坂下御門を出て帰ろうとのもくろみまで立てているが、急いでそうせねばならぬ必要もないと考えている。
とにかく、七兵衛が城内の用心の存外手薄いことと、空気に弾力の乏しいことを充分に感知しながら、軽々しくこの地点を動き出さないのは、一つは功を急がないという腹が出来ているのと、もう一つは、ある時間の程度にはキッと見廻りの役人が通過するに相違ないから、それの来《きた》るのをここに待って、やり過ごしておいて、そうしてゆっくり進退をきめようとの了簡《りょうけん》と見える。
忍びの上手は、立木の間にかくれると、立木そのものになる。立木そのもののようになり得た七兵衛は、少しも城内の夜の気分と、自分というものの心を乱すということなく待っているが、果していくばくもなく、人の気配がうしろの方から起りました。
「来たな」
と七兵衛は心得たけれど、動揺はしない。動揺というのは身体《からだ》を動かすことだけではない、心を動かせば、空気は動くものであります。
しかし、これは変だぞ……と七兵衛があやしみました。
見廻りのお役人ではない。それは自分がしたのと同じように、吹上のお庭から、このお薬園の方へ、塀を乗越している者がある。
以ての外と七兵衛が、暗いところでその眼をみはりました。
生憎《あいにく》のことか、幸いか、七兵衛の眼は、暗中で物を見得るように慣らされていますから、今しも塀を乗越えて来る曲者《くせもの》。それは自分以上か、以下か知らないが、とにかく、このお城の中へ潜入した曲者を、別に眼の前に見ていることは確かです。
そこで、さすがの七兵衛も固唾《かたず》を呑んで、その心憎い同業者(?)の手並を見てやろうという気になりました。
見ているうちに、七兵衛はほほえみました。これはおれより手際《てぎわ》が少しまずい、まあ素人《しろうと》に近い部類だわい――と思いました。
だが、人数は自分より多く、いでたちもおれよりは本格だわい、と思いました。
たしかにその通り、今しも、吹上の庭から塀を乗越えたのは、都合四人づれだということが明らかにわかり、その四人づれが、とにかく、本格らしい甲賀流の忍びの者のよそおいをしていることによって、やはり尋常一様の盗賊ではあるまいと鑑定される。
さりながら、その忍入りの技術は、甚《はなは》だ幼稚なものだ――と七兵衛は、それを憐《あわ》れむような気にもなり
前へ
次へ
全126ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング