すような有様で、島田に結った髪がかなり乱れて、着物の襟はよくキチンと合っていたが、鬢《びん》の下へ折りまげた二の腕が、ほとんどあらわになって、しかし、幸いなことに、帯から下はズッと毛布が守っているものですから、いわば、半身の油絵を見せられるような女の姿に見とれている。
 そのまま突立っていたウスノロ氏が、どうしたのか、急に呼吸がハズんでくると、その眼の色まで変りかけてきました。
 碧《あお》い眼玉は、別に変りようがあるまいと思われるのに、たしかに眼の色も変り、顔の色も変り、ついにはワナワナとふるえ出したもののようにも見える。
「茂ちゃん、いたずらしちゃいやよ」
 その時、女がうわごとのように言いました。
「いやよ、いけないよ、茂ちゃん」
 女は再び言って、まだ眠りからさめないで、手で顔の上を払いながら、
「いやだってば、茂ちゃん」
 ウスノロ氏は指を出して、娘の頬を二三度突ッついてみたものだから、
「茂ちゃん、いやだってばよ」
 女は四たびめに、手で自分の頬先を払って、ようやく眼をあいて見て驚きました。
「あ!」
 それは茂ちゃんではない、全く茂ちゃんとは似もつかない――似ないといっても、想像以上の、髪の毛のモジャモジャな、眼の碧い、鼻の尖《とが》った、ひげの赤い、服の破れた大の男が、今しも自分を上から圧迫するようにのぞき込んで、棒のような指で、自分の頬をつついているのを見ると、
「いけない!」
 娘はパッとはね起きると、大の男が口早に何か言いました。
 何か言ったけれども、それは娘にはわからない。恐怖心でわからないのではなく、言った言葉そのものの音がわからない。
「お前は誰だい、あっちへ行っておいで、誰にことわってここへ来たの、あっちへ行っておいで――」
 娘は叱りながら、扉の方をさして、立退きを命ずるほどの勇気がある。
 そこで大の男がまたチイチイ、パアパアいう。けれども、何のことだかそれが聞き取れない。また聞き取ってやる必要もない。他の寝室へ闖入《ちんにゅう》して、異性に戯《たわむ》れんとするは、狼藉《ろうぜき》中の狼藉である。容赦と、弁解とを、聞き入るべき余地あるものではない。
「あっちへおいでなさいといったら、おいでなさい――人を呼びますよ、誰か来て下さい!」
 娘はついにかなり大きな声を立てましたが、ここまで闖入者を許すほどの家だから、この声が有効になる
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