さきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御門跡から海手、木挽町《こびきちょう》の芝居も、佃島《つくだじま》もすっかり焼けてしまいました。ところが中三日おいてまた昼火事で、大名小路あたりから始まって、芝口まで長さ一里、幅にして十町余というもの、なめられてしまいました。その時は死人、怪我人が沢山あったもので、御救いの小屋が、十個所へ十三棟というもの建てられたのを覚えておりまする。それから弘化二年の正月のやつがまた素敵に大きうございましたよ。これも昼火事でございましたね。火元は青山の権太原《ごんだわら》で、麻布三軒家から、広尾、白金、高輪《たかなわ》まで、百二十六カ町というものを焼き尽したんですから大したものです。死人、怪我人のほかに、海へ落ちて死んだものが沢山ありました。それと、あの時、人を驚かしたのは、あるお大名屋敷に飼ってあったという荒熊が一頭逃げ出しましてな、それに朝鮮人が押しかけて来たというような騒ぎで、あっちへ熊が出た、こっちへ鬼が出たという騒ぎで、火事よりもこの方が人を脅《おびやか》したものでございました……ところがその翌年の丙午《ひのえうま》ですな、その正月がまた
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