はずのお雪ちゃんだけがおりません。
十一
その翌日のお雪の手紙。
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「弁信さん――
昨晩は、夜通し怖《こわ》い夢ばかり見ました。
いま、起きたばかりの、ねまきのままで机に向い、きのうの手紙の続きを書かなければならないほど、切迫しているわたしの心持を、昂奮しきっているように、あなたは、想像なさるかも知れませんが、その実、わたしの胸はきのうよりはズッと冷静なのよ。
それは、昨晩、あまり怖ろしい夢に責めさいなまれ通したおかげで、この度胸が据《す》わったというのかも知れません。そうでなければ、わたしの、しおらしい娘心が、一夜のうちにすさ[#「すさ」に傍点]んでしまったのかも知れません。
昨晩の夢で……わたしは、さんざん姉さんにいじめられました。
姉というのは、あなたもよく御存じの、わたしがここへ来る前に、巣鴨の庚申塚《こうしんづか》で殺された、わたしにとっては大好きな親違いの姉であります。
その姉が、昨晩夢に現われて、さんざんわたしをいじめました。
わたしは、何とも言いわけをしませんでしたが、あの親切な姉が、どうしたものか、あんまりムキになって、わたしをいじめるものですから、わたしもツイ二言三言、何かいいました。そうすると、姉は泣きながら怨《うら》めしい顔をして、わたしに打ってかかるではありませんか。あんまりのことです……
そうして、ついには、身に覚えのない言いがかりまでして、わたしをいじめました。わたしも、そればっかりはだまっていられないので、口惜《くや》しがって泣きました。泣いて姉に食ってかかりました。
そうすると、あくまで、わたしをいじめ抜いていた姉が、急に飛び退いて、冷笑気味になって申しました、
『白々《しらじら》しいことをお言いでないよ、そのお腹《なか》をごらん』
こういわれて指さされた時に、わたしは泣き伏して、この顔を、姉の痛い眼つきから避けるよりほかはすべがありませんでした。
『姉さん、あんまり口惜しい……』
『いたずら者、油断もすきもなりゃしない、よくいったものだね、小娘と何とかは……覚えておいで、その報いがどこへ来るか覚えておいで、お前がもし、わたしのような運命に落ちても、わたしは知らないから……』
こういって、姉は泣き伏しているわたしを、意地悪くのぞき込むようにして、白い眼で睨《にら》みました。
常の姉とは似
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