うちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌《いや》な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂《うわさ》の的となるに相違ありません。
白骨《しらほね》の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。
けれども何とか、このささやきに、わたしが返答しない限り、その疑惑は強く、高くなる一方で、ささやきは、やがて雷鳴のように強くなり、疑惑は海のように深くなるばかりです。
ですけれども、弁信さん、わたしには全く覚えがありませんのよ。
覚えのないことは、言われないじゃありませんか。
言われなければ言われないほど、人様は勝手な評判を作るでしょう。
ついに、わたしは相手の知れない父《てて》なし子《ご》を生んだ、手のつけられないみだらな女として、人の冷笑の中に葬られてしまわねばならないが、それよりも不幸なのは、この子が……わたしに子供なぞは有りゃしません、妊娠でないことは確かですけれども、もしかして、父なし子の運命を以て世に生れた子供……この子供の不幸に比べたら、わたしの不幸などは、言うに足らないものかも知れません。
そうなっては、死んでも死にきれないではありませんか。
どうしても、わたしは一人では死ねません。生きても二重の罪に生き、死ぬにも二重の罪を犯さなければ、死ぬことさえできません。
弁信さん――
何かよい方法はないでしょうか。
せめて一方だけ生き得られるか、また一方だけ死ねるか、その方法がありましたらお教え下さいまし……
ああ、わたしとしたことが、まあ何という愚痴を書きつらねたものでしょう。こんなことはみんな変ではありませんか。いつ、誰が、わたしの妊娠を見届けたものがありますか。自分でさえその証拠があげられないものを――いやなおかみさんのは、もとよりホンの冗談《じょうだん》であります。取越し苦労にも程のあったもの。
わたしは沼へでも遊びに行って、この気散じを致しましょう……」
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十二
炉辺の閑話に蚊話《かばなし》が持上った時、その最後に、楽翁公の寛政改革について大いに意気を揚げ、蜀山人《しょくさんじん》を罵《ののし》る者がありました。
楽翁公が大いに文武を奨励して、士風堕落をもり返そうと企てられたのを、「か」ほどうるさきものはなし、「ぶんぶ」といいて夜もねられず、とは何事だ。
徳川中興以後、松平楽翁だの、水野越前だの、問題ではあるが井伊掃部《いいかもん》だのという、名望と、手腕とを、備えた政治家が出でたればこそ、今日まで持ちこたえたのである。
政治家は、もとより民衆の友ではあるが、人間の下劣な雷同性におもねるような政治家は、世を毒すること、圧制家よりも甚《はなは》だしい。蜀山という男は、微禄ながら幕府の禄を食《は》む身分でありながら、一代の名政治家を蚊にたとえるとは言語道断である。あの堕落、阿諛《あゆ》、迎合、無気力を極めた田沼の時代でさえ、
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世に逢ふは道楽者におごりものころび芸者に山師運上
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となげいた市民には、まだ脈がある……
それから問題が一転して、この席へ、お雪の姿が見えないという不審がみな一致しました。
お雪は誰にも心安く、誰にも愛され、誰の話をも身を入れて聞きたがることにおいて、この一座には欠くべからざる人気を持っておりました。今晩に限って、その人が顔を見せないことだけでも、炉辺を非常な淋しいものにすると見えて、
「お雪さんは、どうしました?」
誰いうとなく、その叫び声が繰返されたけれど、いつまで経っても、その人が姿を見せません。
「お雪さん……?」
「どうしましたか、病気にでもなりゃしませんか?」
「いいえ……病気でもないようですが……」
「今朝から、あの人の姿が見えませんよ」
「いいえ……今朝早く、ねまきのまんまで無名沼《ななしぬま》の方へ出て行きました」
「え、あの子が一人で無名沼へ……ほんとうですか?」
早くも顔の色をかえたものがあります。あの出来事以来、無名の沼を、魔の池のように恐れている者がある。
「そうして、無事に帰りましたか?」
「え、帰るには帰ったでしょう、さきほど、部屋で手紙を書いているのを見たという者がありますから……」
「
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