やくのことに宿を立ち出でて、例の通り駕籠《かご》に乗り、若いのが駕籠わきに附添って、そうして、この唐人小路の思いがけない曝《さら》し物のところまで来て、そのさらし物の世迷言《よまいごと》が耳に入ると、グッとこたえてしまいました。
「いやな声が聞えるじゃないか、耳のせいか知らないが、甲州の猿橋《えんきょう》の下へつるされたやえんぼう[#「やえんぼう」に傍点]が、ちょうど、あんな声を出していたよ」
と、垂《たれ》を手あらく掻《か》き上げて、
「見られたザマじゃない」
 駕籠を出て来たお角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、
「何という業《ごう》さらしだい、そのザマは……」
と呆《あき》れ返りました。
 呆れ返ったうちには、歯痒《はがゆ》くってたまらない思い入れもある。
「傍へ寄っちゃあいけない」
 例の六尺棒が、お角の出端《でばな》を押えようとするのを、お角は丁寧《ていねい》に、
「御免下さいまし、実は山崎譲先生から、お許しをいただいて参ったのでございます」
「ナニ、山崎譲さんから」
「この通りでございます、一切、みんなお返しをしていただいて参りました」
「なるほど」
 六尺棒が合点《がてん》したのは、お角が立戻って、自分の乗って来た駕籠を押開いて見せると、その中には、さいぜん山崎譲がこの男から剥ぎ取った一切のものが、まとめてそこに入れてありました。
「なるほど」
 再び、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、その棒縛りの縄目を解きにかかったお角は、
「ほんとに冗談《じょうだん》じゃないよ、このザマはこりゃ何だい。駿河の徳間峠にしてからが、甲州の猿橋の時にしてからが、覚えがありそうなもんじゃないか、ちっとは、あきらめがつきそうなもんじゃないか、世話の焼けた野郎じゃないか」
「済まねえ……」
「済むも、済まないも、わたしの知ったことじゃないよ」
「かまわねえから、ほっといてくれ」
「かまおうと、かまうまいと、お前の差図は受けない」
と言いながら、お角は、とうとうがんりき[#「がんりき」に傍点]の縄目を解いてしまいました。
 縄目を解かれても、この野郎は、もうかなり弱っているから、ちょっとは身動きもできないでいる。
「てんぼうの裸身《はだかみ》なんぞは、誰が見たって、あんまり見いいものじゃないよ」
といって、お角は、若い衆に手伝わせて、この野郎に、襦袢《じゅばん》から着物を片腕に通してやり、帯を締めさせてやり、その醜体だけは、どうやら応急修理が出来てみると、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎が、
「水、水を一ぺえ、振舞ってもらいてえんだが、水でいけなければ、梅干を一つ……」
「食い意地の張ってる野郎だよ」
といって、お角がムキになって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の横面《よこっつら》を一つ、ピシャリとなぐりました。
 これは少し手荒いようです。なんぼなんでも女だてらに、この際男と名のつくものの横面を、衆人環視の中でピシャリとくらわせるのは、やり過ぎたようですが、またお角の身になってみると、かりにも自分の知らないではない野郎の端くれが、こんなところで、飛んでもない、業ざらしにあい、自分としても、恥も、外聞も忘れて、助けに来てやったのに、着物を着せてもらえば、いい気になって、水が飲みたいとか、梅干が食いたいとか、贅沢三昧《ぜいたくざんまい》を言い出す恥知らず、図々しさが、我慢にも癪《しゃく》にさわってたまらないのでしょう。
 この場合、飲むことや、食うことなんぞを、言い出すべきはずのものではないと思ったからでしょう。
 しかし、がんりき[#「がんりき」に傍点]の身になってみると、着物を着るよりも、帯をしめるよりも、眼に見える醜態を隠してもらうよりも、先以《まずもっ》て、一杯の水が欲しかったのでしょう。
 決して、お角の腹を立てるように、抱かればおぶさるというような附けあがりから、水がほしいの、梅干が食いたいのと言ったわけではないにきまっている。贅沢三昧《ぜんたくざんまい》ではない、生命の必須の要求なんでしょうが、気の立ちきっているお角には、それがそうは受取れないで、一口に、附け上りの、恥知らずの、図々しさが癪にさわり、衆人環視の前でピシャリと一つ食らわせたから、見ているほどの者が、あっと驚いてしまいました。
 そうしている間にお角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]を、遮二無二《しゃにむに》、自分の乗って来た駕籠の中におっぺし込んでしまいました。

         十一

 暮れ行く海をながめて立つ清澄の茂太郎は、即興の歌をうたいました。
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古《いにし》への人に我ありと
近江《あふみ》の国の……
[#ここで字下げ終わり]
 これは、いつもながらの出任せであります。ひとたび、耳か、眼か、いずれかの器官かによって脳髄にうつったものが、時あって、口をついて現われるのは、頭脳の反芻《はんすう》とは言わば言うべきものですが、時によっては、意外なる消化をもって、全く、独創的に現われて来ることもあれば、記憶そのままが、すんなりと、暗誦《あんしょう》の形で現われて来ることもあるのであります。
[#ここから2字下げ]
古への人に我ありと
近江の国の……
[#ここで字下げ終わり]
 ここまでは、はからず口をついて出たでたらめでありますが、近江の国の……と口走ったところから、
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近江の国の
ささ波の
大津の宮に
天《あめ》の下《した》
知ろしめしけむ
すめろぎの
神のみことの
大宮はここと聞けども
大殿はここといへども
春草の……
[#ここで字下げ終わり]
と咽喉《のど》が裂けるほどの声で歌い出しました。これは創作でもなければ、出任せでもない。故郷の荒廃を見て、豪邁《ごうまい》なる感傷を歌った千古不滅の歌であります。
「あっ!」
 この豪邁なる感傷の歌を声高く歌って、暮れ行く海の表《おもて》をながめている時、不意に潮が満ちて来て、その足もとを洗ったものですから、茂太郎が、あっ! と驚きました。
「ああ、もう日が暮れちゃった」
 足を潮に洗われて、はじめて自分の空想も消えるし、感興の歌も止まるし、日の暮れたことがわかりました。
 夕陽《ゆうひ》の空には、旗のような鳥だの、垂天の翼のような雲だの、赤く、白く、紫に、菫《すみれ》に、橙《だいだい》に、金色《こんじき》に変ずる山の形だの、空の色だのというものが、見る眼をあやにしたり、心をおどらせたりするけれど、その夕陽が全く落ち尽して、一色の墨色が、天と、地と、水を、塗りつぶしにかかってみると、自分の空想も塗りつぶされて、現実のわれに返ったものと見えます。
 そこで、この少年は、またも一散《いっさん》に砂浜の上を走りつづけました。
 後生大事《ごしょうだいじ》に、般若《はんにゃ》の面《めん》を小脇にかかえて放さぬことは、いつもに変ることなく、軽快に砂原を走って、あえて疲れ気も見えないことは、山神奇童とうたわれた名にもそむかないようです。
 なお、こうして走ることは走るが、その目的がわからないのも、以前と同じことで、ともかくも、あの馴染《なじみ》の多い駒井の家を遠く離れてしまって、あえて帰りを恋しがろうともしないのが不思議です。
 砂浜を走れるだけ走って、かなり走り疲れたと思う時分に踏みとどまり、ようよう暗くなってゆく海の波がしらの白いのを、ながめて、こう言いました、
「弁信さん、弁信さん、さっき、お前が、しきりにあたしを呼ぶものだから、あたしはこうして飛び出して来たんだぜ、あの赤い空の上に、不意にお前の姿が現われたじゃないの……だから、こうして、ここまで走って来ちゃったのよ。ここまで走ってくると、お前はもういないし、日もくれちまったじゃないの。これからあたしは、どうすればいいの」
 耳を傾けても、波の音ばかりで、返事をする声が聞えないのに、
「さあ、どうしたらいいの、ここは海で、これより先は行けないじゃないの、これから、どっちへ行けば、あたしはお前に逢われるの?」
 茂太郎の耳には、やはり弁信の呼びかける声が聞えて、その返事を待つもののようです。
 海の表に向って、耳をすましていたが、やはり人間の声はどこにも聞えない。
「お腹《なか》がすいちゃった」
 茂太郎は、クルリと向き直って、陸《おか》の方を見直しました。
 洲崎《すのさき》の番所では蒸したてのジャガタラ芋《いも》の湯気を吹き吹きお相伴《しょうばん》になれようものを、ここまで来てしまっては、今の夕飯が覚束《おぼつか》ないのみでなく、今晩の泊る所もわかるまい。
 だが、その、今晩のねぐらはさほど心配するがものはない。この少年は、山に寝て獣《けもの》を友とする方が、人里に住むよりは遥《はる》かに得意なはずだから――
 食物のことも、また、さのみ他で心配するほどのこともないのです。竜安石のように海につかっている巌角の傍へ寄って、身をかがめると、片手には例の通り、般若の面を、しっかり[#「しっかり」に傍点]と抱いたままで、右の手を、竜安石の下の蛸壺《たこつぼ》になっているようなところへ突っ込むと、暫くして、極めて巧みに掴み出したのは、六寸ほどの蛸であります。
 それを巌《いわ》の角へ持って行って軽く当てると、すんなりと延びたのを、そのまま口へ持って行って、頭からガリガリとかじりました。
 片腕には般若《はんにゃ》の面をかかえ、片手では生《なま》の蛸をかじりながら、今度は海をながめると、星がキラキラとかがやいています。
 この子供は、地の美しさよりも、海の美しさよりも、天上の星を見ることの美感に酔うことを知っているものですから、蛸を食べながら、夕陽の美観に、失われた幻想を、空から仰いで取返しながら、下を見ないで歩いて行くもののようであります。
 こうなってみると、もう南北の区別を知らない、東西の差別もわからない。星を見れば、それはおのずから、わかりそうなものだが、今は方角の観念のために星を見ているのではないから。
「あっ!」
と再び、驚愕《きょうがく》の叫びを立てた時は、その足もとが一尺ほど、潮にひたされているのを発見しました。あわててそれを抜け出そうとした時に、引きつづいて、第二の波が追いかけて来ました。
「あっ!」
 逃げようとする子供の足よりも、追いかけた波の方が早かったものですから、腰から下を、ズブリとぬらしてしまいました。ただ足を洗い、着物をぬらしただけならいいが、よろめく足もとを、引き際の潮がさらったものですから、よろよろよろよろとして、潮に伴われて、なお深い方へ持って行かれてしまったのはぜひもありません。
「あっ!」
 この際、片手には生の蛸《たこ》、片腕には般若《はんにゃ》の面、そのどちらをも、急に手ばなすことをしなかったものですから、よけい、足もとを立て直すのに苦しかったのでしょう――そこへ、すかさず第三の波。
 茂太郎の立ち姿が、もはや水平の上に見えなくなったのも無理はありません。
 見えなくなったのみならず、いつまで経っても浮いて来ないのであります。
 ここで、この子供は、完全に海に呑まれてしまったことがわかります。
 だが、これも、さほど心配するがものはありますまい。今夜は別に暴風というほどでもない、むしろ滅多にはないほどに、海は和《やわ》らかなのであります。
 そうして、山神奇童の茂太郎は、山に入って悪獣毒蛇を友とすることができるように、海に入っても魚介《ぎょかい》と遊ぶことを心得ているのだから、今夜の、この静かな海の中の、どこへ沈められたからといって、豚の子のように、沈みっきりになってしまう気づかいは絶対にありません。
 そのうちに、どこぞへ浮いて来るに相違ないから――どなたも心配をしないで下さい。

         十二

 茂太郎が陥没して、まだ浮き上らないところの地点の、忍冬《すいかずら》の多い芝原に、そんなことは一切知らないで、一人の太った労働女が現われて、
「どっこいしょ」
と言い、重い荷物を背中からドシンと、その芝原の上に卸《おろ
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