痛い目をさせて気の毒だった、これがお前に似合うようなら着てごらんといって、くだし置かれたのがこの羽織なんでございます、何といっても恐れ入った気前でございますよ」
 そこでお絹の顔の色の変ったことが、この野郎にはわからない。
 話を聞いているうちにお絹の顔色が、みるみる不快なものになって行くのはあたりまえのことです。
 それに頓着あってか、無くてか、金助は、立てつづけに、女軽業の親方のお角なるものの、気前の礼讃《らいさん》にとりかかる。
「全く恐れ入ったものでゲス、あの気前でなければ、ああして一座を背負って立つことはできません、もとの怨《うら》みなんぞは、すっかり忘れて下すって、金公、ソレこの羽織をやるから着て行けなんぞは、嬉しい心意気じゃございませんか」
「馬鹿野郎」
 さすがのお絹も受けきれなくなって、今度は、思いきり力を入れてひっぱたいてしまいました。
 これは、以前の続けざまにたたいたのよりは、ズッと痛かったと見えて、
「あ!」
といって、頭をおさえながら、しかめっ面《つら》をしてしまっていると、
「帰っておしまい」
 頭を押えて、しかめっ面をしているところを前からトンと突いたものですから、もろくも、再び後ろへひっくり返ったものです。
「けがらわしいから、お帰り、こっちだって腕ずくなら、乞胸《ごうむね》の親方に負けないくらいのことは仕兼ねないよ」
 以前の時は、おもちゃであったが、こうなっては、お絹が真剣におこり出したようなものです。真剣におこらしては金公の、もくろみが外《はず》れたかも知れません。
 この手で暗に女軽業の親方の気前のよいところ、器量のあるところを持ち上げて、遠火であぶっておけば、こっちも女の意地でも負けない気になって、風通《ふうつう》の袷《あわせ》ぐらいは奮発にあずかれるかも知れないという、内々の当込《あてこ》みがフイになってはたまらない。本当におこらしてしまったのでは引込みがつかない。
 いったい、お角の前でお絹をほめることと、お絹の前でお角をほめることとは、どっちにころんでもこういう結果になることを、金助としても心得ていそうなものを、おっちょこちょいというものは、これだから仕方がない。
「悪気で申し上げたんじゃございません、どうぞお気を直していただきたいもんで」
「けがらわしいよ」
 お絹はよほど、癇《かん》にこたえたと見えて、いったん火
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