と、田山白雲とは、種《しゅ》の問題にまで会話が進んだ時に、金椎《キンツイ》のために腰を折られました。
しかし、駒井は「種」ということには相当の見識は持っているらしい。今までの会話では、田山の方がむしろ現実的で、駒井が有史以前の動物にまで想像を逞《たくま》しうしたようですけれど、駒井が、ああ言うからには、何か相当の科学的――といわないまでも、新しい知識に刺戟されたには相違ありますまい。
ただ惜しいところで、話の腰を折られてしまいました。
そうかといって、リンネよりキウエーにいたる種の不変の説を、この時代の駒井が、どれほど理解していたかは疑問です。いわんや、金椎によって、ようやくこのごろキリスト教の眼をあけられた駒井が、生物進化論にまで飛躍しているとは、全く想像し難いことであります。ダーウィンが「種の起源」の初版を出したのは、ここに駒井がこうしている数年前のことではありましたけれど、いかに新知識でも、当時の日本人としては、それを受入れるにはあまりに早過ぎます。しかし、早過ぎるからといって、当時、出来ていた「種の起源」の新説が、何かの機会で、たとえば、鉄砲の包紙の一片か何かにはさまって来て、偶然に、駒井の眼に触れないとも限りますまい。
しかし、この場の事実は、如上の進化論の途中に、突変説が起りました。
話の進化に突変をまき起したのがすなわち金椎であります。それをまき起させた「種」は、清澄の茂太郎と、兵部の娘とであること勿論です。
二人の者が行方不明《ゆくえふめい》になって、今以て帰らないということが、物に動ぜぬ金椎を、安からぬ色に導いているということによって、二人も、これは打捨てて置けないと立ち上りました。
「あの連中ときては、常軌《じょうき》にあてはまらないのだから始末にゆかぬ、即興的の感情を、即興的の行動に現わして、節制の術《すべ》を知らないんだからたまらない、全く眼がはなせたものではない」
と田山白雲が、柄《がら》になく嘆息しました。全く柄にないことで、そういえば御当人自身としても、御多分には洩れないところがあるはずです。
「怪我はあるまいけれども、放っても置けまい」
と駒井も、多少の不安を感じないわけにはゆかないらしい。ただいまの海竜といい、この辺の海の悪戯《いたずら》には、再再経験もあることだ。
金椎《キンツイ》は同じような不安から、窓の外の海をし
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