来るはずもない。こういう姿を、この際見るのは、降って湧いたようなものだが、何事の詮索《せんさく》よりも急なのは、飢えである。彼はガブリガブリとあらゆる食物を、手当り次第に食っている。ただ食うのではない、アガキ貪《むさぼ》り、ふるいついて食っている。
単に、この部屋にありとあらゆる食物といってしまえばそれだけのものだが、その材料は、金椎としては、かなりに苦心して集めたもので、またすべて苦心して調味を終えたものもあり、苦心してたくわえて置いた調味料もある。
それを、この闖入者は無残にも、固形のものは悉《ことごと》く食い、液体のものは悉く飲むだけの芸当しか知らないらしい。それを片っぱしから取って、胃の腑《ふ》に送りこむだけのことしか知らないらしい。
今日は、あれとこれを調合し、主客の味覚をいちいち参考とし、明日に持越さないだけの配分を見つもり、その秩序整然たる晩餐の準備が、眠れる眼の前で、無残にも蹂躙《じゅうりん》され、顛覆《てんぷく》されている。それを、全然知らない金椎もまた悲惨であるが、飢えのために、この料理王国のあらゆる秩序を蹂躙し、顛覆せねばならぬ運命に置かれた闖入者の身もまた
前へ
次へ
全251ページ中155ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング