び寝床の中へもぐり込みましたが、蝋燭《ろうそく》を消そうともせず、暫く仰向けに寝そべっていたが、そのままで手をのばして、例の写真を取り上げて、やはりその仰向けに寝たままで、それを冷静にながめ入りました。
 ここで、この際、こんな写真を見せられようとは思わなかったのでしょう。有ると知ったら、見ない方がよかったのでしょう。でも、不意に現われて、不意に見せられてしまった以上は仕方がない。
 これぞ、かつて、自分の最愛の妻であった人の面影《おもかげ》。

         十八

 神尾主膳は、今朝《けさ》は日当りのよい窓の下で、しきりに入木道《にゅうぼくどう》を試みていました。
 これが、閑居のうちに、神尾主膳が善を為《な》すの唯一のことかも知れません。
 朝の気分のいい時を選んで、会心の法帖を摸するの快味を味わう瞬間だけは、神尾主膳にも本当な清純な興味に、我を忘るる殊勝な色が面《おもて》にただよいます。
 今も、専心にそれをやりながら、ふと筆を休めて、半ば開いて置いた窓から、庭の方を見ました。
 竹林の風情《ふぜい》も面白いと思いました。掘ぬきの井戸から引いた泉水の流れも、今日は特別に気持がよい流れだと思う。朝の光線も、空気も、庭の木々も、そこへ遊びに来る小鳥も、すべてが快い感じを与える朝だというように、主膳は珍しく暢《のび》やかな、ゆったりした気分になりました。
 ところが――一朝にして、このせっかくの主膳の、珍しく気持のよい暢やかな気分を、根本から打消してしまったものがあります。
 そこで、主膳はむらむらとして、一種の不快千万な気持に襲われると共に、今までの、かりそめの清純な感情が塗りつぶされてみると、当然あるべき神尾主膳そのものの感じが、露骨に現わされてしまったのは、ぜひのないことでしょう。
 何が、それほど、せっかくの神尾主膳を不快なものにしてしまったか。
 庭を隔てての廊下を見ると、お絹という女が寝くたれ髪のだらしのない風をして、しきりに楊子《ようじ》を使っている姿が、ありありと見られたからであります。
 今時分――日はカンカンと照っているのに、自分でさえが、こうして、早く、いくつもの法帖を楽しんでいるのに、かの女《おんな》は、今になって漸《ようや》く寝床を離れたものらしい。
 朝寝ということは、当然夜ふかしというものを前提とする。
 それは芸妓であり、女郎である人々は別とする――また芸妓であり、女郎でないまでも、社会に存する正当な仕事で、夜業をすべき必要のあるものは別とする。
 普通の社会において、普通の家庭において、朝寝、夜更かしというものは男性においてさえも決して自慢にはならない。ましてや女性において、おそらく女性の醜辱《しゅうじょく》の一つとして、朝寝、夜更かしはその最も大なるものの一つとして、数えてもよかろうと思う。
 さすがの神尾主膳でさえが、このカンカン照っているお天道様の前に、ぬけぬけと、恥かしい色も更になく、起きぬけの、だらしのない姿をさらしている女の醜態に、目を蔽《おお》わないわけにはゆきませんでした。
 といって、主膳には断じて、それを弾劾《だんがい》したり、諷諫《ふうかん》を試みたりする資格はない。このごろこそ、その方面へはあまり足を入れないけれども、到るところの花柳《かりゅう》の巷《ちまた》というところで、自分もこのだらしない雰囲気《ふんいき》の中に、だらしない相手と、カンカン日の昇るのを忘れて耽溺《たんでき》していた経験を、有り余るほど持っている身でありながら――この時、この女の風を見て、不思議といっていいほど強く、醜辱の感を催しました。
 ああ、かの女の朝寝は、当然、昨夜の夜更かしを連想する。
 昨晩もかの女は外出した。そうして帰りはいつであったか、主膳すらも知らない。
 主膳も最初のうち、火の車の時にこそ、あの女の才覚で、どうやらこの所帯を張っていたのだから、その時は、あの女を大切にもしたし、自然、その外出がおくれたりする時には、いらいらもしたが、今は七兵衛のおかげで、懐ろは温かくなっているし、あの女の不良性はもう慣れっこになっているのだから、このごろは、その出入りをさまで気にも留めていなかったが――今朝という今朝は、不思議なほどの醜辱を感じました。
 神尾主膳は、入木道《にゅうぼくどう》の快感から、朝寝、夜ふかしの醜辱に、苦々《にがにが》しい思いをして、再び筆を取る気にはなれず、じっと机に肱《ひじ》をもたせて、やはりその苦々しい思いで、眼を据えて、前庭をながめっきりにしておりました。
 主膳といえども、この頃は、手持無沙汰に堪えられないものがあるのであります。「黄金多からざれば、交わり深からず」といった頼もしい連中は、多少の黄金を振りまいている間は集まって来るが、その水の手が切れれば、雲散霧消することは今にはじめず、外へ遊びに出るにはこの額の傷が承知しないし、よし額の傷が承知しても、どこへ遊びに行こうという興味も起らないのは、すでに世の遊びなるものを仕尽しているからであります。
 その結果、彼の頼もしい友人たちと企《くわだ》てた大奥侵入の空想も、七兵衛の身を以て虎穴《こけつ》を探って来た報告によれば、どうしてどうして、伊賀流の忍びの秘術を尽したって、容易なことではない――ということを知ってみれば、果ては憮然《ぶぜん》として、苦笑いが、高笑いとなって止むだけのことでした。そうしてみると、もうこの人生で、この男の行楽のやり場というものは一つもない。ところでこうして、手持無沙汰をきわめた閑居のやむなきにいると、お絹という女が、あれでなかなか干渉をする。
 自分は御覧の通りの体《てい》たらくであるのに、主膳のこととなると、酒を飲むことから、外出することにまで干渉する。いっぱし、自分が監督者気取りで納まっているようにも見られる。臍《へそ》が茶を沸かすことといえば、臍が茶を沸かすことに違いないが、それだけまた相当に親切気を見せ、いたわるのだから、今のところ、あの女の手一つに、主膳の家庭味というものが握られて、甚《はなは》だしい酒乱にも至らず、甚だしい放埒《ほうらつ》もない。ともかくも、無意味きわまった閑居を、少しでも維持しておられるのだから、主膳としては、どうしてもあの女を放しきれないでいる。
 さあ、今日あたりは例の足立のなまぐさ坊主でも、碁打ちに来ないかな――と気のついた時分、空中から、唸《うな》りを生じて、自分のながめている前庭の真直ぐ前に、轟然《ごうぜん》として舞い落ちたものがあります。
 何だ――何の騒ぎだ。それは凧《たこ》が落ちたのです。見れば、西の内二枚半ばかりの、巴御前《ともえごぜん》を描いたまだ新しい絵凧が一枚、空中から舞い落ちて、糸は高く桜の梢《こずえ》に、凧は低く木蓮《もくれん》の枝にひっからまって、それを外《はず》そうと、垣の外でグイグイ引くのがわかります。
 凧だな――と思って主膳が、なお窓の上から軒先高くながめると、その外に、空中には紅紫|絢爛《けんらん》、いくつもの、いかのぼり[#「いかのぼり」に傍点]が飛揚していることを知りました。
 字凧、絵凧、扇凧、奴凧、トンビ凧の数を尽し、或るものは唸りを立てて勇躍飛動する、或るものはクルクル水を汲んでたて直す体《てい》を見て、神尾主膳がカラカラと笑いました。
 多分、この無邪気にして、爽快な、空中の彩色を見て、自分というものの少年時代を想い浮べたのでしょう。
 凧の糸目をつけるはなかなかコツのあるもので、子供でも、器用な奴と、無器用な奴のすることには、天と地ほどの相違がある。つまり、器用の奴のやるのは、天上に舞いのぼるが、無器用の糸目をつけた凧は、逆立《さかだ》ちをして地上をかける。そうして自分はというと、憚《はばか》りながら、子供の時分から凧の糸目をつけるのは上手だった。自然、凧揚げも下手ではなかった。凧の喧嘩には、いつも勝って、相手のやつを吹っ飛ばしてやったものだ。
 そうだなあ、もう、こんなに凧が流行《はや》ってもいい時分だ――と主膳が、そんな空想に駆《か》られている間、不幸なのは木蓮の枝にひっかかった巴御前で、外では相変らずグイグイと力を極めたり、ゆるめたり、百方苦心して、引き取ろうとするが、いよいよ取れないで、木の枝にいよいよからみつく。それを主膳は、だまって見ているうちに、垣の外でワッと大声に泣き出す声が聞えました。
 その時、どこをどうしたものか、三人ばかりの真黒い男の子が、怖々《こわごわ》と垣の外から庭の植込の中へ入り込んで来たのを、主膳が認めました。
 しかし、なお、黙って、そのせん[#「せん」に傍点]様を見ていると、いずれもはなったらしであります。この辺の町家か、百姓のせがれと覚しく、あんまり身分ありそうな子供でもないが、それでも無断で、人の屋敷へ入り込んで来た遠慮心から、済まないような目つきと、足どりで、こちらへ進んで来るのを主膳は認めたけれども、子供は気がつかないで、
「有った、有った、あら、あの桜の木の下の木蓮の枝にひっかかってやがら」
「ああ、有った、有った」
 そこで彼等は、遠慮心も、好奇心も打忘れて、バラバラと例の木蓮の枝のところまで走《は》せ寄ったが、そのうちの一人が、その瞬間に神尾の姿を見て、
「あっ!」
と言って舌をまいて踏みとどまったが、二人は気がつかないものだから、遮二無二《しゃにむに》、木蓮の枝にしがみついて、木の撓《たわ》むのも、枝の折れるのも頓着なく、凧を引っぱずしにかかるものだから、神尾主膳が、
「コラッ」
と強く言いました。
 この声で二人の子供が木から落ち重なって、主膳の眼の前に、へたへたに手をついてしまいまして、
「御免なさい、御免なさい」
 あるじの何者であるかは知らないが、自分たちに、無断侵入の引け目のあることは、充分に自覚しているし、それを叱った人の声こそ大きくないが、姿を見れば立派なお武家と見えるのに、その怖ろしい顔――素《す》では特別に怖ろしい顔ではないが、その生れもつかぬ三眼《みつめ》が承知しない。
 そこで彼等三人の子供は、即座にお手討にでもなってしまうかの如く恐怖して、へたへたにかしこまって、申し合わせたように頭を下げてしまいました。
 しかし、このとき神尾は、また特別にこの子供らに対して、怒りを移すべき事情を持っていなかったのですから、そう烈しい言葉で叱ったわけではありません。
「お前たち、だまって人の屋敷へ入り込んではいけないじゃないか」
「御免なさい」
「どこから入ってきた」
「あそこから入って来ました」
「あんなところに、お前たちの入れるようなところは無いはずだ」
「三ちゃんちから梯子《はしご》を借りて来て、かけて入りました」
「梯子をかけて、人の屋敷へ入ったって? お前たち、今からそんなことを覚えると、いまに大泥棒になってしまうぞ」
 主膳は真顔で言いましたが、七兵衛でも聞いていた日には、さだめてくすぐったいことでしょう。
「御免なさい」
「人の屋敷へ入る時には、一応ことわって、許しを受けてからでなけりゃいかんぞ」
「もう、これきりしませんから、御免なさいまし」
「よし、そうしてお前たち、むやみにそうひっぱったって、凧《たこ》は取れるもんじゃない、そう無茶にひっぱれば、凧が取れないのみならず、凧が破れる、凧が破れるのみならず、肝腎《かんじん》の植木が台なしになってしまう」
「御免下さい、もうしませんから」
「よし、わしが取ってやる」
 主膳は、立って、縁へ出で、庭下駄をはいて下り立ち、上手に木を撓《たわ》めて、丹念に、糸と、糸目とを小枝から外《はず》して、
「さあ、取れた。お前たち、糸をその辺のいいところで切れ」
「おじさん、有難う」
 子供らは、おじぎもそこそこ、その凧を持って、丸くなって、逃げるように引上げて行く後ろ姿を、神尾主膳は飽かずに見送っておりました。

         十九

 主膳が、これからひとつ、子供を相手にして遊んでやろうという気になったのは、この時にはじまるのであります。
 これは、主膳にとって善心のゆ
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