しゃいましたか」
「わっしですか、わっしは常陸《ひたち》の水戸在のものでございますよ」
「上方《かみがた》へおいでなさるんですか」
「ええ、上方の方へ出かけて、帰り道なんでございますよ」
「講釈がお好きですか」
「嫌いでもありません、まあ、英雄豪傑の話や、忠臣義士の事柄を聞いていると、見て来たような嘘と思いながら、悪い気持はしませんですよ」
「あなたの御商売は何ですか」
 これは随分ぶしつけな問い方でしたけれども、お角はこういって突込んでしまいました。つまりお角としては、大抵の人品は見当もつき、判断もつくのですけれど、この男はどうも判断のつき兼ねるところがあったと見え、そのもどかしさから、一息に、無遠慮に、突込んでみたものでしょう。そうすると、その男は笑いながら、
「何と見えますか。わかりますまい、さすがのお前さん方にも、わっしの見当はつきますまいね」
「つきませんね、おっしゃってみて下さい」
「言ってみましょうか」
「どうぞ」
「その以前に、あなたの名を言ってみましょうか――お前さんは、江戸の両国の女軽業の太夫元、お角さんていうんでしょう」
「おや」
「驚いちゃいけません、よく知っているんですよ、裏宿《うらじゅく》の七兵衛から聞いてね」
「七兵衛さんから?」
「ええ、七兵衛につれられて行って、お前さんの小屋も見ているし、お面《かお》もよそながら拝んでいる、私は水戸の山崎、山崎譲ってたずねれば、七兵衛がよく知っていますよ」
 お角がすっかりけむにまかれてしまっている時に、第二席、長講の御簾《みす》があがる。
 御簾が上って、以前の南洋軒力水先生が再び現われて長講をつづけるかと思うと、そうではなく、みすぼらしい盲人が一人、三味線を抱えて、高座へ現われ、これから説教浄瑠璃の一段を語り聞かすとのことです。
 そこで山崎譲は一笑して、帰ろうとしますから、お角もこれ以上、観察する必要もないと考えて、同じように席を立ちました。しかし一般のお客には、前の講釈よりも、この説教節がききものであると見えて、一人も座を立つものがありません。
 お角は、山崎譲という旅人と連れ立って宿まで帰る途中、
「は、は、は、あれは素人《しろうと》も素人、南条力といって九州あたりの浪人者ですよ、とっつかまえるとことが面倒だから、茶々を入れて、邪魔をして、けむにまいて追払うだけが、われわれの仕事というもの
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