原がどうした?
朱羅宇《しゅらう》の長い煙管の吸附け煙草がどうした。
ははあ――御簾《みす》の間《ま》から扇の間へ出る柱のあの刀痕《かたなきず》――まざまざと眼の底には残るが、あれが机竜之助のした業だと誰がいう。その時分には、おれも眼が明いていたのだ。あの里の太夫というもの――京美人の粋といったようなものにも、おれだって見参《げんざん》していないという限りはない。
さあ、それがどうした。
東男《あずまおとこ》を気取ったやからが、かなりいい気な耽溺《たんでき》をしていたたあいなさ。
まあしかし、そのたあいないところが身上だ、少しの間でも溺れ得る人は幸いだ、売り物の色香にさえも、つかのまでも酔い得る間が、人生の花というものだな。
おれは酔えない――おれは溺れることができない。
不幸だ、この上もなく不幸だ。
竜之助は、朱羅宇《しゅらう》でも、金張《きんばり》でもない、ただの真鍮《しんちゅう》の長煙管で、ヒタヒタと自分の頬をたたきながら、我と我身を冷笑するのは、今にはじまったことではありません。
その時です、ちょうど、この室から幾間かを隔てた――多分三階ではありますまい、二階
前へ
次へ
全373ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング