う字なんだよ。ところが藪の先生、それを『※[#「魚+生」、第3水準1−94−39]《しゃけ》』と読んでしまったんだ、魚扁に生、それはサケともいうし、シャケともいう字なんだ。そこでよろしいとも、シャケならいくら食べても差支えないと答えたものだから、先方はフグを食ってしまった。病気上りにフグを食ったからたまらない、忽《たちま》ち往生してしまったのだ。鮭《ふぐ》と、※[#「魚+生」、第3水準1−94−39]《しゃけ》では、忙しい時は誰だって間違えらあな……なるべく物の名というものは、区別のつくように書かねえと、体《たい》が現われねえのみならず、一字の違いで、この通り命に関《かかわ》ることもあらあな、ゴマかしはいけねえ」
 道庵は懇々《こんこん》と説きさとすようなことを言って、わけもわからずに源助を感心させ、
「ところで、男というものは、一片の鉄を鍛《きた》えるにしてからが、人と違った働きをしてみせなけりゃあ、生甲斐《いきがい》が無《ね》えのだ。真似《まね》をして、ゴマかしをして、一生を終るくらいなら、死んじまった方がいい。わしは今、この焼直し屋を医者の方で調べているから、調べ上げたら、お前さんにも見せて上げる。それはそうと、友様はどうした、もうやって来そうなものだな」
 こうして心待ちに待っているが、どうしたものか、あの気の短い男が、容易に姿を見せないのが不思議です。
 米友が容易に、姿を見せないことによって、道庵の心にようやく謀叛《むほん》が起りました。
 というのは、日頃、あまり米友の責任観念が強過ぎるものだから、せっかくの道中が監視附きのようになって、思うように脱線のできないことが、道庵にとって、一方《ひとかた》ならぬ苦痛といえば苦痛であります。
 そこで、この機会にひとつ、彼を出し抜いて、思う存分にわがままを働いてみたいものだという謀叛気が、道庵の心の中で起りました。これは道庵として無理のないところがあるかも知れません。
「まあ、いいや、どのみち、馬が西へ向けば尾が東、ということになるんだから、落ちつくところは上方《かみがた》よ、かまわず馬をやってくんな、後は後でどうにかなりまさあ」
といって、道庵はそのまま馬を進めさせてしまいました。
 一方、特別注文の熊胆《くまのい》を取りに走《は》せ戻った宇治山田の米友は、店へ寄って、その使命のほどを伝えて、薬物の取出しを待っている間に、その家の軒に檻《おり》があって、その中に大きな熊のいるのを認めて、思わずそれに近寄ると、ついつい見とれてしまいました。
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「木曾路には、獣類の皮をあきなふ店多し、別して贄川《にへかは》より本山《もとやま》までの間多く、また往来の人に、熊胆を売らんとて勧むる者多し、油断すべからず」
[#ここで字下げ終わり]
と木曾名所図絵にも書いてある。その獣皮屋《けがわや》が、生きた大熊を、店の前の檻に入れて看板に出している。
 それを米友は見とれているのであります。

         二十八

 米友は、貪《むさぼ》るような目を据えて、熊を見つめておりました。
 その熱心な注目ぶり。
 はじめて、この熊という動物を見たものか、そうでなければ、この動物について、何か特殊の興味を持っていないことには、こうも熱心に見つめておられるはずはないのであります。
 しかし、米友が、特に動物学の研究をしているということも聞きません。
 Catnivores のうちの Genus Ursus としての熊。
 インド産のスロース・ベーアというものと、西蔵《チベット》に棲《す》む特種を除いたほかは、世界中ほとんど共通した形体と、内容を持ったこの動物。
 四十二枚を数えられているその歯。
 北極熊だけが白い。その白さも、他動物の白色は季節によって変るが、北極熊の白色は変らない。その北極熊の大きなのになると、六百ポンドから七百ポンドの目方がある。七十貫目から八十貫目の間。
 最も普通なる Brown Bear(褐色熊)。
 シベリア熊とか、ヒマラヤの雪熊とかいうのもそれだ。
 ヨーロッパ種のそれと比べると、ヒマラヤ属のは少し小さい。
 ヨーロッパ種の褐色熊は、大体において、鼻の先から尾の根までが八フィートに達するとすれば、ヒマラヤ種のは、五フィート或いは五フィート半、最も大きなので七フィートに過ぎない。
 尾の長さは、いずれも二インチか三インチぐらいのものだ。
 北の方のカムチャツカにも、またこの種類が棲《す》んでいて、※[#「魚+生」、第3水準1−94−39]《さけ》を取るのに妙を得ている。
 この種類の熊は比較的に非社会的の傾向を持っているにかかわらず、人に慣れて芸事をよくする。旅興行の役者や、見世物師は、これにダンスその他を仕込んで人に見せる。
 最も強猛なのは、西北アメリカ、アラスカから、ロッキー山脈を通じてメキシコに至るその辺に散布する Grizzly Bear(半白熊)。
 そのなかには千八百[#「千八百」は底本では「千百」]ポンド(二百十六貫)の体量を持ったやつがいる。
 掌《たなごころ》の一撃で、野牛や、野鹿を粉砕する。
 アメリカ黒熊《ブラックベーア》というのは、よくありふれたヨーロッパの Brown Bear よりは少し小さい。
 ヒマラヤ黒熊というのは、特徴の一つとして胸に月毛がある。
 さて、日本の熊は、このヒマラヤ黒熊の地方種といってよかろう。
 そうして、この日本産の熊も、国々によって多少の相違がある。現にこの檻の中に捕われている熊は……
 死んだお君から言えば、米友は確かに学者であったには相違ないが、こんなようなふうにまで科学的に見ているわけでもないでしょう。
 そうかといって、眼は熊に向いつつも、心はよそに、二大政党の勢力が伯仲《はくちゅう》の間《かん》にあって、将来の政局がどう安定するか、というようなことをも考えている男ではありません。
 一万円の自動車を飛ばし、金にあかして多数の犬を弄《もてあそ》んだという金持の文士が、民衆を標榜《ひょうぼう》して打って出でると、それに五千の投票が集まるという、甘辛せんべいみたような帝都の人気を、苦笑しているわけでもないのであります。
 宇治山田の米友が、こうも一心に熊に打込んでみとれているというのは、この熊を見て、はしなくも、ムク犬のことを思い出したからであります。
 米友は、熊を見ているうちに、ムクのことを思い出して、たまらなくなりました。
 ムクはいい犬だったなあ――ムクは可愛ゆい奴だなあ――ムクは……
 やや暫くした瞬間に、ハッと気がついて、例の責任感がこみ上げて来ると矢も楯《たて》も堪らず、土産物屋《みやげものや》の熊胆《くまのい》をかっぱらうようにさらって、走り出しました。
 そこで宇治山田の米友が、木曾の福島の町をまっしぐらに飛び出しました。
 碓氷峠《うすいとうげ》の時も、うっかり風車にもたれて東の国を顧望していた時に、道庵先生を見失い、ついに軽井沢の大活劇を演じて、辛《かろ》うじて、道庵先生の命を九毛の危《あや》うきに救い出しました。また松本の浅間の湯では、祭礼の群集の中へ先生を埋没させてしまって、それを救うのに、天狗夜遊《てんぐやゆう》の秘術を用いなければならなくなりました。
 今や、少なくとも、その三度目の失敗を繰返したとは、われながら歯痒《はがゆ》いことの至りだ。しかも以前の時は自分も放心していたとはいえ、道庵先生の方に放漫の罪が多い。米友の虚に乗じて、道庵が出し抜いたといえばいえる。少しの間なりとも虚を見せたのは、自分の落度といえば落度だが、その虚を覘《ねら》って、友達――ではない、切っても切れぬ同行のつれを出し抜くのは、道庵先生も情が薄いといえば薄い。しかし、今度は違う、自分は今見なくてもいい熊を見て、そうして、つぶさなくてもいい暇をつぶしてしまっている。その間、先生は待っていてくれる約束になっている。つまり自分は熊胆を取って来いといわれたけれども、熊を見て来いとは言われなかったのである。それにもかかわらず、早く取って帰るべき熊胆を取って帰らずに、見なくてもいい熊をぼんやりとしてみとれてしまった。
 ああ、これは申しわけがない。軽井沢や、浅間の時は、十のものなら七までは先生の出し抜きが悪いかも知れないが、今度のことは、十のものが十まで自分の落度だ。こんなに長く熊を見ているんではなかった――
 米友はこの十分の責任感で、木曾の福島の駅を西に向って道庵を追いかけましたけれど、かなりのところで、その姿を見かけることができません。
「おいらの先生はどうしたんだ、みんな、おいらの先生を見なかったかい――馬に乗ったおいらの道庵先生」
 こう呼びかけながら、まっしぐらに、しかしびっこ[#「びっこ」に傍点]を引いて、彼は全速力で走りましたが、誰も要領よく答えてくれる人はありません。また米友も足をとどめて、要領よくそれを聞きただす余裕もありません。彼は走りながら、叫びつづけました、
「おいらの道庵先生――馬に乗った道庵先生、下谷の長者町の十八文の道庵先生」
「もしもし」
「何だい」
「休んでござりまし、木曾お六|櫛《ぐし》買ってござりまし」
「要《い》らねえ、要らねえ」
「おみやげに桜皮のたんじゃく、墨流しのたんじゃく、お買いなさんし」
「おかみさん」
 そこで米友が立止まって、これこれこういう人体《にんてい》の仁《じん》が通らなかったかということを、米友としてはかなり気を落ちつけたつもりで尋ねると、物売屋の女房が、
「ほんに、そういった御仁《ごじん》なら、たった今、西東の方へおいでなったのっし」
「西東へ?」
「まあ、この赤い櫛を一つお買いなさんし、これがのし、負けて六十四文にしてあげませず[#「あげませず」に傍点]」
「おいらは、櫛は買いてえと思わねえんだ、おいらが櫛を買ったって、始末に困らあな」
「まあ、そうおっしゃらず。こちらにも三ツ櫛のいいのがござんさあ」
「人柄を見て物を言いな、櫛を買うような人間には出来ていねえんだぜ」
「それでは、おかみさんへのおみやげに」
「ばかにしてやがら、おかみさん面《づら》があるか」
 かくて米友は、また一散《いっさん》に走りました。
 なんとしても、水が上へ流れないように、上方《かみがた》へ上る約束で来た道庵先生が、東へ向くはずがないから米友は、その点は安心して、木曾街道の要所を、わき目もふらずに走りました。
 走りながら様子を聞いてみると、それは往々、程遠からぬ時間の間に、尋ねるとおりの人が、この街道を通った形跡は確かにある。
 やや、安心した米友は、ついに二里半を飛んで、上松の駅まで来てしまいました。
 そうして、碓氷峠《うすいとうげ》の上の駅でしたように、その駅のほとんど一軒一軒について、たずねてみると、あるところでは相手にされないが、あるところではかなり要領を得ることになる。
 結局、とある酒店で、持参の瓢箪《ひょうたん》の中へいっぱい清酒を詰めさせた客人があるという手がかりがあって、それから問いただしてみると、それは多分|件《くだん》の一瓢を携えて寝覚《ねざめ》の床《とこ》へおいでになったのだろうとのことです。
「寝覚の床というのは?」
 米友から問い返されて、かえって、尋ねられたものが驚きました。
 木曾を歩きながら、木曾第一の眺望、寝覚の床が頭の中に無いという旅人も珍しい。この男は、何のために木曾道中をしているのだかわからないと驚きました。
 事実、米友は、風景をながめんがために旅行をしているのではないとはいいながら、沿道の風景を無視していることがかなり甚《はなは》だしい。道庵は道庵だけに、軽井沢の夕暮の情調を味わうことも知っていれば、浅間の湯治場の祭礼気分に、有頂天《うちょうてん》になるほどの風流気もあるし、木曾路へ入ってからでも、夜間、暇を見ては読書もするし、かなり四角な字を並べたり、色紙《しきし》、短冊《たんざく》を染めてみたりしているのですが、米友にはそれがない。
 現に、この福島から、上松に至るの間には木曾
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