シュウ」
と、変テコな呼び名をしました。
外が遽《にわ》かに騒がしくなって、失踪《しっそう》の茂太郎と、それを探索の三人が立帰って来たのは、その時でありました。
そこで、再び、すべての者がこの一堂に会してお茶を飲み、そうしておのおの寝室を分って眠りについたのは、いくらもたたない後のことであります。
駒井甚三郎は、例の寝台の上に身を投げかけると、何かしら今晩はヒドク疲れたように思いました。そこで、暫く眠りもやらずグッタリと休息しているうちに、駒井はこのごろ中、自分のこの閑居《かんきょ》へ、偶然に集まって来た連中のことを思い浮べて、微笑を禁ずることができません。
変った人間ばかり集まって来たようではあるが、結局、人間というものは憎めないものだ――というような淡い感情に、かなり長いあいだ漂わされていたが、やがて、不意に起き上って寝台から飛び下りたのは、海竜が現われたという警報が聞えたわけでもなく、また、例の兵部の娘が、窓の外からしきりに侵入を企《くわだ》てているというわけでもありません。
駒井は、急に寝台から飛び下りて書架のところまで行くと、辞書と覚しい部厚な洋書を一冊抜き取って、寝台の傍の燭台まで持って来て、それを開きはじめました。
「海竜――スネーク――ドラゴン」
と呟《つぶや》きながら、その書物を繰り返しているところを見れば、執念深いこと、この人はまだ海竜の未練が取去れないと見え、いったん、横たわった褥《しとね》を蹴って、そのことの取調べにかかったものと見えます。
一冊――二冊――三冊ばかり、その部厚の洋書を抱えこんでは燈火の下まで持って来たが、三冊目のあるところのページを翻す途端に、バッタリと下に落ちたものがありました。
なにげなく、その落ちたのを取り上げて見ると、駒井甚三郎の面《おもて》に隠すことのできない不快の色が、さっと現われました。
「ちぇッ」
危なくその物を床板の上に落そうとして、自分ながらその軽率を悔ゆるかのように、台の上へ静かに置いたのは、それは一個の婦人を現わした一枚の写真であります。
その写真は、そこへさし置いて、またも辞書を繰って、その数カ所を読んでみましたが、相当の当りがついたものか、三冊の辞書は、以前のところへ元通りに納めてしまったのに、取り出した写真のみは、依然として枕許《まくらもと》の台の上へ置きっぱなしで、自分は再び寝床の中へもぐり込みましたが、蝋燭《ろうそく》を消そうともせず、暫く仰向けに寝そべっていたが、そのままで手をのばして、例の写真を取り上げて、やはりその仰向けに寝たままで、それを冷静にながめ入りました。
ここで、この際、こんな写真を見せられようとは思わなかったのでしょう。有ると知ったら、見ない方がよかったのでしょう。でも、不意に現われて、不意に見せられてしまった以上は仕方がない。
これぞ、かつて、自分の最愛の妻であった人の面影《おもかげ》。
十八
神尾主膳は、今朝《けさ》は日当りのよい窓の下で、しきりに入木道《にゅうぼくどう》を試みていました。
これが、閑居のうちに、神尾主膳が善を為《な》すの唯一のことかも知れません。
朝の気分のいい時を選んで、会心の法帖を摸するの快味を味わう瞬間だけは、神尾主膳にも本当な清純な興味に、我を忘るる殊勝な色が面《おもて》にただよいます。
今も、専心にそれをやりながら、ふと筆を休めて、半ば開いて置いた窓から、庭の方を見ました。
竹林の風情《ふぜい》も面白いと思いました。掘ぬきの井戸から引いた泉水の流れも、今日は特別に気持がよい流れだと思う。朝の光線も、空気も、庭の木々も、そこへ遊びに来る小鳥も、すべてが快い感じを与える朝だというように、主膳は珍しく暢《のび》やかな、ゆったりした気分になりました。
ところが――一朝にして、このせっかくの主膳の、珍しく気持のよい暢やかな気分を、根本から打消してしまったものがあります。
そこで、主膳はむらむらとして、一種の不快千万な気持に襲われると共に、今までの、かりそめの清純な感情が塗りつぶされてみると、当然あるべき神尾主膳そのものの感じが、露骨に現わされてしまったのは、ぜひのないことでしょう。
何が、それほど、せっかくの神尾主膳を不快なものにしてしまったか。
庭を隔てての廊下を見ると、お絹という女が寝くたれ髪のだらしのない風をして、しきりに楊子《ようじ》を使っている姿が、ありありと見られたからであります。
今時分――日はカンカンと照っているのに、自分でさえが、こうして、早く、いくつもの法帖を楽しんでいるのに、かの女《おんな》は、今になって漸《ようや》く寝床を離れたものらしい。
朝寝ということは、当然夜ふかしというものを前提とする。
それは芸妓であり、女郎で
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