、お絹の顔をかたみがわりに見渡して、しゃべり出しているから、お絹が、
「駄目よ、三味線なんて、わたしのがら[#「がら」に傍点]じゃないけれど、あんまり退屈するものだから、退屈|凌《しの》ぎに持ち出してみました、お前こそ、なかなかこの道に堪能《たんのう》だという評判じゃないか、一つやってお聞かせな」
「ど、どう致しまして、たんのうは恐れ入りやす、全く恐れ入りやす」
金公がイヤに恐縮するのをお絹が見て、からかってやる気になり、わざと三味線を押しつけて、
「何でもいいから一つ、やってごらん」
「いえ、どう致しまして、全く……」
「そんなことを言わないで」
「どう致しまして」
「さあ、おやり」
「いけやせん、全く」
「何でそんなに遠慮をするの、今日こそはお前の腕を見て上げるから、一つおやり」
「どう致しまして」
「やらないの?」
「いえ、その……」
「やらないの?」
「いえ、その……」
「やらないの、それとも、やれないの?」
「ど、どう致しまして」
「やらないのなら、やらないとお言い、やれないのなら、やれないとはっきり言ってごらん」
「全く以て、その……」
「ふだんの広言に似合わないじゃないか、お前の日頃の口ぶりでは、道具さえあれば何でも御所望次第、というようなことを言いながら、こうなって後ろを見せたがるのがオカしいじゃないか、今日はこの通り、ちゃんと道具が整っているのだから、否応《いやおう》は言わせません、一つ弾いてごらん」
「弱りましたな」
お絹は、こいつが口先ばかり、万芸ことごとく堪能《たんのう》のようなことを言っているが、その実、おっちょこちょいの空《から》っぽということを知っているから、今日は苦しめてやるつもりで、三味線を押しつけてみると果して辟易《へきえき》してしまい、三味線を押しつけられるごとに、ジリジリと後ずさりをして、怯《おび》えきったところを見すまし、
「素直に御所望に従わないと、今日限りお出入りを差しとめるよ」
「恐れ入りやした、以来、広言は固く慎《つつし》みますゆえに、御勘弁の程をお願い申しやす」
全く白旗を掲げてしまったのを見て、お絹も追究はせず、
「そうだろうと思った。では、これで許して上げるから今後をお慎み――そうして、もっとこっちへ寄って、何か面白い世間話を聞かせておくれな」
そこで金助が、自分が近ごろ見聞いたところの世間話を、薄っぺらな唇でぺらぺらしゃべり出し、嘘八百のおべんちゃらを並べて、とどのつまり、拙《せつ》もこれでかなりの色男でゲス、というような見得《みえ》をきるものだから、
「金公、お前、そうして締りなくしゃべり歩いて、それでも少しはいろ[#「いろ」に傍点]は出来るのかい」
とお絹が高飛車に言いました。
「へ、へ、へ、へ、そう見くびったものでもございません、これでも男のハシクレでございますからな」
金助は、しゃあしゃあとして顎《あご》を押えたから、お絹もあきれていると、金公いよいよ納まり返って、
「御覧《ごろう》じませ、こうしておりますてえと、それ金さん、お召物を差上げましょう、ヤレ金公、お小遣《こづかい》を持って行きなと、諸方からこの通り恵んで下さいますので、金助、いっこう生活《くらし》に不自由というものを感じません」
「あきれちまうねえ――そういえばこの羽織なんぞも、そんなに悪くない羽織だが、どこから恵まれたの」
といって、お絹がヤケにぐんぐんと金助の着ていたゾロリとした羽織を引張ってみました。
「どうか、おてやわらかに願いたいもんで。尤《もっと》も多少お手荒く扱われましょうとも、さめたり、破れたりする品とは、品が違いますんでございますが、それに致しましても、冥利《みょうり》というものがございますから、ずいぶんおてやわらかにお願い申したいもんでゲス」
そこでお絹が、
「ほんとに世間には物好きもあったもんだね、惜しいよ、こんな野郎に、こんな羽織をかぶせて置くなんぞは」
といって、二度《ふたたび》、ヤケに金助の羽織を引っぱり廻すと、金助は火のついたように、それを振り払い、
「滅相な、もし羽織に怪我でもあらせるようなことになりましては、あの人に済みません」
「ばかにしているよ、あの人とはいったい誰のことなの、当節、金公にこの羽織を恵むなんて茶人も、世間にはあるものか知らん」
「ところが、その茶人が、あなた様のお知合いの中にあるんでございますから、争われません」
「冗談《じょうだん》をお言いでない、わたしの知っている限りで、これだけの羽織を、金公に恵んでやるような度胸の奴は一人もありません」
「ところが大有りなんですから、有難いじゃございませんか」
「ふ、ふ、ふ、お前には綿銘仙《めんめいせん》の羽織か、双子《ふたご》の綿入あたりが相当しているよ、どこのおたんちんが、こんなゾロリとしたお仕着《しきせ》を、ほかならぬ金公にかぶせてやる奴があるものか」
「ところが現在ごらんの通り、その外《ほか》ならぬ金公なるものが、こうしてゾロリとしたやつを着込んでいらっしゃるんだから争われませんや、あやかり[#「あやかり」に傍点]たいと思召《おぼしめ》しませんか」
顎《あご》を撫でて、頭をぬっとお絹の前に突き出したものだから、お絹が、
「この野郎」
と言って、ピシャリと金公のそりたての頭をなぐりました。本来、なぐるつもりは無かったのでしょうが、ハズミがよかったと見えて、ちょっと振り上げた手が、程よく金公の突き出した頭と出逢《であ》ったものだから、そこでピシャリという、あつらえたような音がしたものと見えます。
「こいつは恐れ入りやした、これは驚き入りやした、暴力は恐れ入ります」
金助が、けたたましい声を上げて、仰山《ぎょうさん》な驚き方をして、打たれた頭を、盛んに撫でさすりましたから、お絹が、
「もう一つ打《ぶ》って上げようか」
手を振り上げたところが、金公、存外騒がず、
「結構でございますな、もう一つ打《ぶ》っていただきやしょう、打ってお腹《はら》が癒《い》えるものならば、たんとお打ち下さいまし、あなた様に打たれるのは、あの人に打たれるのと違いまして、痛くございません、どうぞたんとお打ち下さいまし」
といって、いけずうずう[#「ずうずう」に傍点]しく金公が、またもその頭をお絹の前に突き出しました。
お絹も、いよいよ呆《あき》れ返って、
「望みなら、いくらでも、ひっぱたいて上げるよ」
かの女は、金公の頭を続けさまにぴしゃぴしゃとはたきました。
「痛くございません、あの人にたたかれるよりは、決して痛くございません」
いい気になって、いくつでもたたかせているから、お絹も張合い抜けがして、こんな安っぽい頭を、いくつたたいてもたたきばえがしないと見切り、手荒く突き放してしまったものですから、ハズミを食って、三尺ばかりケシ飛んでしまいました。
「これは驚きました、これは恐れ入りやす」
ケシ飛ばされたのをたて直して、いざりよって来たところを、お絹が火鉢の炭を火箸《ひばし》でつまみ、片手でゾロリとした羽織の袖口をひっぱって、
「さあ、お前のようなおっちょこちょいに、この羽織をくれた人は誰だか、言っておしまい、それとも、どこからちょろまか[#「ちょろまか」に傍点]したか、それを白状おし」
「これは驚きました」
「言わないとこうだよ」
お絹は、そのゾロリとした羽織の紬口をひっぱったその上へ、火のかたまりをあてがったから、金の野郎驚くまいことか、
「白状しますから御免下さい」
「さあ、言っておしまい」
「白状致します、白状は致しますが、それをお聞きになって、あなた様がお気を悪くなさるといけません」
「冗談《じょうだん》じゃない、お前のようなおっちょこちょいの、のろけを聞かされたって、ドコの国に、気を悪くなんぞする奴があるものか」
「では申し上げちまいますが、それは、あの実は、両国の女軽業の親方のお角さんから拝領の品なんでございます」
「え!」
「そうらごらんなさい、あなた様、お気を悪くなさるんじゃございませんか」
「知らないよ」
「だから、最初から申し上げないこっちゃございません」
「ばかばかしいにも程のあったものさ、このおっちょこちょいに、こんな羽織を恵むなんて――ほんとうに、見世物師でもなけりゃ出来ない芸当だ」
「それにはね、それで、曰《いわ》くがあるんですから、まあお聞き下さいまし」
「曰くなんぞは聞きたくないよ」
「まあ、そうおっしゃらずにお聞き下さいましな、拙《せつ》がこの羽織をいただくまでには、涙のにじむような物語があるんでございますよ、あだやおろかの話じゃございません」
「何にしたって、こんな羽織は、この野郎には過ぎ物だよ」
「そう、おっしゃられては二の句がつげませんが、実はごしんさま[#「ごしんさま」に傍点]、なぐられ賃ですよ、なぐられ賃に、お角さんからこの羽織をいただいちまったんでございますよ」
「よく殴《なぐ》られる男だねえ」
「しかも、その殴られっぷりが、あなた様のなんぞとは違って、ずいぶん手厳しいものでございましたからね、一時は、息の根が止まるかと思いましたよ、命からがら、両国橋まで逃げのびて、そこでやっと、息をついて命拾いをしたような始末でございます」
「ふーん」
「それから、二三日前に伺いますてえと……」
「まあ、それほどの目に逢いながら、またずうずうしく出かけたのかい」
「なあに、さすがの金公も、暫くは敷居が高うございましたが、あの親方が、熱海から湯治《とうじ》帰りと聞いたもんですから、恐る恐る伺ってみますと、そこは江戸ッ児ですから、さらりとしたもので、以前のことなんぞは忘れて下すって、金公、この間は痛い目をさせて気の毒だった、これがお前に似合うようなら着てごらんといって、くだし置かれたのがこの羽織なんでございます、何といっても恐れ入った気前でございますよ」
そこでお絹の顔の色の変ったことが、この野郎にはわからない。
話を聞いているうちにお絹の顔色が、みるみる不快なものになって行くのはあたりまえのことです。
それに頓着あってか、無くてか、金助は、立てつづけに、女軽業の親方のお角なるものの、気前の礼讃《らいさん》にとりかかる。
「全く恐れ入ったものでゲス、あの気前でなければ、ああして一座を背負って立つことはできません、もとの怨《うら》みなんぞは、すっかり忘れて下すって、金公、ソレこの羽織をやるから着て行けなんぞは、嬉しい心意気じゃございませんか」
「馬鹿野郎」
さすがのお絹も受けきれなくなって、今度は、思いきり力を入れてひっぱたいてしまいました。
これは、以前の続けざまにたたいたのよりは、ズッと痛かったと見えて、
「あ!」
といって、頭をおさえながら、しかめっ面《つら》をしてしまっていると、
「帰っておしまい」
頭を押えて、しかめっ面をしているところを前からトンと突いたものですから、もろくも、再び後ろへひっくり返ったものです。
「けがらわしいから、お帰り、こっちだって腕ずくなら、乞胸《ごうむね》の親方に負けないくらいのことは仕兼ねないよ」
以前の時は、おもちゃであったが、こうなっては、お絹が真剣におこり出したようなものです。真剣におこらしては金公の、もくろみが外《はず》れたかも知れません。
この手で暗に女軽業の親方の気前のよいところ、器量のあるところを持ち上げて、遠火であぶっておけば、こっちも女の意地でも負けない気になって、風通《ふうつう》の袷《あわせ》ぐらいは奮発にあずかれるかも知れないという、内々の当込《あてこ》みがフイになってはたまらない。本当におこらしてしまったのでは引込みがつかない。
いったい、お角の前でお絹をほめることと、お絹の前でお角をほめることとは、どっちにころんでもこういう結果になることを、金助としても心得ていそうなものを、おっちょこちょいというものは、これだから仕方がない。
「悪気で申し上げたんじゃございません、どうぞお気を直していただきたいもんで」
「けがらわしいよ」
お絹はよほど、癇《かん》にこたえたと見えて、いったん火
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