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「苦しうございます――」
[#ここで字下げ終わり]
と、お雪ちゃんが書き出したのは、少なくとも異例です。
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「苦しうございます、あなたのおっしゃる通りの運命が、わたしの上に落ちて参りました。
穂高、乗鞍、笠ヶ岳の雪が日一日と、この白骨の温泉の上を圧して来ますように、わたくしの胸が……ああ、弁信さん、わたしは、もうトテも筆を取って物を書いているに堪えられません。
弁信さん――
どうぞ、わたしのそばに来ていて下さい。あなたがいなければ、わたしは助からないかもしれません――殺されてしまいましょう」
[#ここで字下げ終わり]
一方、お雪ちゃんが帰ってからの机竜之助は、行燈《あんどん》の下で暫くぼんやりとしておりました。
行燈の光なんぞは、有っても無くってもいいわけですが、それでも、有れば有るだけに、何かしらの温か味が、身に添わないという限りもありません。
暫くぼんやりとしていたが、やがて無雑作《むぞうさ》に左の手を伸ばすと、水を掻《か》くように掻きよせたものが、かなり長い袋入りの一品であります。
この人のことだから、それは問うまでもなく、手慣れの業物《わざも
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