の平民宗教が起りました。
 法然《ほうねん》、親鸞《しんらん》、日蓮といったように、法燈赫々《ほうとうかくかく》、旗鼓堂々《きこどうどう》たる大流でなく、草莽《そうもう》の間《かん》、田夫野人の中、或いはささやかなるいなかの神社の片隅などから生れて、誤解と、迫害との間に、驚くべき宗教の真生命をつかみ、またたくまに二百万三百万の信徒を作り、なお侮るべからざる勢いで根を張り、上下に浸漸《しんぜん》して行くものがあります。
 眇《びょう》たる田舎《いなか》の神主によってはじめられた、備前岡山の黒住教もその一つであります。
 たれも相手にする者のなかった、おみき婆さんの天理教もその一つであります。
 金光教の金光大陣も、丸山教の御開山も、ほとんど無学文盲の農夫でありました――与八のことは問題外ですが、万一、こんな行いがこうじて、与八宗がかつぎ上げられるようなことにでもなれば、それは与八の不幸であります。

         四

 根岸の、お行《ぎょう》の松《まつ》の、神尾主膳の新ばけもの屋敷も、このごろは景気づいてきました。
 それは、七兵衛が、例の鎧櫃《よろいびつ》に蓄《たくわ》えた古金銀
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