くましうさせるの舞台ではない。
 無用心ではあるが、無人島ではないこの住居へ、いつまで人間らしい人間の影を見せないということはあるべき道理ではない。
 駒井甚三郎が画框《がわく》をかかえ、田山白雲がジャガタラいも[#「いも」に傍点]を携えて、悠々閑々と門内へ立戻って来たのが、その時刻でありました。
 白雲は料理場へジャガタラいも[#「いも」に傍点]をほうり込んで、駒井の手から框を受取って、廊下の追分のところまで来た時分に、駒井の寝室がこの騒ぎです。
「誰か来て下さい――」
 それと混乱して、一種聞き慣れない野獣性を帯びた声。
 二人は、ハッと色めいて、宙を飛ぶが如くに例の寝室まで来て見ると、この有様ですから、無二無三に、
「この野郎!」
 腕自慢の田山白雲は、後ろから大の男を引きずり出して、やにわに拳《こぶし》をあげて二つ三つ食らわせましたが、それにも足りないで、倒れているのをのしかかって、続けざまにこぶしの雨を降らせたものです。
 と同時に、大の男が泣き叫んで哀れみを乞《こ》うの体《てい》。それも言葉がわかれば、多少の諒解《りょうかい》も、同情も、出たかも知れないが、何をいうにもチイチイパアで、ただ締りなく泣き叫ぶのを、田山白雲が、この毛唐《けとう》! ふざけやがって、という気になって、少しの容赦もなく、いよいよ強く続け打ちに打ちました。
 よし、言葉がわからずとも、憎いやつであろうとも、体格が貧弱で、打つに打ち甲斐《がい》のないようなやつでもあれば、白雲もいいかげんにして、打つのをやめたかも知れないが、何をいうにも体格は自分より遥かに大きいから、打つにも打ち甲斐があると思って、容赦なく打ったものでしょう。
 駒井甚三郎さえも、もうそのくらいで許してやれ、と言いたくなるほど打ちのめしているうちに、どうしたものか、今まで哀訴嘆願の声だったウスノロの声が、にわかに変じて、怒号叫喚の声と変りました。
 それと同時に、必死の力を極めてはね起きようとするから、田山白雲がまた勃然《ぼつぜん》と怒りを発し、おさえつけてブンなぐる。
 それをウスノロが必死になってはね起きると、かなりの地力《じりき》を持っていると見えて、とうとうはね起きてしまい、はね起きると共に、力を極めて田山白雲を突き飛ばして逃げ出しました。
 いったん突き飛ばされた白雲は、こいつ、生意気に味をやる――と歯がみをしながらウスノロのあとを追いかける。
 見ていた駒井は、これは白雲が少しやり過ぎる。あいつも、あのままでは打ち殺されると思ったから、必死の力を揮《ふる》って逃げ出したのだろう、へた[#「へた」に傍点]なことをして怪我でもさせてはつまらない――と心配はしたけれども、仲裁のすきがありませんものでしたから、ぜひなく、二人の先途を見とどけようとして、そのあとを追いました。
 本来、田山白雲は、その風采《ふうさい》を見て、誰でも画家だと信ずるものはないように、筋骨が尋常ならぬ上に、武術もなかなかやり、ことに喧嘩にかけては、相手を嫌わぬしれ者[#「しれ者」に傍点]でありましたから、こういう場合に、じっとしておられるわけがない。
 ことに、いったん取押えたやつにはね起きられて、突き飛ばされて、逃げられたというのが、しゃくにさわったものらしい。
 そこで、廊下を追いつめて来たところが、例の食堂で、ここへ来ると、いつのまにか、料理場へ通う戸が締切られてあったものだから、大の男が逃げ場を失いました。
 逃げ場がなくなったものですから、絶体絶命で大の男は、その戸じまりの前に立って、何とも名状し難い妙な身構えをしました。
 そこへ田山白雲が追いかけて来て、その身構えを見て、あきれ返りました。
 これは窮鼠《きゅうそ》猫をかむという東洋の古い諺《ことわざ》そっくりで、狼狽《ろうばい》のあまりとはいえ、あの身構えのザマは何だと、白雲は冷笑しながら近づいて行って、その首筋を取って引落そうとする途端を、どう間違ったのか、その名状し難い妙な身構えから、両わきにかい込んだ拳《こぶし》が、電火の如く飛びだして、白雲の首からあごへかけて、したたかになぐりつけたものですから、不意を食《くら》った白雲がタジタジとなるところを、すかさず第二撃。
 さすがの白雲がそれに堪らず、地響きを立てて床の上へ、打ち倒されてしまいました。
 起き上った時の白雲は、烈火の如く怒りました。
 だが、最初にばかにしたあの変な身構えの怖るべきことを、この時は気がついたようです。変な身構えが怖ろしいのではない、あの変な身ぶりから飛びだす拳の力が、怖ろしいのだとさとりました。
 だから、こいつ、何か術を心得ていやがるなと感づいたのも、その時で、そう無茶には近寄れない、強引《ごういん》にやれないと、気がつきながら起き上って見ると、まだ逃げることも、廻り込むゆとりもない大の男は、同じような変な身構え――それを言ってみると、身体《からだ》の半分を屈して、眼を皿のようにし、両方の拳をわきの下へ持って来て、そのこぶしをしかと握ったところは、たとえば、柳生流の柔術でいえば、乳の上、乳の下の構えというのに似て、組むためではなく、突くためか、打つためか、或いは払うための構えだと見て取りました。
 毛唐《けとう》の社会には、こんな手があるのか知ら。しかし、油断して、タカをくくっていたとは言いながら、あのこぶしの一撃でよろめかされ、二撃で完全に打ち倒されてしまったのだから、白雲が、歯がみをするのも無理はない。
 今で考えると、この大の男が取っている身構えは、拳闘をする時の身構えであって、この男は相当に拳闘を心得ていて、自分の危急のあまり、その手で白雲を打ち倒したものだから、決して無茶をやったわけでもなく、力ずくで振り飛ばしたわけでもない。先方はつまり、習い覚えた正当の格によって応戦して来たのを、こちらが無茶に、不用意に、近づいたから不覚を取ったものに違いない。
 前にもいう通り、田山白雲は画家に似合わず屈強な体格であり、兼ねて武術のたしなみがあり、なかなかの膂力《りょりょく》があって、酒を飲んで興たけなわなる時は、神祇組《じんぎぐみ》でも、白柄組《しらつかぐみ》でも、向うに廻して喧嘩を辞せぬ勇気があり、また喧嘩にかけては、ほとんど無敵――というよりは、その蛮勇を怖れて、相手になり手がないというほどに売込んでいるから、自分もその方面にかけては、十分の自信がある。
 絵筆をにぎる人が喧嘩を商売にするのは、どうも釣合わないことのようですが、本来、田山白雲は、絵師たるべく絵師となったのではない。慷慨《こうがい》の気節もあり、縦横の奇才もないではないが、何をいうにも小藩の、小禄の家に生れたものだから、その生活の足し前として絵画を習い出したので、もとより好きな道でもあるが……この点は、三州の渡辺崋山にも似ている。
 そこで白雲は、喧嘩が本業だか、絵が本業だか、わからないことがある。どこへ行っても画家とは見られないで、武者修行と見られることの方が多い。

 ここにおいて白雲は勃然《ぼつぜん》として怒り、この毛唐味なまねをやる、そんならばひとつ、天真神揚流の奥の手を出して……と本気になってかかりました。
 第一に、あの拳を避けて取ッつかまえ、思いきり投げ飛ばして、締めか、逆かで、目に物を見せてくれようという策戦を立てました。
 この計策、見事に当って、大の男をズデンドウと投げ出したのは、めざましいばかりです。
 投げると共に飛び込んで行った白雲は、無残に大の男の首をしめてしまいました。
「サア、どうだ!」
 返答のないのも道理。大の男は一たまりもなく、完全に落されていました。
 入口に立って見ていた駒井甚三郎は、田山白雲の武勇の程に驚いてしまい、投げたらば、抑え込みか、逆かで、相当に苦しめて許してやるのだと思っていたところが、グングンしめてしまったものだから、これは過ぎる――いくらなんでもやり過ぎるわいと、またしても白雲の暴力に怖れをなした様子で、
「大丈夫ですか?」
と念を押しますと、
「大丈夫です、ほうって置けば、生き返りますよ」
 白雲は、一息入れる。
 それと同時に、気にかかることがあって、食堂と、料理場の間の戸、つまり大の男が進退きわまった戸口をあけて見ると、かわいそうに、そこで金椎《キンツイ》が泣き出しそうな顔色をして、料理場の中を、右往左往に狼狽しています。
 そうでしょう、自分が一睡の間に、自分の王国は、すっかり荒されて、丹精して晩餐《ばんさん》に供えようとした材料は、すべて食いつくされているのだから。そうして、これから迫った時間の間に、その復興をしなければならぬ。
 その復興はできるとしても、誰がいつのまに来て、こんな手きびしく乱暴を働いて行ったのだか、皆目わからない。
 いたずらをするとすれば、これは清澄の茂太郎にきまっているが、これは茂太郎のいたずらとしては、規模が大き過ぎている。
 ことほどに、自分の持場を荒されて、全然それに気がつかなかったということは、損害の問題ではなく、自分の職務の、責任の問題だという顔をして、それでも差当りの急は、悔いているよりは働かなければならぬ、とりあえず差迫った晩餐の復興を、根本的にやり直すことに全力を注がなければならぬという気持で、悲痛と、憂愁の色をたたえながら、料理場の中をしきりに奔走しているのです。金椎の耳には、ただ今、この隣室で行われた大活劇もはいらなかったものと見える。
 そこへ、田山白雲が顔を出したものですから、金椎は申しわけのないような顔をする。
 ただいま、泥棒がはいってこの通りでございますと、訴えれば訴えられるのをこの少年は、無言でただ、申しわけのない顔だけをして、一心に働いている。
「金椎君、何かやられたかい、こいつに……?」
 白雲はこう言ってみたけれど、金椎の耳には、それが用をなさないと気がついて、例の料理法の憲法の下へ、有合せの筆を取って、
「洋夷侵入、白雲万里」
と書きました。洋夷侵入はわかっているが、白雲万里が何の意味だかわからない。
 駒井甚三郎も、この時、室内に入り来《きた》って、被害の実況をよく調査する。
 結局、ただ食い荒し、飲み荒しただけで、ほかにはなんらの盗難もないということ。
 ただ、秘蔵しっぱなしで、誰も手をつけなかったキュラソーが、一瓶なくなっているが、これとても闖入者《ちんにゅうしゃ》が私したのではない――私したのはわかっているが、それを持ち出してどうのこうのというのではなく、ただ飲んでしまって、いい心持になったのだということがわかり、つまり、あいつは、ただ食に迫ってこの家へ闖入し、飢えが満たされてから、あちらへ戸惑いをして行ったものに過ぎまい、という想像が話題になってみると、白雲も、あまり手きびしくとっちめたのが、むしろかわいそうにもなりました。
 しかし、毛唐《けとう》は毛唐に違いない。あんな奴が、どうして一人だけこんなところへ流れ込んだのだろうという疑問は、誰の胸にも浮ぶ。
 その時、隣室で、うーんとうなり出したのは、問題の男が息を吹き返したものでしょう。

         十七

 晩餐の食堂の開かれようとする前、駒井甚三郎と、田山白雲と、例のマドロス氏とが卓を囲んで会話をはじめました。
 ところが、まどろこ[#「まどろこ」に傍点]しいことには、駒井の英語は、耳も、口も、目ほどにはゆかないものですから、マドロス氏との会話に、非常に骨が折れるのに、またマドロス氏の言葉が、英語が土台にはなっているが、なまりが非常に多いと来ているから、断線したり、わからないなりでしまったり、要領を得たような得ないような、すこぶる珍妙な会話でありましたが、しかし、この骨の折れる珍妙な会話が、駒井と、白雲とを、興に導くことは非常なものでした。
 とにかく、そのしどろもどろ[#「しどろもどろ」に傍点]な会話を綜合してみると、このマドロス氏は、オランダで生れて英国で育ち、マドロスとして、ほとんど沿海の諸国を渡り歩いているうちに、その言語が英語を主として、それら諸国の異分
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