悪かったのです」
「こら、こんなにグダグダに砕けてしまった、ほんとうに申しわけがありましねえ」
「かまいません」
 お松は、踏み砕けたままに風呂敷に包まれた絵馬を、与八の手から受取って、
「かまいませんとも、イヤな絵だから、このまま捨ててしまおうと思っていたくらいなんですもの」
「お松さん」
「ええ」
「お前は、どこから、そんなイヤな額を持って来たの」
「与八さん、お前、この中を見てしまったのですか」
「ああ、見てしまったよ、わしもイヤな額だと思った、お松さんがこんな物を持ち歩くはずはねえと思ったから、誰かのいたずらじゃねえかと思ったが、それでも風呂敷がお松さんのだから……」
「そうよ、わたしのに違いないのよ、わたしは妙なところでこれを手に入れたものだから、与八さんに見せようか知ら、それとも見せまいか知らと、考えながら、つい置き忘れたんですが、見られてしまっては、もう仕方がないが、気にしないで下さい」
「別に気にするでもねえが、誰のいたずらだか」
「ねえ、与八さん、あとで、お風呂の下かなにかで焼いてしまって頂戴な」
「うん」
「それから与八さん、もう一つ済みませんがね、これからちょっと、水車小屋まで行って来て下さいな」
「何しに」
「お米がなくなったそうですから、一俵持って来てやって下さいな」
「よしよし」
と与八は膝の藁屑《わらくず》を払って、台や、槌《つち》を片寄せながら、
「急ぎかね、お松さん、米のいるのは」
「なに、今晩と、明日の朝の分はあるんですとさ」
「ははあ……じゃあ、今晩、わしぁ、あの水車小屋へ泊って、明日の朝早く持って来りゃあ、それで間に合うね」
「え、それで間に合います」
「じゃあ、わしぁ、今晩は水車小屋へ泊って来るかも知れねえ、どっこいしょ」
 与八は立ち上りました。
「じゃあ、頼みましたよ」
 お松は砕けた絵馬の風呂敷を取りに来ながら、受取らずして行ってしまいました。
 しかし、いったん立去ったお松が、まもなく取って返し、
「ねえ、与八さん」
「何だね」
「もう一つ言って置くことがありますよ、あのお隣りの作蔵さんがお湯に来ての話ですが、昨日あたりこの村へ、お役人に追われて、悪い泥棒が一人入り込んだんですって」
「へえ……」
「だから、用心をおしなさい。また怪しい者と見たらば、つかまえるか、お役所へ申し出るように、触《ふ》れが廻ったんですって」
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