なく受取ったのみならず、幾分、良心に疚《やま》しいところのあるような歯切れの悪い返答ぶりが、いつもとは少しく調子が変っているのだが、誰もそれを、この場でとがめる者はありません。
米友は、一旦、寝床にもぐり込もうとしたが、また起き直って、荷物と、槍とを、念入りに一応調べて枕許《まくらもと》へ置き並べると、襖《ふすま》を隔てての道庵が、
「べらぼう様、這い出してみたところで、そう易々《やすやす》と落っこちる道庵とは、道庵が違うんだ」
と、寝言のように言いました。
米友が道庵先生に対して、特に夜中に這《は》い出しちゃあいけねえぜと、警告ようの文句を与えたのは、かなり意味深長なものが、あるといえばあるらしい。
それをいうと、道庵先生の人格に関するようなものだが、実は先生、旅へ出て、調子づいて脱線をやり過ぎることがあります。むしろ脱線が無ければ、道庵が無いといいたいくらいだから、道庵の脱線は天下御免のようなものですけれど、米友が眼に余ると見ている脱線ぶりは、自分の信じている従来の道庵の脱線ぶりとは、全く性質を異にしている脱線ぶりですから、米友が苦《にが》い面《かお》をして、警戒をはじめました。
一方、道庵の方から言えば、折角こうして、十八文をチビチビ貯めて旅へ出たことではあるし、町内でもともかくも先生扱いをされている手前上、そう無茶な発展もでき兼ねていたのが、無係累の旅へ飛び出したのですから、多少の人間味がわき出して来るのは、ぜひもないことでしょう。
泊り泊りで渋皮のむけた飯盛《めしもり》を見れば、たまには冗談《じょうだん》の一つもいってみたいのは人情でありましょう。
ところが、米友というものが、前後左右に眼もはなさず頑張っているから、たまらない。
そこで、多分、夜中に、米友の寝しずまった頃をうかがって、そっと抜け出して、戸惑いをしてみたことが、一度や二度はあるのだろうと思われます。しかし不幸にして相手が米友ですから、眠っていても畳ざわりの音で眼をさます。そうして、道庵の脱線を難なく取押えてしまう。取押えられる度毎に、道庵は手のうちの玉を取られたほどに残念がることも、一度や二度ではなかったらしいが、そこはうまくバツを合わせて、米友を言いくるめてしまっているらしい。
そうなると、米友の責任観念がいっそう強くなって、警戒ぶりがいっそう厳重を加えるものですから、道庵は窮屈でたまらない。
そこで、ただいま、神妙に本を読み出したのなんぞも、こうして米友を安心させておき、油断を見すますの軍法かも知れません。さればこそ、寝入りながら、「つまらねえなあ」と嘆息したのも、この監視つきに対してのやる瀬なき鬱憤《うっぷん》を漏らしたものと見れば、見られないこともないのです。
道庵が眠りについたと見たから、米友も枕につきました。
米友は枕につくと早くも、いびきの音ですけれど、熱に浮かされた道庵は、容易に眠れないと見えて、時々、狸《たぬき》のような眼を開いては、次の間の様子に耳を立てるのは、米友の寝息をうかがうもののようにも見えます。
道庵主従がこうして、ともかくも静かに床についている向うの一間では、人の気も知らないで、飲めよ、歌えと、騒いでいる大一座がある。
悪ふざけの国者《くにもの》の声と、拗音《ようおん》にして、上声《じょうしょう》の多い土地なまりとが、四方《あたり》かまわず、ふざけ噪《さわ》いでいるのが、いたく道庵の感触にさわっているらしい。
しかし、それはかなり間を隔てたところだから、辛抱をすればできるし、夜《よ》っぴて騒いでいるわけでもあるまいから、そのうちには鎮《しず》まるだろうと道庵が辛抱していると、道庵の寝ている外の廊下を息せき切って、酒に酔っているらしい一人の女が、
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木曾のナア、かけはしゃナアンアエ
からみつく、蔦《つた》がナアンアエ
わしにゃ蔦さえからみつかない、ナアンアエヨウ
どっこい、どうしん
ころものほうがん
じょでこい、じょでこい
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と肉感的な声で歌いながら、足拍子を踏んで通るものだから、道庵が、
「これこれ、静かにしろ」
と大きな声でしかりつけました。
二十七
道庵が、寝ながら頭の寒いことを感じ出したのは、今晩に始まったことではなく、つまらない一時の感激から、額をそり上げてしまったことを、今も悔《く》いているのです。というのは、松本の芝居小屋で、川中島の百姓たちが大いに気焔を上げたのを見て、急に武者修行をやめて、百姓になる気になり、茨木屋《いばらきや》の佐倉宗五郎気取りで、すっかり百姓風に納まったはいいが、久しく総髪でいた頭を、おしげもなく剃《そ》り上げてみると、そこから風がしみ込んでたまらないのです。ことに木曾街道へ来てから、木曾の山風が、夜寒の枕を動かそうという時なんぞは、つまらない道楽をしたものだと頭へ風呂敷をかぶせながら、眠りにつくような有様なのであります。
今も、その官能的な鄙歌《ひなうた》を叱りつけてから、ゾッとその寒さを心頭から感じて、あわてて枕もとの風呂敷を取って、その頭からかぶせてしまい、そうして道庵並みに軽い旅情というようなものに動かされて、こし方《かた》、行く末というようなものが上《うわ》っ面《つら》へのぼって来たところであります。
前例によって、松本を出でて以来の道庵主従の旅程を挙げてみると、
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松本から村井へ一里二十町
村井から郷原《ごうばら》へ一里十二町
郷原から洗馬《せば》へ一里二十四町
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ここで塩尻からの本道と合し、
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洗馬から本山《もとやま》まで三十町
本山から贄川《にえかわ》まで二里
贄川から藪原《やぶはら》まで一里十三町
藪原から宮《みや》ノ越《こし》まで一里三十町
宮ノ越から福島まで一里二十八町
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という順序で泊りを重ね、ようやくここ木曾の中心地、福島の駅路についたというわけです。
そこで、大体そんなような気分で、寝もやらず、さめもやらずに浮かされていると、ふすまを隔てた一方の室にあたって、気になるものがありました。
縁起でもない、どうもさいぜんから、誰かこの隣室にそっと送り込まれて来てはいるようだが、この際、しきりにしゃくり上げて泣いているようであります。
最初は道庵も、あまり気にしませんでしたが、そのしゃくり上げて泣く声が、ようやく耳にさわって来ると、先方はついには声を挙げて泣き出さぬばかりになっては、それを我慢して、またしゃくり上げていることが、かなり長い時間にわたっているものですから、道庵先生が、少しくうるさいと感じました。
何だい、何を泣いてやがるんだ。その、しゃくり上げっぷりによると女じゃあない、男に相違ない。相当の年配の男のくせに、めそめそと、人の隣室へ来て、夜中に、泣いて聞かせる意気地無し――という気になったものですから、少しいって聞かせてやろう、という勢いになりました。
ここが、道庵先生のお節介なところで、癪《しゃく》にさわったら寝ていて、あてこすってやってもよし、怒鳴りつけてやってもかまわないところですが、この先生は、すっくと起き上って、帯を締め直して、そうして、徐々《そろそろ》と足を運んで、やおら、その隣室の襖《ふすま》へ手をかけてみると、存外、具合よくスラリとあきました。
「今晩は」
といって、そのスラリとあいた古い襖の間から、ぬっと面《かお》を突き出して見ると、そこですすり[#「すすり」に傍点]泣いていたのは、極めてあたりまえの、百姓|体《てい》の五十男がただ一人、煙草盆を前に置いて、うす暗い行燈《あんどん》の下で、しきりに涙を流しているだけのものであります。
「いや、今晩は、どうも」
先方は、突然の訪問を受けてかなり狼狽《ろうばい》した体《てい》で、いずまいを直して、道庵先生の方に向き直り、極めてていねいに挨拶をしましたのを、道庵は立って、ぬっと面を突き出したままで、
「お前さん、さいぜんから聞いていれば、しきりに泣いておいでなさるようだが、何が悲しくって、そんなに泣いておいでなさるんだね」
「はい、まことにお耳ざわりになって、申しわけがございませんでございます」
と、その男は道庵の方に向いて、恐る恐るおわびのお辞儀をしますと、
「お前さん、いい年をして、泣くほどの切ないことがあるなら、まあ物はためしだから、わしに打明けて話してごらんなさい、わしも長者町の道庵だ」
といって、中へ乗込んでしまいました。
「恐れ入りました」
中なる男は、かなり迷惑しているらしい。長者町の道庵だと名乗ったところで、長者町界隈でこそ押したり、押されたりするが、木曾の山の中へ来てそれが通ろうはずがないのを、道庵はいい気になって、早くも、その男の向う前へ坐り込んでしまい、
「見たところ、お前さんも男として、そうしてしくしく泣いていなさるというのは、よくよくのことだろうとお察し申す、まあ、話してみな……悪いようにはしないから」
道庵は持合せのきせるを取って、すっかり長兵衛を気取ってしまいました。
「それではお恥かしい話でございますが、お言葉に甘えまして、身の上話を一通りお聞き下さいまし」
「なるほど」
「わたくしは美濃の国の落合というところの百姓でございますが、この福島へ馬を買いに参りました」
「なるほど」
「望みの通り、この福島で、三歳の毛附駒《けつけごま》のこれならというのを買うには買い求めましたんでございますが……」
「馬を買いに来て、望み通りの馬が買えたんなら、なにも不足はなかろうじゃございませんか、泣くがものはなかろうじゃございませんか」
と道庵がたしなめ面《がお》にいうと、
「ところが、あなた、お聞き下さいまし、望み通りの馬を買うには買いましたが、ただで買ったわけじゃございません」
「そりゃきまってらあな、物を買おうというに、ただで売る奴があるものか」
「ところがお聞き下さいまし、そのお金がただのお金じゃございません、血の出るようなお金で、馬を買うには買ったのでございます」
「そりゃお前さん、誰だって、そう有り余る金を持っているときまったわけじゃなし、まして失礼ながら、お前さんのような水呑……じゃねえ、水の出端《でばな》の若い人と違って、相当の年配になれば誰だって貧乏すらあな、その貧乏したところで馬を買って、道楽で引いて歩くわけじゃあるまい――愚老の若い時なんぞは、心得の悪い奴があって、飛んでもねえところから馬をひっぱって来るのを見得《みえ》にした奴があったもので、今時の若いのには、そんなことはありませんがね……そういったたち[#「たち」に傍点]の馬とも違って、お前さんなんぞは、その馬を買って、稼《かせ》ぎに使おうというんだろう、その日かせぎのお駄賃取りなんだろう、だから、その馬が物を食う代りに銭を取らあな、いくらか銭を取って、家の暮しの足しになるだろう、だからお前、今ここで血の出るような金を出して馬を買い込んだところで、それが忽《たちま》ち利に利をうむという勘定になるんだろう、そうがっかりすることはなかろうじゃないか、気を確かに持って、前途に望みをかけなくっちゃいけねえ、いやに悲観しなさんなよ」
と道庵が、慰めはげますような言葉で、親切にいい聞かせたつもりでしょう。しかし、よく聞いていると、この親切な言葉のうちにも、論理の不透明なところが無いとはいえない。第一、相当の年配になれば誰だって貧乏すらあな……という一句の如きは、かなりの独断であるけれど、その男はいちいち頭を下げて、
「御尤《ごもっと》もでございます、おっしゃる通り、私は道楽で馬を引きに参ったわけではございません、貧乏暮しのうちに馬一頭が、杖《つえ》とも、柱とも、でございます。どうしても、馬が無ければ立って行かない一家なんでございますから、それがために……お恥かしい話ですが、娘を売って馬を買いましたんでございます」
道庵は仰山に驚いて、眼を円くして、
「何とお言いなさる、娘を売って馬をお買い
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