応その気配をうかがった上で、身の振り方をきめようとの要心と見える。
だが、与八としても、気が利《き》かないことの限りで、こうして、先方が油断している隙《すき》に飛びかかって、その大力でもって相手を組み伏せるとか、縄をたぐって引き寄せて、自分で安全圏を作っておくとかの余地は十分にありそうなものを、相手に首を巻かれっぱなしで、その死命を制せられっぱなしで、自分の活地を作ろうと、努力するだけの機転の利かないのが、この男の取柄《とりえ》かも知れない。
「それじゃ、若い衆さん」
と七兵衛は、ほぼ、あたりの形勢にも見当がついたらしく、
「私は、これでお暇《いとま》をするからね、この川を飛び渡って柚木《ゆぎ》の方へ出るつもりだから、私がかなり逃げのびたと思う時分まで、お前、騒いじゃいけないよ、泥棒! なんて大きな声を出すと承知しねえぞ」
「大丈夫だよ」
「犬はいねえようだな、あの厄介《やっかい》な犬は、跡をついて来ちゃあいねえようだな」
「大丈夫だよ、ムクは、逃げる者を、そんなに長追いをするような犬じゃありませんよ、それよりか、家を守っている方が大切ですからね」
「それで安心した」
七兵衛ほどのものが、特に、その犬には弱らされたものらしい。
そこで、七兵衛は、手にしていた縄の一端をクルクルとまとめて、環《わ》にしてポンと与八の前へ抛《ほう》り出して、
「どうも、窮命《きゅうめい》をさせて済まなかった、済まないついでに若い衆さん、お湯をいっぱいおくんなさい」
「さあ、どうぞ、ここにお椀《わん》がありますから、なんなら、いいお茶もあるだから、お茶をいっぱいいれて上げましょうか」
「そいつは、どうも御馳走さま」
与八は、せっかく解放された縄をまだ自分の首から放さないで、それよりも先に、この珍客に向ってお茶の用意にとりかかると、この時、七兵衛が炉辺で意外な物を見つけて、じっとそれに眼をつけました。
二十五
七兵衛が何事をか注意し出したのに頓着のない与八は、珍客のために、お茶壺から上茶を取り出して、お茶をいれにかかっていると、七兵衛が、
「若い衆さん」
と呼びましたものですから、鉄瓶《てつびん》の湯を急須《きゅうす》に注《つ》ぎながら、
「何ですか」
「そ、そりゃ何だね」
「え、それとは」
与八は、鉄瓶の湯を急須に注いでしまってから、七兵衛のそれといって指したところのものを見やると、
「あ、これですか」
「何だい、そりゃ」
「こりゃ、絵馬《えま》の額ですよ」
「絵馬には違いないが、お前さん、その絵馬をどこから持っておいでなすった」
「これですか、イヤな絵馬ですよ。お茶を一つお上りなさいまし」
与八は、お茶をついで、七兵衛の前に差出してから、改めて問題の絵馬を無雑作《むぞうさ》に取り上げて、
「こりゃ、お松さんが持って来たものなんですが、どこから持って来たか、わしは知らねえが、あんまり縁起でもねえ額だから、おっぺしょって、火の中へくべってしまおうと思っていたところです」
といって与八は、いったん自分が二つに踏み割ってしまった絵馬を、もう一ぺん細かくさいて、それを眼の前の炉の火に投げ込もうとしますから、七兵衛があわててその手を押えました。
「滅多なことをしなさんな、それでも絵馬となりゃ、納める人は丹念して納めたに違えねえ、まあお見せなさい」
七兵衛は与八の手から、二つに裂けた絵馬を受取って、その怪我をいたわるような手つきであしらいながら、裏と表を一ぺん通りジロリと見渡してから、膝の下へ置き、
「誰がこの絵馬を持って来たんだって?」
「お松さんが持って来ました」
「お松さんが、どこから持って来たの?」
「それは知らねえ」
「ふーん」
と七兵衛は、お茶を手に取って飲みながら、首をかしげないわけにはゆきませんでした。
七兵衛は、与八のことは知っているか、いないか知らないが、お松のこの地にいることは、充分に知っているはずである。このあたりの地理も、人情も、知って、知りぬいているはずだから、自然、この水車小屋も、机の家のものだということは心得ているに違いない。そうしてみれば、お松とはあれほどの縁故だから、そのいどころをたずねて、充分に話はわかっているはずである。
しかし、与八は、お松の家へこの人が尋ねて来たのを見たことがないから、従って、この人と、お松とが、深い縁故になっていることなんぞは知ろうはずはないらしい。お松がここにいることを知って尋ねない七兵衛には、また七兵衛だけの遠慮があるのでしょう。お松の方でも、程遠からぬ七兵衛の実家を尋ねたということをあまり聞かないのは、尋ねても、その都度都度《つどつど》、行方《ゆくえ》が知れないからでありましょう。
「若い衆さん、お聞きなさいよ」
お茶を飲み終った七兵衛は、悠々《ゆうゆう》として煙草をのみにかかりました。
「はい」
「お前、そのお松さんという人と懇意なら、どういうわけで、どこから、こんな絵馬を持っておいでなすったか、それを聞いてみるといい。まあ、ごらん……」
七兵衛は今更めかしく、絵馬をとり上げて、裂けたのをピタリと一枚に食い合わせて、与八の前へ突きつける。
「人の物を盗《と》ると……十両からこうなるんだぜ、九両二分まではいいが、十両からになると、どっちみち、こうなる運命はのがれられねえんだ、間男《まおとこ》と盗人《ぬすっと》は、首の落ちる仕事だよ」
「まあ、お茶をもう一つ、おあがんなさいましよ」
と、与八が熱いお茶の二杯目を七兵衛にすすめると、
「こりゃどうも御馳走さま」
「ここにたらし[#「たらし」に傍点]餅《もち》がある、よろしかあ、おあがんなさいまし」
与八は、傍《かたえ》のほうろくの中にあったたらし[#「たらし」に傍点]餅をとり出して、お盆の上に載せると、
「どうも済みませんねえ」
七兵衛は与八のもてなしぶりを、ようやく不思議な色でながめました。
どうも少し変っている男だと見たのでしょう。第一、もう疾《と》うに許されている首の縄が、まだ外《はず》されていないのもこの場合、七兵衛としておかしいくらいに見えました。
つまり、最初のうちこそ、縄を外してくれと要求しながら、その要求通りに縄を投げ出されてみると、それですべてが許されたものと心得て、それからは火をくべることだの、お茶をいれることだの、たらし[#「たらし」に傍点]餅をすすめることだのにとりまぎれてしまって、首の縄を全く忘れ去ってしまったものらしい。
途方もなく人のいい男だ――と七兵衛は、その首の縄を見ると、そぞろに自分ながらおかしさがこみ上げて来るもののようです。そこで、
「若い衆さん、その縄を取っちゃあどうだい、その首の縄を」
自分からかけておいた縄を、こう言って、先方の自決を促すような気持にまでなりました。
「あ、そうだね」
そこで、与八は首の縄へ手をかけてグイと引張ると、縄は素直に外《はず》れる。その素直に外れた縄を一方に置き、また三杯目の茶を注いで七兵衛にすすめました。
「若い衆さん、お前さん、幾つにおなりなさる」
「わしかね、わしゃ十九でござんすよ」
「いいかっぷく[#「かっぷく」に傍点]だね」
「ええ……」
「力があるだろうなあ」
「ええ……」
「お相撲《すもう》さんにしても立派なもんだ。お前さん知っていなさるかどうか、この向うの檜原《ひのはら》の大岳山《おおたけざん》の麓《ふもと》に、昔おっそろしい力の強い若い衆があってね、なんでも三十人力あって、村々で人足を出し合う時には、その若いのが一人で、三十人分に通用したという話が残っていますよ。ところが、その男が、その三十人力の力が出て働けるのは、大岳山の頭が見えるところだけに限ったもので、大岳山の頭が見えなくなるところへ行くと、げっそりと力が減っちまうんだっていうことを聞きました。お前さんも三十人力はありそうだね」
「そんなにありゃしませんよ」
物騒な犬の吠え声から、首に縄を捲かれるまでの危険千万な光景が、いい気の、秋の夜の炉辺の茶話になってしまいました。
「お前さん、生れはどこだね」
七兵衛もこうなると、好々人《こうこうじん》の、百姓親爺のほかの何者でもありません。
「さあ、わしの生れはどこでござんすかね」
「おや、お前《めえ》さん、自分の生れどころを知らねえ……?」
七兵衛がまた気色《けしき》ばみました。
「生れはどこだか知らねえが、赤ん坊の時からこの沢井村で育ちました」
「それじゃあ、こっちへ貰われて来たのか、それとも……」
「いや、貰われて来たんじゃねえ、拾われて来たんでございます」
「拾われて……そうするというとお前さんは棄児《すてご》かい」
「ああ、棄児なんでございます」
「おやおや、どこへすてられて、誰に拾われなすったい」
七兵衛はのっ込[#「のっ込」に傍点]んでしまいました。
「ねえ、おじさん」
途方もない人のいい面《かお》をした与八は、多少その面の色を曇らせながら次の如く言いました。
つまり、自分は棄児《すてご》である。青梅街道のあるところへ、生れていくらも経たない時分に捨てられて、それを机の大先生に拾われて、その御恩で今日に至ったということを、与八は飾るところなく七兵衛に話すと、七兵衛の眼がかがやいてきました。
「なるほど、なるほど」
幾度《いくたび》か、深いうなずきの後に、吸い取るような眼つきをして与八をうちながめ、
「なるほど……年は十九とお言いなすったな」
七兵衛は、指を折って数えてみるふり[#「ふり」に傍点]をしました。
「たらし[#「たらし」に傍点]餅を一つおあがんなさいまし」
そんなことに頓着なく与八は、再び、七兵衛に向って、たらし[#「たらし」に傍点]餅をすすめます。
そこで七兵衛はお茶を飲み、たらし[#「たらし」に傍点]餅を食いながら、なにげなく、
「それでわかった、それで委細がわかりましたよ、お松さんという人が、ああして新町へお堂を建てたり、そのお堂の中に納めてあった絵馬《えま》が、こんなところへ来ていたりする因縁《いんねん》が、よくわかりましたよ。しかし、若い衆さん、わが子を捨てるほどの親を、血眼《ちまなこ》になって探し廻るような仕事はよした方がようござんすぜ、子を捨てるほどの無慈悲な親に、ロクな奴があるはずがありませんからね。よしんば探し当てて、おおお前がお父さん、おおお前がせがれか、と抱きついてみたところで、ツマらねえお芝居さ、少しほとぼりがさめてごらんなさい、子供の方がちっと、よくでもなっていて、小遣銭《こづかいせん》をねだりに来られたりするうちはまだいいが、万々が一、その親という奴がたち[#「たち」に傍点]の良くねえ奴でもあってごろうじろ、それこそ親子の名乗りなんぞしなかった方が、ドノくらい仕合せかとあとで臍《ほぞ》を噛《か》むようなことがなんぼう[#「なんぼう」に傍点]もございまさあ。生みの親にめぐり逢いてえとか、この世の名残りにせがれに一目あって死にてえとかいうのは、お芝居としちゃあ結構な愁嘆場《しゅうたんば》かも知れねえが、生《しょう》で見せられると根っから栄《は》えねえものなんだぜ……お前さんも、そこをよく心得ていなくちゃいけねえ。お松さんにもよくその事を言っておかなくちゃいけねえ。親は無くても子は育つんだからなあ、それ、世間でも生みの親より育ての親と言うだろうじゃねえか、拾って下すって、今日まで面倒を見て下すったその御恩人に対して、御恩報じをする心持でいせえすりゃ、それでいいのさ。西も東も知らねえおさな児を、かわいそうに野原の真中へ打捨《うっちゃ》って、虎狼《とらおおかみ》に食わせようなんていう不料簡な親を慕って、それにめぐり逢いてえなんて、だいそれた料簡だ、よくねえ料簡だ。お松さんにも、よくそいって置きな、この忙がしい世の中に、棄児《すてご》の親なんぞを探す暇があったら、襦袢《じゅばん》の一枚も縫っていた方がいいって……お前さんだって、そうさ、お地蔵様を信心すれば、生みの親に逢えるだろうなんて、あんまりたあいがなさ過ぎらあな。それよりは
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