を教育の上に応用して、塾生の士風を涵養《かんよう》するにこれを用いたものです――朗詠が多く入っています。詩吟を教育に応用するというのは、非常にいいことだと思います。人生に音楽がなければ、その人生は唖《おし》です、教育に音楽がなければ、その教育は聾《つんぼ》です。宗教と、音楽とは、全く離すことができません――孔夫子ですらも、楽《がく》を六芸《りくげい》の一つに加えているのに、今の儒者共で、孔夫子のいわゆる楽を心得た奴が幾人ありますか……それはそれとして、今度はひとつ、その山陽流をやってみましょう。それは同じく胡笳の歌をえらぶよりは、山陽自身の詩によって試みた方が、よくうつるかも知れません――先生の『筑後河』をひとつ、その調で吟じてみます」
といって田山白雲は、以前のとは全然、調子をかえた吟じ方で、
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文政の元《げん》、十一月
われ筑水を下らんとして舟筏《しうばつ》をやとふ
水流|箭《や》の如く万雷ほゆ……
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田山白雲が、ようやく筑水の詩をうたいはじめた途端に、向うの方で、突拍子《とっぴょうし》もない声で、
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どんちゃ、
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