、女合羽を着て、手甲《てっこう》脚絆《きゃはん》をした、すっかり、旅の仕度の出来ているところ、兵馬とは十分しめし合わせた道づれのようであります。
 そこで兵馬は、先に立って歩き出したが、以前のように、両腕を胸に組み上げながら、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と歩いていても、それでも女は歩み遅れる。どうしても、二人の間が二間、三間と隔たりの出来るのは免れないらしい。
 これは行き過ぎたと思っては、踏みとどまって待受けて、また、そろそろ踏み出すと、忽《たちま》ちまた二三間の隔たりが生ずる。
「片柳様、誰も追いかけて来やしませんから、もう少しゆっくり歩いて下さいな」
と女が訴えました。
 兵馬としては、これより以上の寛怠《かんたい》はできないらしいが、その寛怠が女の足では、追従のできないほどの急速力とも見られるようです。
「その足で、松本までは覚束《おぼつか》ない」
 兵馬は憮然《ぶぜん》として突立って、念入りに女の足もとを見ました。
 これは、また奇妙なる一つの道行《みちゆき》といわねばならぬ。
 兵馬の道づれの女は、浅間の温泉で、芸者をしていた女であります。
 酔って、手古舞姿で、兵馬の室へ戸惑いをして一夜を明かしたために、大騒動を持上げた女であります。その結果、八面大王の葛籠《つづら》の中へ納められて、中房の温泉場へ隠された女であります。それを兵馬が、夜具蒲団の砦《とりで》の中で、偶然発見した女であります。
 この数日来――期せずして、どうも、兵馬の先廻りをして歩いているもののようです。
 今や、こうして、月明の夜、二人同じく旅よそおいをして、道を共にしてみれば、夫婦としては少し釣合いがまずいようだが、力弥《りきや》としては、兵馬に少し骨っぽいところがあり、小浪《こなみ》としては、この女に少し脂《あぶら》の乗ったところがあるようだが、誰がどう見ても、尋常の旅とは見えないでしょう。
 しかし、依然として二人の間は離れ過ぎている。待ち合わせても、待ち合わせても、いつか知らず二三間は隔たりが出来てくるのです。道行としては、こんな離れ離れの水臭《みずくさ》い道行というものがあるべきものではありません。
 兵馬がこうして、ついつい、連れの足弱を置去りにするような歩み方ばかりするのは、人目を気兼ねするのではなく、また、二人ばかりの山路の夜道に、人目を気兼ねする必要が毛頭あるのでもなく、ただ、兵馬の頭が、全く別なことを考えているから、足がふらふらとしてその空想に駆《か》られて、現実を忘れがちにするの結果と思われます。
「それじゃ駄目ですよ、松本どころではない、この先一里も覚束ない――困ったな」
 兵馬はまたも、立ちどまってつぶやきました。
「そんなに小言《こごと》をおっしゃらなくってもいいじゃありませんか、置去りになすったり、お小言をおっしゃったり、ほんとうにたよりのない道行……」
と女が息を切りました。
「仕方がない……」
 兵馬が、やはり途方に暮れた返答ぶりです。
 仕方がないといえば、全く仕方がない。ほかの道中と違って、馬や、駕籠《かご》をたのむ便宜もなし、そうかといって、自分が引背負って行くわけにもゆかず、万一の場合には、たたき起すべき旅籠屋《はやごや》すらも当分みつかるべき道ではない。そのくらいなら、いかに月明に乗じたとは言いながら、夜分、こうして出て来るがものはないじゃないか。だが、そのほかの理由で、二人が、馬も駕籠も借らずに、夜を選ばねばならなかった筋道は、相当にあるだろうと想われます。
 ただ、兵馬として案外なのは、女の足が弱過ぎたことです。想像以上に、この女の足が弱過ぎました。
 草鞋《わらじ》をつけたのは、生来これが初めて――それはよいとしても、一町行っては息を切り、二町歩いては休む、これで前途の旅をどうするのだ。
 前途といえば、二人はどこを目的《めあて》として行くのだ。さし当り、このまがいものの道行、離れ離れの水臭い道行も、行をともにしている以上は、落着くところもきまっていそうなものに思われる。
 兵馬としては、求むるものは、いつも与えられずして、求めざるものに、ついて廻られるような結果になる。ついて廻るならまだいいが、時としては、それに引きずられるような危なっかしいことさえしばしばあるのには困る。世間の事実は往々逆説になって、足の強いものが、足弱を引きずらないで、足弱が、健足のものを引きずるためしが、ザラにないとはいえない。
 兵馬としては、この予想外に足の弱い女を、自分が引きずりながら歩いているのだか、引きずられて困惑しているのだか、ちょっと、わからない立場でありましょう。
「もう歩けません、あなたお一人でいらっしゃい――どちらへでも」
といって、女は有明明神の社壇の下に、腰を下ろしてしまいました。
「ちぇッ」
 兵
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