」
「米の代りになりますか?」
「外国では、米の代りに、常食としているところがあるそうです。濃厚な肉食をしている西洋人は、副食物のようにして、好んでこれを用います。ですから、或いはこのジャガタラは、西洋人が落したものかも知れません。もしそうだとすれば、ワザと捨てたのか、それとも船がこわれたのか……」
「腐ってはいないようだから、ワザと捨てたんではありますまい、この辺の百姓が作って、干して置いたのを、波にさらわれたのではないかしら?」
「そうかも知れません……しかし、まだこの辺の百姓が、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]を作っているのを見かけませんが……」
駒井は、まだこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]の存在に不審が解けきれないでいると、白雲は画框《がわく》を岩上にさし置いて、懐中から風呂敷を出して砂上にひろげ、
「それほどうまいものなら、持って行って食べてみましょう……西洋人に食えるものが、われわれに食えないというはずはない」
といって、その根塊の特にうまそうなのを選んでいちいち拾い上げて、その風呂敷に包みはじめました。
田山白雲は、晩餐《ばんさん》の賞美の料としてのジャガタラいも[#「いも」に傍点]をブラ下げて行くと、駒井甚三郎は、白雲のために、代って画框を受取って、海岸を帰途につきました。
その時、駒井はこんなことを言いました。
もし、自分が海外のいずれへか植民をしようという場合には、とりあえずこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を植えつけてみたい。その手始めに、この地方へ栽培を試みようと思ったが、ツイにそこまで手が廻らなかったのが残念だ。船を造ることに急にして、農業のことを忘れたのが残念である――植民は農業から始めなければならぬ――というようなことを言う。
「いけないのは、武力を以て、従来の土着の者を征伐して、その耕した土地を奪おうということです。それで一時成功しても、永く続こうはずがありません。やはり、新天地を求めて、自分から鍬《くわ》を下ろして、土地を開かなけりゃうそ[#「うそ」に傍点]です」
駒井はこのごろ、新しくそれを悟ったもののようにつぶやく。
「その新天地というのは、いったいどこにあるんです?」
白雲がたずねる。
「至るところに新天地はありますよ、われわれはまず、このジャガタラの地方へ行ってみたいと思う」
「ジャガタラとは、どっちの方面ですか?」
「この海を南の方面へ行きます――大陸に渡ってみようか、或いは孤島に根拠を置いてみようか、その辺のことを考えています」
駒井は絶えず、その行くべき新天地の空想を頭に描いている。駒井の頭では、空想ではないが、白雲には、その内容を実際的に想像する由がないから、
「とにかく、新しい国を開いて、その王になるのは、愉快なことには違いない」
「それは違いますよ、王になろうなんていう心がけが違っています、われわれが新しい土地を開こうとするのは、自らも王にならず、人をも王にせず、人間らしい自由な生活をのみ求めたいからです……われわれの海外移住を、山田仁右衛門のそれと比べると違いますよ、われわれは王にならんがために外国へ行くのじゃなく、農にならんがために行くのです」
「いいですとも……それでも結構ですよ。その場合には、拙者も筆をなげうって、鍬をとる位は雑作《ぞうさ》ありません」
「筆をなげうつ必要はありませんね、食物を土から得て、その次に、自分の天分を思うさま発揮してみたいじゃありませんか」
「なるほど」
「あなたは絵筆を持ちながら、そういうことをお考えになったことはありませんか、つまり、衣食のことをです」
「衣食のこと……? それを考えないでおられるものですか、これでも、妻も子もある男ですからね」
白雲は、まじめに言う。
「要するに衣食のためですね……主人につかえれば、主人より衣食を受くるむくいとして、自分の自由を犠牲にすることもあるでしょう、衣食のために、心ならずも、美術を売り物にするという心苦しさもないではありますまい」
「ありますとも、大ありでさあ」
白雲の磊落《らいらく》に答えたのが、しおらしく聞える。
「だから、どうも、人間は衣食を土から得ていないと、本当の自由が得られないようです。自由のないところでは、生きた仕事はできませんからね。ところで、その土というものが、今ではみんな大名のものになっていますから、それを耕してみたところで、得るところは大部分、大名に取られてしまい、残るところの極めて僅かな収入で、生きて行かねばならぬ百姓ほど、哀れなものはないでしょう――してみると、大名の所有以外に、耕すべき土地を求めなければならない道理です」
駒井は、近ごろようやく、深くこの感じを持たせられたと見えて、その言うことが親切です。白雲はそれをも感心して、
「なる
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