茂ちゃん、もう、およし、ホラ、こんなに鳥が集まって来たわ」
「みんな千鳥なのよ」
 ここに於て知る、つまり、千鳥の笛といったのは、風流千鳥の曲というようなものではなく、千鳥の啼《な》く音そのものを模していたのです。それが真に迫ったから、かれらの夜のねぐらを驚かして、海上を物騒がしいものにし、そうして、ここまでおびき寄せられて来たものに相違ない。これは茂太郎の技術として、今にはじまったことではないのだが、せっかく呼び寄せられた小動物は、火事もないのに半鐘を打たれたような気持で、まだ火元と覚しいところを離れきれないで騒いでいるらしいのを、兵部の娘が気の毒に思ったのでしょう。
「折角、呼び集めて、何かやらなくちゃかわいそうだわ」
 しかし、ここには何も彼等に与うべきものがない。
「峰島の爺さんが言うには、千鳥は、あれで三十幾通りかあるんだって。その三十幾通りあるのが、みんな啼く音が違っていると言いますが、あたしには、そのうちの半分しか吹けやしない。習えば吹けるでしょうけれど、習おうとは思わないの。峰島の爺さんは、その三十幾通りをみんな吹きわけるには吹きわけるけれど、あれは罪なのよ」
「罪とは?」
「だって、あの爺さんは、千鳥の笛を吹いて、千鳥を呼び寄せて、それをみんな網でとってしまうんですからね」
「そんなに千鳥をつかまえて、どうするの」
「食べてしまうんでしょう、自分で食べるだけじゃなく、売りに出すのでしょう」
「千鳥の肉なんて、食べられるか知ら」
「食べられますとも。爺さんの話では、田鴫《たしぎ》よりは少し味が劣《おと》るけれど、あの鳥は丈夫な鳥だから、それにあやかりたいために、あれを食べると丈夫になるって、千鳥を食べるんですとさ」
「そうか知ら。千鳥の肉を食べると丈夫になるなんて、はじめて聞いた」
「でも、鳩や、雉《きじ》なんぞは、土用中、おとり[#「おとり」に傍点]にして一時間も置くと死んでしまうけれど、千鳥だけは、土用中でも、寒《かん》のうちでも、何時間おいてもビクともしないそうです――しかし、わたしたちはこの鳥を呼び集めたって、それを捕って食おうというのじゃなく、友達として呼び迎えるのだから、罪にはならないさ」
 兵部の娘と、茂太郎が、浜辺へ向って歩き出すと、千鳥は、その前後左右を落花飛葉のように飛びめぐって送ります。

         十七

 駒井甚三郎
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