》尚平らをして、芝三田の四国町の薩摩屋敷に、志士或いは無頼の徒を集めて、江戸及び関東方面を乱暴させ、幕府を怒らせて、事を起すの名を得ようとしていることは、前にしばしば記した通りである。
 この、成功か失敗かわからない乾杯があって後、この一座の、鰻《うなぎ》を食いながらの会話は、忍術の修行の容易ならざることに及ぶ。
 一夜づくりの修行では、やりそこなうのは当然だ、といって笑う。
 いったい、盗賊というやつは、先天的に忍術を心得ているのだろう、という者がある。
 いや、忍びに妙を得ているから、盗賊がやってみたくなるのだろう、という者もある。
 盗賊としての条件は、第一、忍ぶことに妙を得て、第二、逃げることに妙を得なければならぬ、身の軽いと共に、足が早くなければならぬ、という者がある。
 僕の方に、一日のうちに、日光まで三十余里を行って戻る奴がある、と落合直亮がいう。
 いや一橋中納言の家中には、駿府《すんぷ》から江戸へ来て、吉原で遊び、その足で駿府に帰る奴がある、という者がある。
 信州の戸隠山から、一本歯の足駄で、平気で江戸まで休まずにやって来る者がある、という。
 そんな雑談から、つい
前へ 次へ
全251ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング