く、ただ、兵馬の頭が、全く別なことを考えているから、足がふらふらとしてその空想に駆《か》られて、現実を忘れがちにするの結果と思われます。
「それじゃ駄目ですよ、松本どころではない、この先一里も覚束ない――困ったな」
兵馬はまたも、立ちどまってつぶやきました。
「そんなに小言《こごと》をおっしゃらなくってもいいじゃありませんか、置去りになすったり、お小言をおっしゃったり、ほんとうにたよりのない道行……」
と女が息を切りました。
「仕方がない……」
兵馬が、やはり途方に暮れた返答ぶりです。
仕方がないといえば、全く仕方がない。ほかの道中と違って、馬や、駕籠《かご》をたのむ便宜もなし、そうかといって、自分が引背負って行くわけにもゆかず、万一の場合には、たたき起すべき旅籠屋《はやごや》すらも当分みつかるべき道ではない。そのくらいなら、いかに月明に乗じたとは言いながら、夜分、こうして出て来るがものはないじゃないか。だが、そのほかの理由で、二人が、馬も駕籠も借らずに、夜を選ばねばならなかった筋道は、相当にあるだろうと想われます。
ただ、兵馬として案外なのは、女の足が弱過ぎたことです。想像以
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