感情のために、お雪ちゃんが泣きました。
 子を持った親でなければわからない感情のために、子を持たぬお雪ちゃんが泣くくらいだから、少なくとも子を持って、人の親として経験を経てまでいる竜之助はいかに。
 単に小娘の口ずさむ浄瑠璃《じょうるり》のさわり[#「さわり」に傍点]の一ふしぐらいに、やすやすと涙を流すほどの男ならば、文句はあるまいに、それが、どうしたものか、横をむいてしまいました。
 もし、彼の見えないところの眼底に、この時、一点の涙があるならば、それは春秋の筆法で慶応三年秋八月、近松門左衛門、机竜之助を泣かしむ……というようなことになるのだが、泣いているのだか、あざけっているのだか、わかったものではない。
 お雪ちゃんは、何が悲しいのか泣いている。竜之助は何ともいわないで、横を向いたまま静かにしている。
 そうして、しめやかな沈黙がかなり長くつづいた時分に、以前の柳の間の廊下の方で、
「お雪ちゃん、お雪ちゃん」
と呼びながら廊下を渡って来る人。そこにいないものだから、たしかにここと、バタバタと草履《ぞうり》を引きずりながら、
「お雪ちゃん、こちらにおいででしたね、ちょっと」
「久助さんですか」
「はい」
 姿は見えないけれども久助に違いないから、お雪はあわててその涙の面《おもて》を隠そうとした時、
「あの、皆さんが、俳諧の運座をはじめますから、お雪ちゃんにも、ぜひ、いらっしって下さいって……」

         四

 その日の午後の浴室。北原賢次は板の間の上で、軽石で足のかかと[#「かかと」に傍点]をこすり、小西新蔵は湯槽《ゆぶね》のふちにぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]をのせて、いい気持になっている。
 窓越しに、初冬の日の光が浴室いっぱいにさしている。
 この二人は、どちらも池田良斎の一行で、この白骨の湯で冬籠《ふゆごも》りをし、春の来《きた》るのを待って、飛騨の方面へ飛躍しようとする一味の者。
「お雪ちゃんは、とうとう運座へ出て来なかったね」
 湯槽のふちにぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]をのせて、いい心持につかっていた小西新蔵が言う。
「うむ、出て来なかった。あの娘はこのごろ少しどうかしているよ」
と北原賢次が、かかと[#「かかと」に傍点]をこすりながら答える。
「そうだ、快活なあの娘が、このごろ少しふさいでいる、呼ばないでも出て来て、われわ
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