、行けるところまであとをつけて行ってやろうと、こう思いました」
「うむ、お前ならどこまでもついて行けらあ、薩摩だって、琉球だって」
「ところが……」
と七兵衛は、刻煙草《きざみたばこ》の国分《こくぶ》をつめ換えて、
「ところが、あなた、向うの足が早ければかえって、こちらも楽なんでございますが、向うの方が人並|外《はず》れてのろくさい旅なんですから、あとをつけるのに、ずいぶん弱らされちまいました」
「そんないいずうたいをしていながら、意気地のねえ奴だ」
と神尾が、あざ笑うように言いました。
「何しろ、西郷どんはそのずうたいでございましょう、駕籠《かご》に乗ってはたまりません、駕籠もたまりませんし、第一雲助がたまりませんね――それじゃ馬がよかろうとおっしゃるかも知れませんが、馬が駄目なんです」
「なんだ、意気地が無《ね》え、馬にも乗れねえ薩摩っぽう」
と神尾が、またあざ笑いました。神尾のはわざとあざ笑うわけではなく、本来、薩摩の陪臣としての西郷などを、眼中に置いていないのですから、先天的に、鼻の先であしらい得るように生れついているのです。
「そういうわけじゃございません、侍が馬に乗れないとあっては恥でございますが、西郷どんのは、馬術不鍛錬で馬に乗れないのではなく……つまり、あの人のキンタマが大き過ぎて、それで馬には乗れないんだそうでございます」
「なに、キンタマが大き過ぎて馬に乗れないのか。西郷という奴、そんなにキンタマのでかい奴かなあ」
「は、は、は……」
と七兵衛が笑いました。西郷隆盛もここでキンタマの棚おろしをされようとは思わないでしょう。
そうして神尾主膳が、西郷のキンタマに、ザマあ見やがれ、という表情をして痛快がったのが、この場合、七兵衛をして、失笑させてしまったものと見えます。それを笑ってしまってから七兵衛が、
「ところで、あんまり、のろくさい旅ですから、何か一つ、いたずらをして上げようと思って、すき[#「すき」に傍点]をねらってみるにはみましたが、すき[#「すき」に傍点]がありそうで、その実、少しもすき[#「すき」に傍点]がないのには驚きましたよ」
「ふん、お前の眼で見てすき[#「すき」に傍点]が無いんじゃ、やっぱりすき[#「すき」に傍点]が無いんだろう、悪いことをする奴には、油断もすき[#「すき」に傍点]もありゃしない」
七兵衛はそれを打消すように、
「なあに、その西郷どんというのは、あけっぱなしのすき[#「すき」に傍点]だらけでしたが、そばに附いているのに物すごいのがいました、うっかり手出しをしようものなら、あいつに斬られてしまいます――それは西郷のお側《そば》去らずで、中村半次郎という男だということをあとで聞きました」
中村半次郎は後の桐野利秋《きりのとしあき》であります。この男が周囲にあるがゆえに、西郷の身辺に近づき難いということは、さもありそうなことです。
そんなようなわけで、七兵衛もいいかげんに見切りをつけて、長追いをしなかったものと見えます。
しかし、前後の行きがかりから、薩摩屋敷なるものの、危険の巣であって、必ずや、そこが火元になって、江戸中を焼き払うの時があるべきことを迷信し、その火つけの総元締が、西郷吉之助であることも充分に想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論をつけて、七兵衛なりに、主膳に語り聞かせますと、主膳も相当にうなずいて、
「薩摩と、長州は、本来、江戸には苦手なんだからな。関ヶ原以来の宿怨《しゅくえん》といったようなものがついて廻るからな。あの時に、長州をして薩摩を討たせ、その後に長州を亡ぼそうという魂胆が、こっちに無かったとはいえないからたまらないさ、しかし、それを程よくここまで立てて来たのは、東照権現《とうしょうごんげん》の偉大なる政策と、重大なる圧力の結果だよ」
そんなようなことを言っているうちに、
「まあ、御免下さいまし」
七兵衛は、こんな話をしておいて、急に縁《えん》から立ち上りました。
そこで主膳の前から消えてしまった七兵衛は、つまり御免下さいましの意味は、単に主膳の前だけの暇《いとま》だか、これから例の以前の鎧櫃《よろいびつ》の一間に籠《こも》って、悠々《ゆうゆう》、夜の疲れを休めようとするのだか、或いはまた、これから、何かめざしたところの仕事にでも取りかかろうとして出発を急ぐのだか、乃至《ないし》また、お絹のところあたりへ、ちょっと顔を出して、御挨拶を申し述べてみようとするのだか、それはわからないなりに、まあ御免下さいましと言って七兵衛は、主膳の前から消えてしまいました。
七兵衛が立去ったあとで、神尾主膳は、なんだか平生には似気《にげ》ない心持になりました。
国の亡ぶる秋《とき》遠からず――といったような感慨が、骨まで腐り込んだ主膳の魂のどこかを、軽く突いたようなものです。
万一、徳川の屋台骨《やたいぼね》が崩れるとすれば、その責任はいわゆる旗本にあるのだ。われわれも御粗末ながら、その旗本の末席を汚し来った一人とすれば、その責めを分たねばならないのだ。責めを分たねばならないどころの話か、このおれのような恥知らずの、やくざ者が相ついで出でたればこそ、主家のタガがゆるんだというものではないか。おれたちこそ、実に徳川にとっては獅子身中《しししんちゅう》の虫だ。なんのおれたちが、しっかりしてさえいれば、つまり旗本八万騎なるものが、往昔の三河武士の気骨さえ失わないでいるならば、なんの薩摩が、なんの長州が、歯が立つものか――
おれのような、やくざが旗本から続出したればこそ、それでこうも徳川の屋台骨が傾いたのだ。
徳川の敵はおれたちじゃないか――なあに、天下は廻り持ちだから、三百年も一手に握っていれば、大抵にして他に譲った方がいいのだ。未来|永劫《えいごう》、日本の国の政治の権力が、徳川の手にあるべきはずもなく、あらしめねばならぬ名分もないのだ。栄えるのが何だ、衰えるのが何だ、おれたちは、つまり遊びたいだけ遊べる天下がほしいのだ――と、こんなような理窟をコジつけてみても、さて、外勢力がこの江戸の土を蹂躙《じゅうりん》するような日を予想してみると、腹が立たないわけにはゆかぬ。
国が亡ぶるということは、悲惨中の悲惨なことだ。なにも徳川が亡びたとて、日本の国が亡びるという意味にはならないが、それでも、大坂落城の時の殷鑑《いんかん》はどうだ。自分で飲みつぶし、使いつぶした身代は、また観念もするが、他から侵入され、征服されて、つぶされる運命は癪《しゃく》だ。癒《いや》し難い無念だ、残念だ。
ちぇッ、おれも、こうばかりはしていられないんじゃないか――神尾主膳が、いつに似気なくこんな心持になりかけた時、離れ座敷で糸の音がしました。珍しくお絹が、三味線いじりをはじめたものらしい。
二十
しかし、一方お絹の方では、主膳が身にこたえるほどに感じてはいず、これが年中行事じゃない、日課のおきまりとして、恭《うやうや》しく鏡台に向ってお化粧をはじめました。
主膳が入木道《にゅうぼくどう》を試みるのを、朝のおつとめの快事とするように、お絹がお化粧にかかる時が、この女の三昧境《さんまいきょう》かも知れません。
このごろは始終|丸髷《まるまげ》です。丸髷を粋向《いきむ》きにこしらえてみたり、奥様風に結わせてみたり、それがまた見られる時は見られるように撫でつけてみたり、乱れた時は乱れたようにさわってみたりして、自然の容色のまだ衰えないことを、ひとり悦《えつ》に入《い》っているようです。
容色の衰えないことは、全くその己惚《うぬぼれ》の通りといっていいでしょう。時によっては、以前よりはいっそう水々しく、つやっぽく、仇《あだ》っぽく見えることさえあるのですが、どうかすると、年は争えないものだという引け目を、自分ながら強く感じ出して、化粧刷毛《けしょうはけ》を投げ出して、といきをつくこともないではありません。
切髪は、とうの昔に廃業して、ちかごろでは丸髷専門と言いつべく、丸髷が至極お気に入りの様子で、その結いぶりがヒドク気に入った時は、その場で声を立てて主膳を呼ぶことがあります。主膳を呼んで、さも誇らしげに、髷形をゆすって見せて、その賞讃を得ることを、子供らしく喜ぶことなどもあるのであります。
だが、しかし、このごろは、あれにも、これにも、倦怠《けんたい》の色を隠すことができない。
お化粧が済んだら、今日はお花を活《い》け換えようと思っていたが、あいにくまだ花屋が来ないものだから、その間の所在に、ちょっと三味線にさわってみたのです。
それとても、花にはかなりの自信はあるが、三味線は、人に聞かせるほどの堪能《たんのう》のないことを自覚しているから、ホンの手すさびに、さわってみて、新内《しんない》を一くさり口ずさんではみたが、こんな時に、主膳に立聞きをされて、冷かされでもしてはばかばかしいという思い入れで、手っ取り早く切り上げてしまい、さて今日はどうしようか、どこへ行こうか、と火鉢の上へ手をかざしながら、退屈まぎれの方法を考えはじめました。
三芝居もどんなものだか、佐《さ》の松《まつ》の若衆人形の落ちこぼれが、奥山《おくやま》あたりに出没しているとのことだが、それも気が進まない。活人形《いきにんぎょう》も見てしまった。百日芝居でもあるまいが、そうかといって、西洋鋸《せいようのこ》で板をひきわる見世物を見に行ったって始まらない。出歩くことは嫌じゃないが、結局、今日は、どこへも出てみようという気がしないで、でも、こうしているのもばかばかしいから、若様のところへでも押しかけて行ってやろうか、という気にもなってみたが、それもまた、おきまりの門口をくぐり直すようでげんなりする――註、若様というのは主膳のことで、あれでもお絹にとっては、若様気分は取去れないものになっている。
で、こんな時にこそ、お客が押しかけて来てくれればいいと思いました。そのお客といっても、ここは隠れ家同様なところだから、滅多な人を引込むわけにもゆかず、来る奴は大抵きまったようなものだから、予想し得るお客のうちでは、この倦怠気分を救い得るに足る奴は、一人もないことになっている。
ツマらない――お絹は投げ出したように、張合いのない生活をさげすんでみたが、
「女軽業のお角って、あのバラガキめ、このごろはどうしていやがるか」
といったような、反抗気分に襲われました。いったい、この女と、お角とは、前世どうしたものか、ほとんど先天的の苦手《にがて》で、思い出しただけで、おたがいに虫唾《むしず》が走るようになっている。その苦手にさえ、ここでは小当りに当ってみたくなるような気分になったのみならず、
「あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というやつ、あんな奴さえこのごろは音も沙汰《さた》もない」
とつぶやきました。
そこへ、
「こんちは、まっぴら御免下さいまし」
障子の外から猫撫声《ねこなでごえ》がしました。
来やがった、来やがった、来るに事を欠いて、おっちょこちょいの金公が来やがった。
その声で、お絹はうんざりしてしまったが、まあ、いい、これも時にとっての、おもちゃだ――という気分で、
「金公かえ、おはいり」
と言いました。
「はい、その金公でございます」
お許しが出たと見て、抜からぬ顔で障子を引開けて、ぬっと突き出した金公を見ると、どこで工面《くめん》したか、ゾロリとしたなりをして、本物の野幇間《のだいこ》になりきっている。
「近ごろは、とんと御無沙汰のみつかまつりまして、何ともはや」
といって、人さし指と中指を揃《そろ》えて、額のところをトンとたたき、
「これは、憎らしうございます、朝っぱらから、忍び駒のしんねこなんぞは、憎らしいことの限りでございます、ここは人里離れし根岸の里、御遠慮なくお発し下さいまし、金公の野郎にも一つ、おたしなみの程を聴聞《ちょうもん》仰せつけられたいもので……」
ぬらりくらりと侵入して来て、置きはなしてあった三味線と
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