いきょう》かも知れません。
このごろは始終|丸髷《まるまげ》です。丸髷を粋向《いきむ》きにこしらえてみたり、奥様風に結わせてみたり、それがまた見られる時は見られるように撫でつけてみたり、乱れた時は乱れたようにさわってみたりして、自然の容色のまだ衰えないことを、ひとり悦《えつ》に入《い》っているようです。
容色の衰えないことは、全くその己惚《うぬぼれ》の通りといっていいでしょう。時によっては、以前よりはいっそう水々しく、つやっぽく、仇《あだ》っぽく見えることさえあるのですが、どうかすると、年は争えないものだという引け目を、自分ながら強く感じ出して、化粧刷毛《けしょうはけ》を投げ出して、といきをつくこともないではありません。
切髪は、とうの昔に廃業して、ちかごろでは丸髷専門と言いつべく、丸髷が至極お気に入りの様子で、その結いぶりがヒドク気に入った時は、その場で声を立てて主膳を呼ぶことがあります。主膳を呼んで、さも誇らしげに、髷形をゆすって見せて、その賞讃を得ることを、子供らしく喜ぶことなどもあるのであります。
だが、しかし、このごろは、あれにも、これにも、倦怠《けんたい》の色を隠すことができない。
お化粧が済んだら、今日はお花を活《い》け換えようと思っていたが、あいにくまだ花屋が来ないものだから、その間の所在に、ちょっと三味線にさわってみたのです。
それとても、花にはかなりの自信はあるが、三味線は、人に聞かせるほどの堪能《たんのう》のないことを自覚しているから、ホンの手すさびに、さわってみて、新内《しんない》を一くさり口ずさんではみたが、こんな時に、主膳に立聞きをされて、冷かされでもしてはばかばかしいという思い入れで、手っ取り早く切り上げてしまい、さて今日はどうしようか、どこへ行こうか、と火鉢の上へ手をかざしながら、退屈まぎれの方法を考えはじめました。
三芝居もどんなものだか、佐《さ》の松《まつ》の若衆人形の落ちこぼれが、奥山《おくやま》あたりに出没しているとのことだが、それも気が進まない。活人形《いきにんぎょう》も見てしまった。百日芝居でもあるまいが、そうかといって、西洋鋸《せいようのこ》で板をひきわる見世物を見に行ったって始まらない。出歩くことは嫌じゃないが、結局、今日は、どこへも出てみようという気がしないで、でも、こうしているのもばかばかしいから、若様のところへでも押しかけて行ってやろうか、という気にもなってみたが、それもまた、おきまりの門口をくぐり直すようでげんなりする――註、若様というのは主膳のことで、あれでもお絹にとっては、若様気分は取去れないものになっている。
で、こんな時にこそ、お客が押しかけて来てくれればいいと思いました。そのお客といっても、ここは隠れ家同様なところだから、滅多な人を引込むわけにもゆかず、来る奴は大抵きまったようなものだから、予想し得るお客のうちでは、この倦怠気分を救い得るに足る奴は、一人もないことになっている。
ツマらない――お絹は投げ出したように、張合いのない生活をさげすんでみたが、
「女軽業のお角って、あのバラガキめ、このごろはどうしていやがるか」
といったような、反抗気分に襲われました。いったい、この女と、お角とは、前世どうしたものか、ほとんど先天的の苦手《にがて》で、思い出しただけで、おたがいに虫唾《むしず》が走るようになっている。その苦手にさえ、ここでは小当りに当ってみたくなるような気分になったのみならず、
「あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というやつ、あんな奴さえこのごろは音も沙汰《さた》もない」
とつぶやきました。
そこへ、
「こんちは、まっぴら御免下さいまし」
障子の外から猫撫声《ねこなでごえ》がしました。
来やがった、来やがった、来るに事を欠いて、おっちょこちょいの金公が来やがった。
その声で、お絹はうんざりしてしまったが、まあ、いい、これも時にとっての、おもちゃだ――という気分で、
「金公かえ、おはいり」
と言いました。
「はい、その金公でございます」
お許しが出たと見て、抜からぬ顔で障子を引開けて、ぬっと突き出した金公を見ると、どこで工面《くめん》したか、ゾロリとしたなりをして、本物の野幇間《のだいこ》になりきっている。
「近ごろは、とんと御無沙汰のみつかまつりまして、何ともはや」
といって、人さし指と中指を揃《そろ》えて、額のところをトンとたたき、
「これは、憎らしうございます、朝っぱらから、忍び駒のしんねこなんぞは、憎らしいことの限りでございます、ここは人里離れし根岸の里、御遠慮なくお発し下さいまし、金公の野郎にも一つ、おたしなみの程を聴聞《ちょうもん》仰せつけられたいもので……」
ぬらりくらりと侵入して来て、置きはなしてあった三味線と
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