です、名家の絵を偽作して、盛んに売込んで儲《もう》ける奴があるんですな。泥棒よりもモットたち[#「たち」に傍点]のよくない奴なんですが、こいつが、われわれ社会の裏面に蠅のように寄生して、始末にいかないことがある。なあに、神品は模造すべからざるものだから、見る人が見れば、問題にはならないが、世間はめくら千人だから、その偽物に欺かれるものが意外に多いです。そういう蠅のような偽物どもを、いちいち取ッつかまえて、町奉行へ訴え出るなんぞは煩《わずら》わしくてたまらないから、大家連は、知って相手にしないことがあると、そいつらがいい気になって増長するものだから、画界の風儀を非常に乱す。そこで拙者は、三四人の腕ききを集め、自分が先発で、いちいちその偽物《にせもの》どもをブンなぐって廻ったことがありました」
「それは、なかなか痛快ですが、暴力沙汰で、あべこべに告訴を受けるようなことはありませんでしたか」
「ありませんとも。暴力じゃありません、正当防衛ですもの。盗みをする奴をつかまえて聞かなけりゃ、打ち殺したって苦しかありませんよ、いわんやブンなぐるくらいは何でもないことです。五六人ブンなぐったら、それで少しは利《き》き目《め》がありました。なかには腕を折られて、ヒイヒイ泣いた奴もありましたよ。ああいう蠅共を退治するには、腕力に限るです」
美術界の神聖のために、その風儀の維持のために、偽作者に、腕力制裁を加えることの正義なる所以《ゆえん》を、白雲は力説しました。
そうして、自分がこの偽作者どものブラックリストをこしらえて置いて、片っぱしからやッつけた経験談を語り出でて、そうして今時の腐れ儒者や、青二才が、腕力すなわち暴力とけなして、自分の卑怯《ひきょう》な立場を擁護しようとする風潮を、あざけりました。
十八
ここで三人の会話に花が咲いている時、海に面した他の一方の座敷で、美婦と、妖童とが、しめやかに問答をする。
岡本兵部の娘は、畳の上に置かれた椅子に腰をかけて、すらりとした足を投げ出しながら糸巻に糸をまいていると、それと相向ったところに清澄の茂太郎は、ちょこなんと坐って、両手に糸の束《たば》をかけ、膝の上には、片時も放さぬ般若《はんにゃ》の面がある。
兵部の娘に糸をまかせながら、清澄の茂太郎は、
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可愛い由松《よしまつ》だれと寝た
だれと寝た
お父さんと寝たなら
よしよし
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小音でうたうと、岡本兵部の娘は、それに合わせるように、
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寝たといな
寝たといな
裾に清十郎と
寝たといな
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そう言いながら、手を休めず糸をまいているところを見れば、少しも変ったところはない。言葉の調子だってその通り、茂太郎に対して親切な姉様《あねさま》ぶりといったような気位が、少しも乱れてはおりません。
これはどうしたのだろう。駒井の手もとへ置いてもらうようになって、その精神がすっかり落ちついて、こうも、たしなみのよいお嬢様の昔に返ったのか。それとも、逢いたがっていた清澄の茂太郎が来たので、その喜びから乱れた心が一時に納まったのか。とにかく、岡本兵部の娘の今の有様は、精神にも、肉体にも、なんらの異状を認めることができず、このままこの家庭の一員として、誰が見ても調子よく納まっているのは、以前を知っている者の眼から見れば、不思議というばかりです。
不思議なのは、そればかりではない。以前を知ったものにとっては、幾多の痛々しいものを知っているでしょう。知って、言わずして過ぐる人の眼には、複雑な嘲笑の色を含んではいるが、当人は、淋しく取澄ましてそれをやり過ごす。それが痛々しいとも見られるし、食えないとも見られる。どちらでも取りようです。
糸を巻かせながら茂太郎は、何か物足らないような風情《ふぜい》で、
「殿様殿様というけれど、どうしてあの人は、殿様なんだろう?」
「どうして殿様だって、あの方は殿様なんだもの」
「だって殿様というものは、槍を立てて、お供をたくさん連れて、乗物に乗って、前触れをして、お通りになるんじゃないか。うちの殿様は、お供もなければ、槍もないし、乗物もない」
「ホホホホ」
それを聞いて、岡本兵部の娘は笑い、
「それはお前、昔のことよ。うちの殿様も、以前はその通りなんでしょう、お大名でこそなかったけれども、立派なお殿様よ」
「今は?」
「今は浪人していらっしゃるから……」
「どうして浪人したの?」
「どうしてだか、知らないわ」
そこで糸巻の糸がこんがらかったのを、兵部の娘が軽くさばく。
「お嬢さん、お前、今日も殿様のお部屋へ行きましたね」
「ええ」
「何をしていたの?」
「寝《やす》んでいたのよ」
「一人で……?」
「無論のことさ」
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