》しました。
そのドシンと地響をして下へ卸した荷物を、取り直して地上へ形よく置き据《す》えたところを見ると、それは石です。石は石だが、角に削《けず》って、かなり手入れをした石ですから、形よく置き据えたところを見ると、まさに石塔の形であります。
形でありますではない、たしかに、石塔なのです。あらかじめ置いてあったところの敷石もあれば、水盤、花立のような形も、ささやかながらその前に整うている。
そこへ、今しも、背負い来《きた》った長方形の、目方おおよそ二十貫目もあろうというのを据えつけると、おのずから石塔の形が出来上ってしまいました。
その前で、ホッと息をついた労働女。
この辺で労働女といえば、それは海女《あま》にきまっているようなものです。
泳ぎが達者で、海の中で仕事をするのが本職だとはいえ、陸《おか》へ出ても、一人前の男以上の働きはする。今もこの通り、二十貫もあろうという石を、どこから背負って来たか、つまり他のものの力というものは一つも借らずに、ここまで持って来たことでもわかります――どうかすると房州の女は力がある上に多情だというものがあるけれど、必ずしも、そういったわけのものではあるまい。
ただ気候が温暖なため、もう一つは、婦人の労働が盛んで肉体が肥るのと、もう一つは、飽くまで魚肉を食うから、それで肉体の燐分が豊富になり、色慾が昂騰するのだというものがある。それは比較的そうかも知れないが、それを以て、房州の女全部の貞操に当てはめるのはいわれのないことです。
この労働女もまた、そういった種類の御多分に洩《も》れないのかも知れない。御多分に洩れても洩れなくても、それはよけいなことですが、この際、偶然とはいえ、ここへ石塔を持って来て押立てたことは、気が早過ぎるといえば早過ぎる、ということができます。
清澄の茂太郎にとって、不祥といえばこれ以上の不祥はありません。
苟《いやし》くも人間一人が陥没して、生死不明になったその瞬間に、事もあろうに、その同じ地点へ持って来て石塔を押立てるということは、当人の知ると知らぬにかかわらず、好い辻占《つじうら》とはいえますまい。知らないこととはいえ、どうも縁起のよくないことをする女です。
と思って女の身のまわりをよく注意すると、不祥はこれ一つに限ったことはない、砂丘の断続したその後ろのところを見ると、それよりはいくらか小さい分のこと、あちらにもこちらにも同じような石塔、五輪のような形を成したのや、無縫の形を成したのまでが、散在していて、そのまわりには、満足であったり、折れたり、裂けたりした卒塔婆《そとば》までが、いくつも立ち乱れています。
けれども、見たところ、それは一定の墓地というものでもないらしい。形ばかりでも菩提寺《ぼだいじ》というものがあって、親類縁者というものが集まって、野辺《のべ》の送りというものを済ました後、霊魂の安住という祈念で納めた特定の場所ではないらしい。
つまり、無縁仏《むえんぼとけ》というものです。無縁仏とすれば、陸地で、畳の上で、ともかくも無事な息を引取ったものではなく、この見渡す限りの広い海原《うなばら》のいずれかで、非業《ひごう》の死を遂げて、その残骸を引渡すところもなく、引取る人もなき、不遇の遊魂を慰めるために、こうして、心ばかりのしるしが営まれたと見るほかはないのであります。
今も、逞《たくま》しい海の労働女がもたらした一つの新しい記念碑も、ただいま陥没した清澄の茂太郎のための早手廻しでない限り、そういった種類の遊魂の衣《ころも》に過ぎまいと思われます。
一基の石塔を押据えてしまってから、海の女は、その石塔の前で火を焚《た》きはじめました。これは迎え火というものでもなく、また送り火というものでもありますまい。
散乱した漂木を集めて火を焚きつけた上に、折れて散った卒塔婆まで掻《か》き集めて加えたところを見ると、これが、後生とか、追善とかを意味する火でないことがわかります。
ところが火が盛んになって、これならばという時分になると、その女は、火をそのままに残して置いて、自分は海岸へ出てしまいました。
海岸の砂浜のところへ出た上は、よく注意して見さえすれば、たった今、清澄の茂太郎が踏み荒した小さな足あとが見えなければならないはずですが、そんなことにはいっこう気がつかず、海の女は、海岸へ出ると、帯を解き、着物を解いて、見るまに素裸の形となってしまいました。
海女《あま》が裸になるのは、少しも珍しいことではありません。裸にならないのが、かえって珍しいくらいのことであります。だけれども今時分、何のために海へ入ろうとするのか知ら。無論、海水浴という時候ではないにきまっているけれど、海女が海中に入るのは、時候を選ぶという約束もないはずです。そんなことにも頓着なく、裸になった海女は、誰に遠慮もなく、海へざんぶと飛び込んでしまいました。飛び込んで、思うさまに泳ぎはじめました。
それは鮑《あわび》を取るためでもなければ、人魚の戯《たわむ》れといったような洒落《しゃれ》た心持でもない。つまり、風呂へ入る代りに、海で色揚げをするのかも知れません。
或いはまた、御亭主殿を失った精力の有り余る海女《あま》は、情念が昂進して来ると、夜中でも飛び起きて、海で遊んで来ないことには、どうにもこうにも、悶々《もんもん》の肉体をもてあますのだとのこと。
ここに限ったことではないが、海の女のあくらつなところへ、もし、気の抜けた、物ほしそうな男でも通りかかってごらんなさい、それこそ命があぶない。
そういうわけでもあるまいが、かなり長い時間を、思う存分に泳ぎ廻った揚句《あげく》――この辺で見切りをつけようとして立ってみると、波のあるわりあいに、そのところは浅く、潮の正味は下腹のところまでしかありません。
そこで、両手を合わせて面《かお》を一つ撫でてから、その両手を後ろへ廻してぬれた髪の毛を手荒く引っつかみ、頭をやけのよう[#「よう」に傍点]に左右に振って、その髪の毛をグルグルと結ぼうとする途端の拍子に、
「おや!」
と波の間をながめました。どうも人の声がしたようです。それは陸上でしたのではなく、海の中で、そうでなければ海の上の、あまり遠くないところで、人の声がしたようですから、髪の毛を後ろで持ったままで、立ちすくみました。
「おばさあーん」
波が行って戻るリズムにつれて、その声が二度、海の上から聞えました。二度まで聞えたのだから、まさに本物です。しかも、二度目のは、前よりも、ズット近い、自分の足もとから二間とは距《へだ》たらないところから聞えたものですから、きっと、その方を見ると、
「おや!」
さしもの、真黒な肉塊の海女がふるえ上って、後ろでつかんでいた髪の毛の手を放し、大童《おおわらわ》で、二度とは、その声のした方を見返らずに、一目散《いちもくさん》に陸《おか》へ走《は》せあがってしまったのは不思議です。
陸へ走せあがると、置き据えた石塔も、焚き残した卒塔婆《そとば》の火も、一切忘れて、ぬぎ放しにした衣類だけを引っかかえて、まっしぐらに逃げ出したのも道理。
海女が立っていた近くの海上には、世にも怖るべき海獣が一つ、漂うている。頭上に二つの角を持って、さながら鬼竜のようなのが、波にわだかまってこちらに向いている。
それが、茂太郎の額にのせられながら泳いでいる般若《はんにゃ》の面《めん》だとは、海女は知りません。
十三
清澄の茂太郎は、海へ溺《おぼ》れる時に、その大切に小脇にしていた般若の面をぬらすまいとして、頭の上へのせました。
ちょうど、額へかぶせて頭を隠しているものですから、その形で泳いでいると、どうしても悪竜が一つ、海の中を渡って来るとしか見えません。
残怨日高《ざんえんひだか》の夜嵐《よあらし》といったような趣《おもむき》を、夜の滄海《そうかい》の上で、不意に見せられた時には、獰猛《どうもう》なる海女《あま》といえども、怖れをなして逃げ去るのは当然でしょう。
そこで、浜に泳ぎついたというよりは、波に任せて、そっと持って来て置いてもらった茂太郎は、極めて従容《しょうよう》として、砂浜の上にすっくと立ちました。
海のおばさんの丸くなって逃げて行く後ろ影を、模糊《もこ》の間《かん》にながめながら、茂太郎は、ぬれた身体《からだ》を自分から顧みると、どうしても、その眼が、さいぜん海女が焚き残したところの、石塔の前の焚火のところに向わないわけにはゆきません。
般若の面を頭へのせたままで、茂太郎は焚火のところへ寄って来ました。
「卒塔婆《そとば》が燃えてらあ、勿体《もったい》ねえな」
しかし、卒塔婆のほかには、多くの燃料がなかったものですから、子供心にも勿体ないと知りつつ、その卒塔婆の折れを増しくべて、火の勢いを盛んにしてしまいました。
それからの仕事は着物をぬいでしぼって、それを卒塔婆の火であぶることです。
般若の面は相変らず、頭の上へのせて着物の一切を脱いでいるから、これも素裸《すっぱだか》であります。
そこで、着物を乾かしながら、自分の身体《からだ》をあたためながら、いいあんばいに、おあつらえ向きに火が燃やされてあったことに、少なからず感謝の念が湧いてみると当然、この火は、いま、丸くなって逃げて行った海のおばさんの焚き残した火だとさとって、その感謝の念を、右のおばさんのところへ持って行かなければならないと思いました。
しかるに、そのおばさんは、何だって、ああして丸くなって逃げて行っちまったんだろう。人が助けを呼んだも同然なんだから、むしろ進んで助けに来てくれてもよかりそうなものを、いち早く逃げ出した気が知れない――と、茂太郎は、自分のいただく般若の面の威力を知らないものですから、海女の挙動を不審なりとしました。
竹木をいいかげんに組み合わせて、物干台をつくり、それに着物をあんばいして乾かしている間に、茂太郎はふと、その袂《たもと》から蘆管《ろかん》を探り出しました。いいものを見つけたとばかりに、その蘆管をとって、火にあたりながら吹きはじめました。
茂太郎は、随意に、随所のものを利用して管絃《かんげん》をつくり、随意に鳴らすことを得意としています。洲崎《すのさき》の浜で、この蘆管をつくり、番所の庭で吹いていました。
その時に、田山白雲が、その笛の音を聞いて茂太郎のために、こういう詩を吟じたことがあります。
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遼東《れうとう》九月、蘆葉断つ
遼東の小児、蘆管を採る
可憐《かれん》新管、清《せい》にして且《かつ》悲《ひ》なることを
一曲|風《かぜ》飄《ひるがへ》りて、海頭《かいとう》に満つ
海樹|蕭索《せうさく》、天|霜《しも》を降らす
管声|寥亮《れうりやう》、月|蒼々《さうさう》
白狼河北、秋恨《しうこん》に堪《た》へ
玄兎城南、みな断腸《だんちやう》――
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白雲の豪壮な体躯と、爽快《そうかい》なる咽喉《のど》から、この詩が迸《ほとばし》り出でる時、茂太郎は笛をやめて、白雲の咽喉の動くのを見つめていたことがあります。
今は、その時とは違って、ただひとり、ほしいままに蘆管を吹き鳴らしていると、ゾッと寒気を催します。何しろ、裸ではあるし、海の風がうら淋しく吹いてくるのですから、蘆管の音そのものまで寒くなるのも仕方がありません。
幸いにして、その寒気を感じた時分には、着物はおおかた乾いていたものですから、茂太郎は無雑作《むぞうさ》にそれを取って一着に及びました。
まだ興が中断せず、着物を着て再び薪を加えてから、またも蘆管を取って吹き鳴らそうと試みた時、かの無縁仏の多くの石塔の間に、動いて来るものを認めました。
小さな獣《けもの》が一つ、乱離とした卒塔婆と、石塔との間に、うずくまっているのを認めたものですから、茂太郎は、
「来い、来い」
と小手招きすると、その獣は、ニャオと鳴いてあちらへ行ってしまいます。
「なんだ、猫か」
さしもの茂太郎が、暫
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