少しもひるまず、
「左様、その時、尾州を代表して、江戸城へ罷《まか》り出でたものが、尾州の家老鈴木千七郎殿でございました」
「なるほど、こいつは大役だ、家老、骨が折れるだろう、何しろ天下の将軍の面前で、水野越前守を向うに廻すんだからなあ、この役は大役だ、道庵が買って出てもいい役だ」
道庵が一方ならず力瘤《ちからこぶ》を入れましたが、僧形の同職は相変らぬ調子で、
「そのお召しによって、江戸幕府へ罷《まか》り出でた鈴木千七郎殿は、尾州家の家老でございましてな」
「そりゃ大抵きまっているだろう、ヘタな人間は出せないからな、家老でも、大石内蔵助どころでなくっちゃあ勤まらねえ、九太夫なんぞをやって
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