のつめて来るはずもなし、そうかといって、主人なり、雇人なりがいるならば、とがめないまでも、何とか言葉をかけそうなものを、そんな気配は更になく、ひっそり閑《かん》としたものですから、七兵衝は炭団を肴《さかな》に、また煙草をのみはじめ、座敷の中を見るとはなしに見まわしているうち、なんとなく無常の感というものにでも打たれたように、大きな溜息《ためいき》をついて、壁の一隅につるしてある薩摩屋敷の轡《くつわ》の紋のついた提灯《ちょうちん》を見て、じっと物を考え込んでしまいました。
「つまらねえな」
七兵衛が思わず口走った時分に、平常《ふだん》ならばお銚子の一つもかえて、まぎ[#「まぎ」に傍点]らかそうというものだが、この時はそれができないで、
「つまらねえなあ、ほんとに……」
七兵衛は煙管《きせる》を取落して、炭団をつくづくとながめました。
七兵衛は今、急につまらなく、情けなくなって、あぶなく涙をこぼそうとしました。
昨夜、七兵衛はあれから、江戸城内のどこまで忍び込んで、どこを出て来たかわからないが、夜が明けて見ると、なんとなくうちしおれていたのが、今になって一層目につきます。
彼は、
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