だ」
 山崎譲がこう言ったので、どちらも生地《きじ》が現われたようなものです。
 察するところ、例の南条力と五十嵐甲子男とは、甲州の天険をほぼ究《きわ》めつくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、伊豆の要害を秘密調査にかかるものらしい。
 荻野山中《おぎのやまなか》を騒がしたのも、必定《ひつじょう》かれらの所業、いつ、何をしでかすかわからない、それを十分に睨《にら》んでいながら、譲が自ら手を下して彼等を捕えようともせず、他の力をしてそれを押えさせようともしないで、ただつけつ廻しつしては、茶々を入れたり、邪魔をしたりしているところは、かなり不徹底のようだが、一方から言うと、彼等は形においては勤王と幕府とわかれているようだが、勤王系統と、水戸の系統とは、切っても切れぬものがあるように、内心では、骨にきざむほどの憎しみは、おたがいに持ち合せていないらしく思われる。
 しかし、そんなようなことは、どちらがどうあろうとも、お角にはあんまり興味を惹《ひ》かない――ただ、ああいった種類の男同士は、ああいった種類の男同士で、また相当の意気張りずくで争っているだけのものだろうと思う。
 宿の入口で山崎譲と別れたお角は、自分の座敷へ入って、寝しなに一ぷくやろうとして、そこで変なものを感じました。
「おや、そそっかしい女中さんだ、何を間違えてるんだろう」
 見れば、自分の蒲団《ふとん》には枕が二つ並べてある。しかも、その一つは男物――寝巻までが、ちゃんと二人前揃えてある。
 お角はあきれて、せせら笑いながら、一ぷくのみ終って、静かに女中を呼びました。
「姉さん、間違えちゃいけないよ、こっちは独身者《ひとりもの》なんですから」
 可愛らしい小女の女中は、そう言われて、いっこうのみ込めず、
「でも、お客様、さっき、あなた様のあのお若い衆さんとは別なお連れだという方が、ちょっとお見えになりまして、おそく帰るかも知れないから、こうしてお床をのべておくようにと、お指図をしておいでになりました」
「冗談《じょうだん》じゃありません、そりゃお門違《かどちが》いですよ」
「それでも、たしかに、こちらへお帰りになるからとおっしゃいました」
「いけない、いけない、戸惑いもいいかげんにしないと罰が当りますよ、かまわないから、片づけちまって頂戴……」
「それでも……」
「遠慮することはないじゃないの、一晩でもとめてもらった以上は、わたしというものがこのお座敷の御主人なんだから、誰にも遠慮はいらない、片づけて下さい」
「それでも、あれほど頼んでおいでになったのに……」
「くどいねえ、誰が頼んだか知らないが、癇《かん》のせいで、雄猫一匹でも、男と名のつくやつを膝の上に乗せないお角さんだよ、けがらわしい!」
といってお角は、手をのべて蒲団の上の男枕をとるや、力任せに座敷の外へ抛《ほう》り出してしまいました。
 そこで、男物のいっさいがっさいをおっぽり出して、いささか溜飲を下げ、お角は床についたが、まだなんだか癪に残るようなものがあって、蒲団から首を出して煙草をのんでおりました。
 はてな――この間違いは、間違いとすれば、ばかばかしい間違いだが、いたずらとすれば、かなり念の入ったいたずらだ。お角は癇癪《かんしゃく》半ばに、ふいとこのことを気にしていたのですが、煙草を一ぷくのんでいるうちに気が廻って、ははあ――と、灰吹に雁首《がんくび》をかなり手荒くはたいたものです。
 油断が出来ないぞ――それそれ、今日も七里の道中で、誰となく注意をしてくれたものがある。
 胡麻《ごま》の蠅《はえ》がついたから御用心をなさい、と。
 胡麻の蠅という奴は、見込んだ相手が笠を捨てるまで離れない。こいつは通り一ぺんに腹を立てっぱなしではいられないぞ。お角だけに、気がついて、ほほえみ、急に室内を見廻してみたが、別に異状はありません。
 ふふん、目先の利《き》かない胡麻の蠅だ、人を見て物を言っておくれ、というような面《かお》つきで、嘲笑を鼻の先にぶらさげて、お角は、さて仰向けに寝返りを打って、眠りにとりかかろうとした途端に、夜具の襟でチクリと頬を突かれたものだから、見ると、不思議千万にも、珊瑚《さんご》の五分玉の銀の簪《かんざし》が、夜具の襟の縫目にグッと横に突きさしてあって、その一端が自分の頬ぺたを突いたことを知りました。
 何だい、今日はいやに、小間物でおどかされる晩だ――お角は、その五分玉の銀の簪を、夜具の襟から引きぬいて、じっと枕行燈《まくらあんどん》の光で、仰向けになりながらながめると、どうも覚えがあるようだ。見たことのあるような簪であります。
 わかった、これですっかりお里が知れちゃった。がんりき[#「がんりき」に傍点]だ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵だ、これは百のいたずらだよ。

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