の全部を、惜気もなく提供したところから来る景気で、これがあるゆえに、ばけもの屋敷に、一陽来復の春来れりとぞ思わるる。
 この黄金の光で、ばけもの屋敷がいとど色めいてきたのみならず、この光によって、いずくよりともなく、頼もしい旧友が集まって来たことも不思議ではありません。
 ある夕べ、主膳は、このたのもしい旧友の頭を五つばかり揃えて、悠然《ゆうぜん》としてうそぶきました、
「黄金多からざれば、交り深からず」
 七兵衛が苦心して――資本《もとで》いらずとはいえ、あれだけ集めるの苦心は、資本をかけて集めること以上かも知れません――集めた古金銀の年代別の標本も、神尾らにとっては標本としての興味ではなく、実用(実は乱用)としての有難味以上には何もないのですから、早くもその古金銀は、最も実用に適する種類のぜに金[#「ぜに金」に傍点]に換えられて、当分は、それを崩し使いというボロい目を見ることができます。
 しかし、そこにはまた相当の用心もあって、このまま両替しては、かえって世間の疑惑を引き易《やす》いと思わるるものは、そのままで筐底《きょうてい》深くしまって置いて、後日の楽しみに残すこととしました。
 これだけあれば当分は遊べる――無論その余徳がお絹に及ぶことはあたりまえで、余徳というよりは、むしろあの女がすべての管理を引受けたようなものですから、このごろはまた、それで屋敷にいつきません。久しくかわききっていたところへ、黄金の翼が生えたのですから、あの女はあの女で、またその黄金の翼に乗って、水を飲みに出かけ、夜も帰らないことがあります。
 主膳は、それをいい機会とでも思っているのか、例のたのもしい旧友を引入れて、「黄金多からざれば、交り深からず」とヤニさがっている。
 たのもしい旧友はまたたのもしい旧友で、持つべきものは友達だといって、神尾の友達甲斐ある器量をほめて、おのおのその余沢《よたく》に恐悦している。
 ただ不自由なのは一つ、この勢いで旧友すぐって、名ある盛り場へ、大びらに遊びに出かけられないことであります。
 どこへ行っても、もう主膳の顔はすた[#「すた」に傍点]っている。よし顔はすた[#「すた」に傍点]っても、金の光というものはすたらないのだから、そうおくめんをする必要もなかろうが、額のこの傷が承知しない――と酒宴半ばに主膳は、われとわが手で額を撫でてみました。
 
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